ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

新聞広告で 健康長寿の脳科学 が目に止まって

2014-09-30 07:43:10 | 

 朝、半身浴を行いながら前日の新聞を読んでいたら、広告の「健康長寿の脳科学」というタイトルが、目に止まりました。

 

 脳神経外科医の山本勇夫さんの著書です。 日頃から脳への刺激を行い、好奇心と満足を与え続ければ、健康に老いていけるといいます。

 

 思い切って笑う。 このことによって血糖値が下がり、免疫力が高まる。

 

 おしゃれを意識する。 このことによって、うつ状態を抑制する。

 

 色気を忘れず、快感ホルモンで脳が生き生きする。

 

 肉類を積極的に食べて、抵抗力、筋力、脳の働きを向上する。

 

 このようなことが広告欄に、書いてありました。 肉よりも魚と野菜は、多く摂りたいとは思いますが、その通りだとは思います。

 

 更に、深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸を行うというタイトルがあれば、この本を読んでみる価値があるのですが、残念ながら、そのタイトルはありませんでした。


大変な時にこそ山をどう乗り越えようかと考える

2014-09-29 07:59:38 | 健康づくり

 私は、これまで寝汗をかきながら1ヶ月、問題解決できないことに出食わせて、悶々としながら生活をしてきたことがあります。 思い起こすと2度ほどあったかもしれません。

 

 そのことを通して、決してそこから逃げ出しては、問題解決にはならない、むしろマイナスのことを、どのようにプラスに変えられるかを、考えることによって明るい解決策が浮かんでくることが分かってきました。

 

 困った困ったと思うだけでは、問題解決にはならないし、むしろ体の中に変な分泌液が充満し、病を引き起こし、更に問題解決から遠のいてしまうということを感じたのです。

 

 従って、それからは問題解決しなければならないような困ったことが起きた場合には、先ず素直にそれを受け止め、慌てずどのように解決できるかを考えるようになりました。

 

 確かに困った状態であるには違いありませんが、それを明るく前向きに建設的に考える事によって、意外と良い考えが浮かんでくるものです。

 

 15年ぐらい前から、呼吸法を伴う座禅を、1時間行うようになってから、更にそのことを強く感じるようになりました。 現実的には厳しいことかもしれませんが、そこにある大きな山を、どのように乗り越えていけるかを、楽しみながら考えて行ければ、なお良いに違いありません。


心身の深層部までもが静かになるまで只管長く吐く呼吸を

2014-09-28 08:01:35 | 逆腹式呼吸

 深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸は、はじめは吐く息が体の中へ入って行くのを実感できるように、ウーンとかスーとか息音が聴こえるように、出来るだけ長く吐きます。

 

 全部、吐き切るように吐きます。 ただし全部、吐き切ってしまうと後が続きませんので、そのちょっと手前で軽く息を止め、また大きく息を吸います。 無理をしながらも決して無理をせずという感覚が大切です。 無理をしながらも、流れるような自然な雰囲気を持つことが、大切なのです。 このことは全ての事柄にも当てはまる真理だと、思っております。

 

 吐く息が体の中へ入って行く感覚に慣れてきたら、今度は一転して出来るだけ静かに吐きます。 息音が殆ど聴こえないぐらいに、静かに吐きます。 この呼吸の深化の過程で、自分が呼吸をしているかどうか分からない感覚になった時に、その意味が分かってきます。

 

 深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸は、体の生理に合った呼吸法ですので、この呼吸を継続的に毎日1時間、胡座を組んで続けて行けば、私たちが生来、持っていた機能を回復することになります。

 

 またこの呼吸法を続けて行けば、必ず体の微妙な変化をもたらします。 その微妙な変化を楽しみながら毎日を過ごせば、全ての生活が楽しくなってくるのは、間違いありません。

 

 ただ1時間座っているだけで楽しいのですから、全ての事象(動くことを通しての)が楽しくなるのです。


公園緑地の花作りをしている石合さんから話を聴いて

2014-09-27 10:46:55 | 友人

 

 今朝の朝歩きをして、いつも出会うと一緒に歩くご婦人に、今日は天気が良いので、きっと鶴牧の芝生の山に登れば富士山も見えるでしょうと、いつもと違う遠回りをして歩きました。

 

 残念ながら雲がかかって見ることは出来ませんでしたが、昨日会えなかった石合さんに会いたいと宝野公園の緑地に、歩いていきました。

 

 遠くで通りがかりに人と立ち話をしている石合さんを見つけ、手を振って挨拶をしました。 一緒に歩いているご婦人は、会えた嬉しさからか満面、笑みが溢れるばかりです。

 

 石合さんが話してくれるには、少し離れた鶴牧の戸建ての住宅を買われた方が、駅までの通り道で花で満たされたそこの地があるのが、買うことになった決め手であると、云われたそうです。

 

 また少し離れた貝取や豊ケ丘に住まわれている方々が、この花作りをしている地に、散歩で来るのが楽しみだとも話してくれるとも、云っておりました。

 

