ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

冷え込んできてヒートテックの下着を着始めました

2012-11-29 09:04:02 | 友人

 12月が近づくにつれて、冷え込みが厳しくなってきました。 今朝も自動車のフロントガラスが、真っ白になっていました。 朝歩きの午前5時半も、まだ暗く西方の空に、大きなお月さんがまん丸に輝いていました。 家を出て照明を避けて星空を見上げた瞬間に、大きな流れ星が見えました。

 東の空が、ちょっぴり明るくなってくるのは、1周1キロの多摩中央公園を回りきった頃です。 6時10分ぐらいの感覚です。

 今日はいつも出会う北見出身のご婦人は、3周回っても現れず、帰ろうとした時に、元繊維関係の会社勤めをしていた菅原利明と出会い、久しぶりで一緒に大廻りコースを歩きました。 以前は中央公園を周回するだけでしたが、いつも出会う菅原さんにくっついて歩くようになってから、大廻りコースの楽しさが分かりました。

 芝生だけで造られた小山のある鶴牧東公園に上がって、360度見渡せる景色は、何とも云えません。 西側は富士山や大山、高尾山が見え、東側にはスカイツリーや東京タワーが見えます。 時間が合えば、水平線から朝日が上がる姿にも出会えます。

 菅原さんと別れたあとは、仕事仲間の谷口英雄さんが、元気よく大きく両手を振って挨拶されたあと、落合5-3の花作りをしている石合正治と久しぶりに会って、話をしました。  

 寒くなってきたので草花の世話をするのが、一人で行う時間が増えて、疲れが出たのか風邪をひいたというのです。 それにしても多摩市役所のみどりの係りの担当者をはじめとして、部局の方々のボランティアの私たちに対応するやり方に、愛情が感じられないと憤っていました。

 また近くに住むキタローさん(日曜日のNHKの囲碁番組に出ています)に、小学校の囲碁を勉強している会に出席して、みんなを元気付けてほしいと、手紙をおいてきたも話しておりました。

 そんなこともあり、事務所に着いたのは7時20分過ぎになりました。 昨日は寝坊して、一昨日は午前2時まで友人と飲んでいたので、朝歩きはさぼりでした。 3日ぶりの朝歩きでしたので、久しぶりの楽しい時間でした。


芹沢光治良の本から島崎藤村・川端康成の人柄を知る

2012-11-28 09:20:48 | 自然

 深夜の1時間の座禅を行なった後に、半身浴をしながら芹沢光治良さんが90歳になってから書き始めた神のシリーズを読むのが、日課になってきました。 本が楽しみで、寝る前や朝起きてからも、半身浴をしながら読むようになってしまいました。

 いま読んでいるのが「人間の意思」という本ですが、戦前での日本ペンクラブ発足当時の島崎藤村との話や、戦後における川端康成との関係について、書かれています。

 私自身は、島崎藤村も川端康成の本は、あまり馴染みがありませんが、芹沢光治良が活動の援助資金をもらいにいく係りとして、それぞれの会長との関係が書かれていました。 

 島崎藤村は真面目な方であったようで、そのお人柄がよく分かりました。 川端康成は、色々な配慮をして人から尊敬されるような人ではなかったようです。 

 「人間の意思」の本には、今までの様々な出来事を通して、大自然の力(創造主)の存在を、私たちに表現しています。 改めてこの「神のシリーズ」の本に出会ったことに感謝しております。

 不思議なことに、自分自身の心が清められ、洗われているような感じがするのです。


千住真理子さんのヴァイオリンの音色に酔いしれて

2012-11-26 06:53:34 | 文化

 数年前に千住真理子さんのコンサートに行くべくチケット買いましたが、行く段になってチケットが見つからず、結局、行くことができませんでした。 後から机の引き出しの奥から出てきましたが、後の祭りでした。

 10年ほど前に、NHKで「カンツォーネを歌うように」というタイトルで、千住真理子さんの演奏を聴いて、大好きになったのですが、なかなか聴く機会がありませんでした。

 千住真理子さんのHPでコンサートの予定をチェックしているのですが、やっと昨日、目白の学習院大学の記念ホールでのコンサートのチケットを入手し、行くことができました。 学習院大学のキャンパスは初めてですので、帰りがけに雰囲気を楽しみました。

 バッハの「G線上のアリア」、モーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調」、ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調」や小曲等を、ストラディヴァリウスで、熱演してくれました。

 千住真理子さんは、ストラディヴァリウスをもう離したくないと、恋人以上であるように話しておりました。 低い音はヴィオラのような音に聴こえました。

 昨年の3月11日の震災を踏まえて、改めて日本の歌をヴァイオリンで表現したいとも、話されていました。 演奏する姿や話される姿と内容から、音楽だけでなくお人柄にも惚れてしまいました。 楽しいひと時でした。


