ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

セレンディピティーという言葉・行動・気づき・受容

2013-11-30 17:41:40 | 

 今日の昼間に、たまたまテレビを見ていたら、脳科学者の茂木さんが、東大生を相手に講議をしておりました。 米国のハーバード大学は、卒業生たちが入学希望者と面接して、入学の許可を行うという説明でした。

 然るに日本では、大学の入学試験の高得点者が、入学を許可されるという現状からの脱皮を行わないと、特異な人間の創造という観点からは、まずいのではないかということを、「イノベーション」という言葉や「セレンディピティー」という言葉を上げて、話しておりました。

 ペンギンが群れの中で、一番初めに海に飛び込む勇気を例に、イノベーションの「勇気」や「ひらめき」の大切さを、丁寧な話し方で説明をしておりました。

 セレンディピティーでは、「行動」する中で「気づき」、それを「受容」する素直さ、寛容さが大切であると強調されていました。

 そのとき、ふと親しくしている友人のことが、頭をよぎりました。 いつも行動を起こす前に、自己の少ない経験にもかかわらず、まだ行動起こすには自身が納得できないなどといいながら、結局、行動もせず、結果的に気づきもなく、なお受容する余裕もないという悪循環に陥ってしまっています。

 行動しなければ、決してそこから気づきもなく、受け入れる寛容さもなくなるのですが。 もう少し、友人に素直な気持ちを持ってもらいたいと、願うのですが。 余りにも頑な過ぎます。 それが個性とはいうものの。


国立音楽大学でソロ・室内楽のコンサートを聴いてきて

2013-11-28 07:16:38 | 文化

 昨日は、タイトなスケジュールの中で、夜6時からのコンサートを聴きに、国立音大の小ホールへ立ち寄ってきました。

 大学4年生によるコンサートで、クラリネットを含めた弦楽器による六重奏、ソプラノ独唱、サックス四重奏、ピアノ連弾、ピアノ独奏でした。

 秀逸であったのが、ひとつのピアノを二人で弾くピアノ連弾でした。 ドビッシーの小組曲を、川端慶子さんと柳瀬亮祐さんが、曲に没頭しながら演奏する姿や音色が、私たちを自然とその音楽の世界に、引き込んでいくような雰囲気でした。

 またソプラノ独奏で歌ってくれた3人の方々の、その心に響く声色に、私たちを強く刺激してくれたように感じます。

 国立音大のこのようなコンサートを公開し、学生だけでなく一般人にも聴くことが出来る機会を作ってくれるあり方に、自分が在籍した大学は、今ではどうなっているのかを、改めて考えさせてくれるのです。

 アンケートには、心を痛く、否、心地よい痛さで心を刺激してくれます。 ありがとうございます と書き留めました。


大学等のコンサートの優劣は管楽器の弱い音出しで決まる

2013-11-25 07:58:32 | 文化

 最近は近隣のホールで開かれるクラシック音楽のコンサートに、行くように心がけています。 昨日もパルテノン多摩で開かれた、東京薬科大学の管弦楽団のコンサートに行ってきました。

 弦楽器の方々のレベルは、それなりに聴くことができるのですが、管楽器の強い音出しのときは、余り優劣は付かないのですが、弱い音出しのときに、はっきりとその優劣が出てしまいます。

 折角、楽しく聴いているのに、突然、崖から落とされてしまう感覚になります。 管楽器の弱い音出しは、それだけ難しいということでしょうか。

 その意味では、読売交響楽団などのプロのコンサートは、安心して聴くことができます(あたりまでしょうが)。 また音楽大学のコンサートも、同じように楽しむことが出来ます。

 国立音楽大学と昭和音楽大学しか、まだ聴いたことがありませんが、桐朋音楽大学や東京藝術大学、東京音楽大学のコンサートも、聴きに行きたいと思っております。

 コンサートを聴きにいくのは、そこのホールの雰囲気を楽しむという目的もあります。 サントリーホールや横浜のみなとみらいホールでのコンサートも、舞台バック席から聴いたことがありますが、そのホールが持つ独特の空間での音色を聴くというのも、楽しみの一つなのです。


軽い頚椎のヘルニアは首のストレッチで治るのではないか

2013-11-24 10:27:36 | 

 先月末に行った胃カメラの内視鏡検査時の、血圧を測るのに左腕を痛くなるほど締め付けて、その結果、左腕の筋周りが痛まり、それを首のストレッチをしながら、左腕の背中の根元周りの腱を痛めたのだと、確信しました。

 首を右方向に伸ばすようにすると、痛みがどこにあるか分かります。 それを丁寧に首を回しながら、何度も痛みを感じるように、繰り返しあらゆる方向に、首を回します。

 まだ左腕の痺れは感じますが、次第に良くなっていくように感じます。

 

 自分の首のストレッチを行いながら、連れ合いが、頭をテレビ方向に向けながら、そのまま眠ってしまい、軽い頚椎のヘルニアになってしまいました。 腕や手先が痺れ、寝る前や起きてから、布団の上でゆっくりと首をゆっくり回しながら、ストレッチを行っていました。