 そんな声を聞くと、ますます花作りをする励みにもなると、話してくれました。 そんな会話を嬉しそうに聞く、一緒のご婦人の笑顔が、印象的でした。

 

 今朝は、待っていたかのように月に1回、私のところへ来て、話をされていくご婦人が、今ちょっと前に帰ったところです。


一心不乱に長く吐く呼吸に意識を集中する

2014-09-25 06:56:24 | 座禅

心を一つにすれば乱れることはない、というのが「一心不乱」の意味になるのだろうか。

 

 まさに、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐き、吐く息を体の中へ吐き、体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中します。

 

 すると他のことは頭には浮かんできません。 また長く吐く呼吸に意識を集中していると、時間はあっという間に過ぎていきます。 胡座を組んでの座禅は、1時間以上行うのが、座禅の真髄を感得するには、とても大切なことです。

 

 座禅の会を行っている禅宗のお寺では、30分を途中の休憩を挟んで、2回行うのが一般的のようです。 私は初めが肝心だと思っております。

 

 心身が心底、静かな状態になるには、最低45分から1時間かかると感じています。 45分よりも1時間のほうが良いのです。 45分で静かな状態になったとしても、静かな状態を引き続き15分継続したほうが、より良いものを感得することになるからです。

 

 床に薄い座布団をお尻に敷いて座ります。 はじめは普通の胡座でもよく、余り形に拘る必要はありません。 いずれ座禅の座り方は、何故、結跏趺坐なのかを、長く吐く呼吸を通して感得することになるからです。

 

 肩の力を抜いてリラックスします。 頭のてっぺんが天から引っ張られているように、上体を維持します。 決して姿勢を良くしようとして、胸を反らせてはいけません。 

 

 基本的には床に対して上体は、垂直になるように座ります。 物理の授業で習ったかもしれませんが、上体の荷重は床にかかりますが、床から上体の荷重の反力を受け、上体の中は力がかからない状態になるのです。

 

 上体が垂直でないと、上体の重心は垂直上からずれますので、上半身には力が掛かってしまうのです。 そのような状態では、長く座り続けることはできません。


私が天に還ったら骨灰にして大地に返してほしい

2014-09-24 08:23:42 | 自然

 昨日は父母のお墓参りに、秩父まで家族3人で行ってきましたが、寄り道しながら車で片道3時間は結構、眠気を模様すことになりました。 今までは、そのようなことはありませんでしたが、事務所に立ち寄ってから、改めて考えてしまいました。

 

 父が交通事故で天に還ってから、毎年春と秋のお彼岸の時期に、家族と一緒に秩父までお墓参りに行くようになって、37年になります。 母とも30年近く一緒にお墓参りに行きました。

 

 連れ合いが春に杉の花粉の里には行きたくないとて、小山の大泉寺の墓地を買ってからも15年以上経過しています。 従って秩父のお墓は、弟に譲りました。 

 

 そんなことを体験しながら、私たちの体は大地に返すべきではなかと、思うようになったのです。 呼吸法(長く吐く呼吸)を伴う座禅を通して、私は自分の体の中に、生命体(霊ともいうべきでしょうか)を意識するようになりました。 生命体は、生命を失ったときに、そっと体から抜け出して、天に還っていくと感じるからです。

 

 大地に還すか、大海に還すかは別として、お墓の中にその生きていたという証拠とも云うべき骨が、壺の中に入っているよりも、大地に返るのが一番良いのではないかと思うのです。


住吉駅交差点角の深川めしでお昼ご飯を食べてご主人の愛情を

2014-09-23 17:04:23 | 食べ物

 昨日は、高校の級友の古い家の耐震調査を行いに、都営地下鉄住吉駅からすぐ近くに家を持つ、級友のところへ行ってきました。 彼女は東京生まれで、ご主人もその住吉の家で育つものの、勤めの関係で関西に移り住み、30年が過ぎました。

 

 諸々の事情で、関西で根付いた根っこを断ち切って、また住吉の地に住まうべく、2階建ての木造住宅の耐震調査を行い、リフォームをして住むべきか、他の地に住むべきか、ご夫婦で思案中のようです。

 

 関西から時々、東京へ出てきた時の仮の住まいとしてしか、利用していなかったため、かなり傷んでおりました。 

 

 お昼ご飯は、住吉駅の交差点の角にある居酒屋「すみよし」で、深川めしを食べました。 あさりの入ったご飯と、色々な種類の魚のあらを煮たものと、マグロのかき落としと、クラゲの刺身とタコの酢の物、それに添えるように青のり等のつまと、魚のアラに青のりが入ったお吸い物、お新香でした。 これで1100円でした。

 

 食べながら、とても美味しく感じ、写真を撮っておけばよかったと思ったぐらいでした。 一つ一つの食べ物に、そこのご主人の丁寧な愛情を感じながら、楽しく食べさせていただきました。

 

 ぶらりと入ったお店で、これほどの優しいもてなし(さりげないのですが)を感じるとは、驚きでした。 ご主人の笑顔も、とても素敵でした。 ありがとうございました。 級友にも感謝です。