お寺での参禅の時お線香の煙に耐えるのが大変で

2012-11-24 07:35:56 | 座禅

 私は禅寺には殆ど行くことはありませんでしたが、坐禅の素晴らしさから、こんな座禅を毎日行っているお寺があるだろうかと、ネットで検索したところ、近くのお寺(普門庵)にしばらく月に1回から2囘、参禅したことがあります。

 大きな講堂での参禅でしたが、遠くの方から流れてくるお線香の煙にくしゃみが出そうになり、それに耐えるのがひと苦労でした。 私の鼻腔は繊細なのかも知れませんが、1年半ぐらい通って行くのをやめました。 自宅での坐禅の方が、気楽に出来て楽しめるからでもあります。

 松原泰三さんがいるお寺の三田の龍源寺にも、1回だけ参禅したことがありあります。 息子さんの哲明(故人)さんが指導する部屋に入って、参禅しましたが、禅が始まってまもなく、もう肩をたたくように願って、叩いてもらっている方が多いのに、びっくりしました。 若い方が多いのですが、肩を叩いてもらうのが良いことだと思っているようで、随分とファッション化しているなあと感じたことを思い出します。

 普門庵は30分が休憩を入れて2囘でしたが、龍源寺では20分ぐらいの感覚でした。 やはり休憩を入れて2囘行ったように記憶しています。 勿論、初心者用の参禅でしたが、その時も始めが肝心なのだがなあと思いました。 初心者だからこそ、初めから1時間の座禅が大切だと。


ご主人がヴァイオリン曲が好きでいつも聴いていたら娘さんが

2012-11-23 09:57:27 | 胎児

 昨日は、小田原のアジと長野県の佐久の五郎兵衛米を、ご馳走になりました。 お客さんが、家族一族で小田原駅前の美味しいお寿司屋さん「とろせい」に行って、その帰りにアジを買って来るので、そのアジでご飯を食べにいらっしゃいとのことで、カウディでマンゴーのアイスキャンデーを手土産にして、お伺いしました。

 いつもは夜ご飯を食べないのですが、美味しくて2膳もご馳走になりました。  品の良いちりめんと鞍馬の山椒をご飯にかけたり、わさび、茹でた葉物やあさりの味噌汁などを、おしゃべりをしながら食べました。

 是非お孫さんたちに話してもらいたいと前置きしてから、結婚をして身もごった瞬間から、夫婦二人でお腹の中の胎児に、いつも話しかけながら育てるといいですよ。 何も分からないままに米国人のご主人から云われて4人の女の子を育てた日本の女性が、4人が4人とも3年も4年も飛び級するような子供育ったということを、本で読みましたので。 私もチャレンジしようと思いましたが、家の外につくることは、いつも一緒にいられないので、今のかみさんと別れなければならず、諦めました(実は30歳前後に湯島の叔父から頼まれて、何処に行くかも分からないままに、福島の原発の中で使っていたバルブの故障を直しに、原発の下小屋で10日間働いた事が有り、多分それで私のDNAは傷つけられただろうと感じていましたので、家の外でも私の分身を作るなどということは、諦めていました)。

 するとご主人はヴァイオリンの曲が好きで、家ではいつも聴いていたというのです。 勿論、奥さんも聴いていたのですが、更に輪をかけたように、ご主人は哲学書が好きで、奥さんにその本を、育児をしながら読むように勧めたそうです。 奥さんも分からぬままに、音楽を聴きながら哲学書を読んでいたそうです。 

 結果的に生まれた娘さんは、ヴァイオリンで東京芸術大学を首席で卒業し、ニューヨークのジュリアード音楽院に6年在籍したそうです。 現在は音楽家の方と結婚し子育てをしながら、演奏活動をされているようです。

 昨夜は一段と楽しいひと時でした。


友人から深夜の座禅で金星のような明るい光がと

2012-11-22 07:53:55 | 座禅

 自称2番弟子だという友人に、芹沢光治良さんの本を、その後(既に二人共「神の微笑」「神の慈愛」「神の計画」を読んでいますので)「大自然の夢」「人間の幸福」を読んでいて、心が洗われる感じがすると、メールを送ったところ、今朝一番で、眠れぬ夜の2時に起きて座禅を行なったら、金星のような明るい強い光が出てきた、 呼吸もすごく穏やかでした、との返事がきました。

 友人は仏性があり、お経を読んでいても、自然と涙が出てきたり、明るい光を見たりしていることを、話してくれていました。

 もともと30分お経を読んでから、30分座禅を行なっていましたが、30分では肩慣らしでしかないので、1時間は行なったほうがよいのではと話していました。

 ある時期から1時間以上座禅を行なってから、更に深化したように感じます。 私とは違う方法で(私は座っているだけでお経は読みませんので)、最近は仏典と弘法大師の教えを、勉強しているようです。