 クリニックにもいきましたが、痺れはいつの間にか治ってしまいました。

 親しくしている友人は、連れ合いとは逆で、ベットの背もたれに頭が後ろ向きに、テレビを見ながら寝てしまいました。 結果的に、頭はいつも重い、手足は痺れるという症状になってしまいました。

 友人にも、首の周りのストレッチ(力を抜いてゆっくり回す)を勧めましたが、そうすると首が痛いといって、一向に行う気配がありません。

 私は頚椎のヘルニアになった状態を再生しながら、ゆっくりと首を回すストレッチを、いつも日常的に行えば、少しずつではありますが、改善していくのではないかとも思うのですが。

 痛いから首をゆっくり回さないということではなしに、力を抜きながら首を回す、その繰り返しで改善する余地が出来るのではと感じます。

  薬の服用だけでは、決してよくはならないのです。 また間違った手当て(手をおでこに当て、頭を前に力をかけ、ある瞬間に手を離しその反動を利用して、ヘルニアの改善を図るなどという、わけの分からない(お医者さんから言われたという方法ですが)方法では、いつまで経っても良くはならないと、常々強調しているのですが。 友人には。


ニュートリノを私たちはコントロールできるのか

2013-11-22 07:40:28 | 

 宇宙に無尽蔵にあるとされるニュートリノは、まだ科学的に解明されておりません。 ニュートリノは私たちが云う「気」の一種ではないかと考えています。

 気功師が遠くにいる患者に対して、気を送って病を癒す行為を行うことを、私は認識しております。 

 ニュートリノはとても小さい素粒子です。 小さな原子の中心にある原子核の粒の一つの陽子と比べると、陽子を地球の大きさに例えれば、ニュートリノは米粒の大きさと考えられると言われるぐらいに小さい。 いかに小さいかも分かります。

 またニュートリノは物質を通過して、直進します。 その性質を利用して、筑波大学の実験施設から、陽子から飛び出させたニュートリノを、遠くの神岡の実験施設に送って、その性質を把握するべく研究を行っています。

 私は、友人の病気回復を願って、毎晩3時間、座禅を行った体験から、宇宙に存在する気が、おでこの中心部にある目の形をした天目から、その思いを込めて出て行くのを感じました。

 残念ながら私自身の不徳のいたすところで、何ヶ月間続けた後で、その友人が天に還っていった知らせを聞いて、3時間の座禅をやめてしまったのです。

  そのことを思い出すと、私たちの体には、宇宙に無尽蔵にあるとされている気(ニュートリノ等の素粒子)を、コントロールする能力を、生来持っているのではないかと思うのです。


相変わらず深夜の1時間の座禅を楽しんでいます

2013-11-21 06:53:10 | 座禅

 先月末に定期健診で、何ら症状が出ていないにもかかわらず、一度、胃の中を検査して見ましょうということで、口から胃カメラを挿入して以来、左腕を血圧を測るのに強く締めてから、左腕に違和感が生じています。

 外壁のタイルを打検棒で検査したときも、右手だけでなく使わなかった左手も、腱鞘炎になってしまい、治癒するのに1年はかかった感じです。

 今度も、静かに時間が経つのを待っているようです。 意識して首を回したり、左腕の深層部あたりまでを、ゆっくりと刺激するようなことを、日常的に行っています。

 また半身浴は、夜と早朝でかける前に行って、体を温めるように心がけています。

 座禅を行うときには、肺呼吸を伴わない胎息で行っていますが、はじめは左腕の付け根の奥に違和感を感じながら、多少腕全体に痺れをもたらしながらも、時間の経過とともに、なくなってきます。

 いつもと違う、そんな深夜の1時間の座禅を、楽しんでいます。


連日ヴァイオリンの音色を堪能して聴きました

2013-11-19 08:37:31 | 文化

 先日は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64を、山口裕之さんのヴァイオリンと首都大学東京管弦楽団の演奏で、聴きました。 山口さんの熱演で楽しく聴くことができました。

 パルテノン多摩の大ホールの前から5番目の真ん中の席で、目を瞑ってヴァイオリンの澄んだ音色を、聴きました。

 翌日はモーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ短調K.364で、ヴァイオリンは篠崎史紀(N響のコンサートマスター)とヴィオラは鈴木康浩(読響)と昭和音楽大学管弦楽団でした。

 篠崎さんと鈴木さんは、楽しんで演奏しているようで、私もその音の掛け合いを楽しませてもらいました。

 その日は、午前中にジネット・ヌヴーの心に深く刻まれるようなヴァイオリンの音色を聴いていたので、なおさら演奏に盛り上がりを感じました。

 体調が悪く、前日のチャイコフスキーの交響曲第5番を、読売交響楽団の演奏を聴きそこなったのが、残念でした。

 いずれにしても、ヴァイオリンの音色は、大好きな音色ではあります。 胸の中心にある心を、痛く刺激してくれるので。


永遠のマドンナ ジネット・ヌヴーのモノラル録音を聴いて

2013-11-18 06:59:30 | 文化

 昨日は、朝からPCに向かって作業をしながら、らじるらじるでクラッシックを聴いていました。 すると9時からヴァイオリン界の永遠のマドンナ ジネット・ヌヴーの演奏が聴こえてきました。