 

 今日は朝から、秩父まで家族3人で、父母のお墓参りでした。 片道寄り道しながら3時間の道のりです。 お墓の掃除をして、お線香が消えるまで、お墓の前におります。 お昼ご飯は、最近では「スシロー」で食べます。 不思議なことに、幸せな気分になるのです。


振動で地震かなと思うことがよくあったのですが

2014-09-20 09:21:34 | 

 我が家での生活は、床の上に座布団を敷いて胡坐を組んで座る生活が、長く続いています。 いわゆる食卓テーブルに向かって、椅子に座るということはありません。

 

 新婚生活時は2DKの平屋で、食卓テーブルもなく生活をしておりました。 娘が産まれて1歳になるときに、多摩ニュータウンの住宅が当たって、3DKの家に引越しをしてきました。

 

 その時には、何となくあこがれていたのか、大きな居間兼食卓テーブルを買い求めたのですが、6帖の部屋いっぱいになるような家具で、長男が生まれてまもなく、大きすぎた家具を捨てることになりました。

 

 それ以来、いつも床の上に座布団を敷いて、座る生活が続いています。 大きな家に引っ越したときにも、ソファーは存在したものの、同じように床に座る生活が続いていました。

 

 16年前に生まれて初めて座禅(静功)を行なう前から、床に座っているときに時々、地震かなあと感じることがあります。 振動を感じたのです。 そんなときには、天井からぶら下がっている照明を、よく見たものです。 地震ではなかったのです。 何か分からないけれど、振動を感じたのです。

 

 呼吸法を伴う座禅を行なうようになり、1ヵ月半で下腹の臍下丹田が心臓のように鼓動をはじめてから、改めて以前、地震かなあと感じた意味を、認識しました。

 

 心身ともに疲れてきたときに、下腹にある臍下丹田が動いていたのかと感じたのです。

 

 現在では、私は心臓の動きは分かりませんが、丹田の動きを感じながら、毎日の生活をしております。 定期健診でX線室で、レントゲンの撮影を行なうときや、歯の治療を行なうときに、特に大きな動きをします。

 

 体の上半身に流れる気の循環を、いつも感じながら日常生活を送っております。


適度な緊張感を持ちながら生活をするのがボケ防止になるのかな

2014-09-19 09:26:48 | 健康づくり

 歳をとるまでは考えたことがなかったのに、知人が最近痴呆気味になったらしいなどと聞くと、加齢化とともに、外に向かって適度な緊張感を持ちながら生活をするのが、長生きの秘訣ではないかと、思うようになりました。

 

 それだけ自分も歳をとってきたんだということを、実感している証拠かもしれません。

 

 仕事を現役で続けていると、何らかの形でプレッシャーを感じることがあります。 いわゆるストレスというものでしょうか。 

 

 朝歩きをしていて出会う方に、昼間はどのような生活をされているんですか、と先日、聞いてみました。 すると朝歩きと体操が終わったら、朝ご飯を食べてから新聞などを読み、うとうとしながらすごした後、お昼ご飯を食べたら近くのコミセンに、囲碁をしに行くという話でした。

 

 退職1年前ほどから始めて、当初5、6級だったが現在は5段と云われているとのことでした。 私の周りでも囲碁をされている方は、多いようです。

将棋よりも囲碁のほうが、感覚的に打てるからよいと思っているようです。


お母さん猫のエルちゃんから学んだこと・子へのしつけは母が

2014-09-18 08:13:43 | 

 我が家のお母さん猫のエルちゃんは、子供の頃にしっかりとお母さんから、色々と教えてもらっていたのか、とてもしっかりとした賢いお母さん猫でした。

 従がって自分の子猫たちにも、その教えを伝えたようです。

 

 おしっことウンチの仕方が、家で猫ちゃんを飼うときには、とても大切なことです。 然るに1年後に我が家のお父さん猫になったジュンちゃんは、ブリーダーのお宅から買ってきたので、しっかりとお母さんから教えてもらう時間は、なかったようです。 生まれてまもなく、貰われていってしまうからです。

 

 それでもお父さん猫のジュンちゃんは、誰が我が家に来られようとも、多くの子猫ちゃんたちと一緒であったためか、物怖じせず堂々と対応しておりました。

 

 エルちゃんはシャムが強いヒマラヤンで、ジュンちゃんはペルシャが強い猫ちゃんでした。 生まれてきた子猫たちは、ちょうど両親のよいところを貰ってきた感じがしました。

 

 近所の子どもたちの姿を見るにつけ、どれ程の教育、しつけをお母さんから受けてきたのだろうかと、思うことはしばしばです。 子どもを見て親の考え方も分かってしまうのです。

 

 道を歩いていると、食べたものの袋が、捨てられていると、とてもがっかりします。 その子の親も、多分、しつけを受けてきていないだろうなあと、想像できます。

 

 お父さんよりもお母さんがしっかりしておれば、子どももそれなりに育っていくように思うのです。 しっかりもののお母さん猫のエルちゃんを、時々思い出すのですが。