 法の下に全ては平等という考え方がありますが、私が友人から教えていただく時期が、近づいているのかもしれません。


夜に目が覚めると寝たままで足芯呼吸を楽しむ

2012-11-21 07:56:36 | 座禅

 ここのところ夜に目が覚めると、上に向いて寝たままで足芯(足の裏)呼吸を楽しんでいます。 肺呼吸は意識せず、意識しなくても足の裏が鼓動しながら、全身に体の中を、気が循環します。 ある意味では、大周天になります。

 大周天は、通常は、立って行いますが、寝た状態で体の下側が、布団に接していますので、ちょっと変則的ではあります。

 寝ながらの足芯呼吸を行うのは、いつも夏の季節に、足を布団から出して行う場合が多いのですが、今回は布団の中に足も入り込んでいます。

 どういうわけか、体の中を循環する気が、脳を刺激するのですが、ちょっと、その動きが柔らかく、緩やかに流れて、気持ちよく感じられるのです。 ですので、しばらくその状態のままでいようと思うのです。


今を楽しむ・享楽的ということではなく

2012-11-20 08:19:49 | 座禅

 いつも深夜に、真っ暗闇の中で静かに座って、座禅を行なっていますが、私の場合、決して修行などを行うという感覚はありません。 これは生まれて初めて行い始めた10数年前から、変わってはいません。

 初めた初日に、体に微妙な変化があり、その変化を楽しむことから続いたということが、あるのかもしれません。 興味半分もあったかも知れませんが、静かに座ることが、生活習慣になってしまったのです。 

 また、1時間座ることによって、崇高な至福感を感じ、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓が絶えず動いているのを感じなくても、臍下丹田の動きは、日常的に否応なしに感じるような生活が、当たり前になっているせいでしょうか。

 座禅を楽しむという感覚が、何とも言えません。 ただ静かに座っていることが楽しいのですから、何事も楽しく感じてしまうのです。


当初は夜に半身浴で入浴の後に座禅を行なっていました

2012-11-19 07:33:25 | 座禅

 現在は、深夜に1時間の座禅を行なっていますが、10数年前に生まれて初めて座禅(静功)を行なっていたときには、その1年前から行なっていた半身浴で入浴し、汗をいっぱいにかいた後に、隣室で家族たちがテレビを見ている音を聞きながら、部屋を真っ暗にして,吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、座禅に集中していました。

 半身浴は一日の疲れがとれ、坐禅のときには、ほとんど眠くなることはありませんでした。 然しながら、眠くなったときには無理をせず、さっさと寝てしまい、翌朝、早く起きて座禅を行ったりしていました。

 体の中へ息を吐く呼吸に意識を集中していますと、意外と眠くなることはありませんでした。 隣室からテレビの音が聴こえてきても、それぐらいのことで意識が集中できないというのは、おかしいのではないかとも感じたのです。

 レスリングのオリンピックの選手たちが、集中力を高めるため、精神力を高めるためにも、寝室は、わざと照明を消さないで、寝るような訓練をしたということも、思い出しながら座禅に集中していました。

 当時、我が家にもヒマラヤンの親子3匹がいたのですが、夜の坐禅の時には部屋を締め切って行なっていましたので、部屋に入ってくることはありませんでした。 その代わり、早朝には、お父さん猫のジュンちゃんが、私を起しに水を頂戴とか、ご飯を頂戴とか云ってきました。


出来るだけ長く吐く呼吸は時間が経つのも早く感じる

2012-11-17 08:39:20 | 座禅

 肩の力を抜いてリッラクスし、頭のてっぺんが天から引っ張られているような感覚で、上半身を維持します。 胡座を組んだときだけでなく、立っている時も、椅子に座っている時も、どんな時でも、そのような姿勢をするように心がけます。

 座禅は時間をかけて、体の深層部までも含めて、静かな状態にします。 表面的に静かであっても、体の中のあらゆる細胞までも、静かにするには時間が必要です。 私は最低45分から1時間は、必要であると感じております。

 私は、たまたま座禅(静功)を初めた当初から、真っ暗闇の中で1時間座っていましたので、30分と45分では、座禅を行なったという感覚はありません。

 当初は、胡座を組んで長時間座っていたことが、ありませんので、当然の如く足はしびれました。 足の痺れは慣れるに従い、痺れを殆ど感じなくなってきました。 

 大きく息を吸って、出来るだけゆっくりと長く吐く呼吸を、誰から教わることもなく、ごく自然に行なっていました。 禅宗のお寺で座り始めなかったが、幸いしたかもしれません。 従ってある意味で、私の坐禅の作法は我流なのですが、改めて生理学的にも力学的にも、理にかなっているのではないかとも思うのですが。

 吐く息を長く吐くときには、体の中の下腹の臍下丹田へ向けて吐きます。 自分自身で吐く息が、体の中へ入っていくのを実感するために、息音が聴こえるように吐きます。 また息が入っていくのを追うようにして、そのことだけに意識を集中します。

 すると、いつの間にか1時間は、あっという間に過ぎていきます。 これが座禅時間なのかなあとも、思ったことがあります。