 大戦前後の録音ということでモノラル盤でしたが、とても胸が痛くなってきました。 早速、ネットで検索してみました。 お母さんがヴァイオリンの教師で、お父さんも演奏を楽しむという家族の中で生まれました。 

   一つ上のお兄さんはピアニストで、お母さんの手ほどきを受け、早くから頭角を現したといいます。 11歳でウイーンで開かれたコンクールに参加し、高名なヴァイオリニストのカール・フレッシュに才能を見出され、両親にベルリンに直ちに留学するように要請するも、家庭が裕福でなかったために、2年を要しました。

 13歳になってヌヴーは、ようやくベルリンに来て演奏を披露しました。 それを聴いたフレッシュは、感想を述べています。

 あなたは天から贈り物を授かって生まれてきた人だ。 私はそれに手を触れて、あれこれしたくない。 私に出来るのは、いくらかの純粋に技術的な助言ぐらいだ。

 私は、ジネット・ヌヴーのモノラル録音を聴いて、なお更、胸を痛くしました。 残念なことに、30歳のときに演奏旅行へ行くために乗った飛行機が墜落し、天に還っていきました。 永遠のマドンナといわれる所以は、ここにあります。

 15歳のときに、ワルシャワで開かれてヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでは、180名の競争相手を破って優勝しました。 そのときに2位になった後にヴァイオリニストとして大成する当時26歳のダヴィド・オイストラフは、翌日、故国で待つ妻に手紙で伝えています。

 2位になれたことに僕は満足している。 ヌヴー嬢は「悪魔のように」すばらしいと誰もが認めるだろう。 昨日、彼女がヴィエニャフスキの協奏曲1番を、まさに信じられない力強さと激しさを込めて奏いたとき、僕はそう思った。

  しかも彼女はまだ15歳かそこらなのだから、1位が彼女に行かなかったら、それは不公平というものだ」

 ジネット・ヌヴーの音色を、改めて生で聴いてみたいと感じました。 またヌヴー自身が、お母さんのお腹の中にいたときに、胎児としてお母さんの演奏するヴァイオリンの音色を、聴きながら生長した結果なのではないかとも思いました。


ストレスは外に向かって発散させるものなのか

2013-11-17 07:57:40 | 気づき

 我が家では、連れ合いだけがストレスを、外に向かって発散させているようです。 私は一時期、ストレスを感じ寝汗をかきながら、1ヶ月間過ごしたことがあります。

 そんな経験を2度ほどしてからは、今では殆んどストレスを感じないで(感じないようにして)、生活をしてきております。

 そのような体験を通して、一度起こってしまったことを、くよくよ考えても決して事態は良くはならないことを感じました。 したがって、そんなときには、どのようにその事態を良くしようかと、考えることにしました。

 すると、体全体を覆っていた嫌なものが、体から抜けていき、意外と思わぬ考えに思い至ることが続くのです。 そんな経験から、ストレスを自分の生活サイクルの中で、吸収するようにする癖がついてきているからです。 

 毎日の生活のリズムの中で、自然と吸収してしまう生活習慣がついてしまったというべきでしょうか。 そのためのコツは、あらゆる出来事を楽しむということでしょうか。 

 私たちの毎日の生活は、必ずしも自分の思うようには行かないものですが、いつも明るく、前向きで、建設的な考え方でいれば、決して考え方は後ろ向きにはならず、したがってストレスは感じないものなのです(ストレスには感じないといったほうがよいかも知れませんが)。


力を抜く・自然体・明るく・前向き・建設的に

2013-11-15 07:37:58 | 自然

 私はいつも、リラックスして肩の力を抜き、自然体で構え、明るく前向きで、建設的でいようと心がけています

 残念ながら他の方とのお付き合いの中で、相手先から後ろ向きの発言や行動に出くわすと、さすがにこちら側も腰が引けてしまいます。

 でもすぐに又、心を入れ替え前向きに考えるようにも、心がけております。

 ここのところ、左腕が少し違和感があり、指先が痺れるために、何となく今までになく、肩に力が入ってしまっているような気がいたします。 先日の胃の内視鏡検査時に血圧を測るのに、左腕をゴムで強く巻き上げた結果なのでしょうが。

 大学生の時には冬でも、半袖のアンダーシャツに、綿の柄シャツにジャケットを着て、ズボン下も身に着けることもなく、過ごしてきたのですが、加齢化と共に残念ながら、ヒートテックの下着を着るようになってきました。

 数日前からヒートテックの長袖のアンダーシャツを、身につけるようになりました。 北のほうからの寒気団が、日本を覆うようになったためです。 ズボン下のものは、まだ先になるでしょうが。