ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

伽羅の入ったお線香

2009-04-30 18:41:36 | 自然
 先日の普門庵での座禅会の後の茶礼で、参加者の一人が2回行う時のお線香の種類が違うようですがと、和尚さんに尋ねました。 私はお線香の煙が微妙に鼻の奥を刺激し、それをじっと耐えるので精一杯ですので、匂いのことなど一切気がつきませんでした。

 和尚さんは2種類のお線香を使い分けているようで、沈香と白壇であることを教えてくれ、それぞれがお線香を回して、匂いを嗅がせてもらいました。 伽羅のお線香は1本2000円もし、松栄堂で1箱30000円するという話も聞きました。

 ちょっと甘いような匂いがするそうですが、是非一度、買う機会があれば買って、お線香の匂いは苦手ではありますが、伽羅の匂いをかぎながら、座禅を行ってみたいなあと思いました。 また楽しみが増えました。

認知症にならないために逆腹式呼吸を

2009-04-29 09:41:10 | 逆腹式呼吸
 深夜静かな暗闇の中で、ひとり座禅を行っていますと、体の中を流れる気が脳を快く刺激してくれます。 これだけ日常的に脳細胞を刺激してくれれば、脳の老化も遅れるのではないかと、いつも感じる毎日です。

 肩の力を抜きリラックスし、吐く息をゆっくり吐き、吐く息を体の中へイメージで吐き、吐く息だけに意識を集中する胸式肺呼吸ー逆腹式呼吸を、日常的に行っているだけで、脳の老化を防ぐことが出来ます。

 胡坐を組んだ座禅の姿が理想の姿ですが、椅子に座っても立ちながらでも、呼吸法は出来ます。 

 イメージしながら息をゆっくり吐きますと、自分の思うように体の中の気が動いてくれるのを、感じるようになってきます。 体のなかへ息を吐くようにイメージしますと、自分では分からないのですが、宇宙の気が体の中へ入っていくのです。

 私達の体の中には目には見えないのですが、神経の線に沿って流れる気の道ー径絡があるとされ、吐く息をゆっくり体の中へ吐く事によって、お母さんのお腹から出て以来、使われなくなっていた経絡を刺激し、気の通りを良くするようになって来ます。 

 吐く息をゆっくり体の中へ吐く事によって、気の通りを良くし、結果的に神経の線を刺激します。 神経の集中する脳細胞をも刺激し、恒常的に脳細胞を活性化し続けるのです。 したがって脳の老化を防ぎ、認知症も防ぐことにつながります。
 胸式肺呼吸ー逆腹式呼吸を始めてみましょう。

 

イチョウの木の花を知る

2009-04-28 07:16:45 | 自然
 桜の花が散ると同時に、すぐに木元には花芯が落ち、道端のすそをエンジ色に染めています。 もうすぐ今度は花の実の小さなさくらんぼが落ちて、赤紫に染めるようになるだろうと想像できます。

 先日の雨と風で早朝に歩いていくと、大きなイチョウの木の下に、何やらいっぱいに落ちているものがありました。 改めてなんだろうとよく見てみると、なんだか分かりませんでした。 もしかしたらイチョウの木の花ではないかと思い、イチョウの葉の周りを見てみました。

 すると薄い萌黄色をした目立たない小さな花がありました。 これが落ちていたんだと感じました。 葉の色と殆ど同じで隠れるように花が咲いていたので、今までまったく気がつきませんでした。 よく考えてみれば、銀杏がなるので花が咲いていないほうが、不自然だったのです。

 一般的には葉っぱと違う色をした花が、咲くものと思っていますので、気がつきにくい植物もあると、改めて感じたしだいです。 いつも見ている景色でも、ゆっくり見ていくと、違った感覚になるということも知りました。

力を抜くー座禅の時には半眼にするのではなく半眼になる

2009-04-27 07:30:15 | 座禅
 座禅のときに、よく半眼にしなさいという話を聞きます。 目である一点を見ることは、凝視することによって力がかかります。 半眼にして目をうつろにするということのようです。

 ここで、私達は目を半眼にすることには慣れていませんので、はじめの内は半眼にする意識をすることも、大切ではありますが、座禅のときにあらゆる力を抜くという観点からは、半眼にすることを意識することも、力がかかることになります。

 私は、毎月2回日曜日の早朝に参加している普門庵の座禅会で、和尚さんから「半眼にしなさい」と目を瞑って座禅を行っていることを、注意されました。 いつも深夜に自宅の寝室で、暗闇の中で座禅を行っているのですが、暗闇ですので目を瞑るも半眼にするのも、意識したことはありませんでした。

 和尚さんには言われたけれど、どうして半眼にしなければならないのかを、いつも座禅の雑念の中で、考えることになりました。 自分なりの結論は、半眼にするのではなく、半眼になるということです。

 胡坐を組んだ座禅では、一見静かに行っているようですが、体の内部も含めて目には見えない部分で、活発に活動しているのです。 座禅では全てを静かにする必要があるのです。 静かー力を抜くことによって、目は半眼になるのではないかと考えるに至りました。

 私達が天に還るとき全ての筋力が抜け、内臓からは大便や小便が出てきます。 そのとき当然、目も力が抜け半眼になるのではないかと思ったのです。 究極的に力が抜けると、目は半眼になるということです。

 したがって、目を半眼にするのではなく、目は半眼になるように力を抜くということになります。 座禅を楽しんでください。

灰かぶりの陶器が自然な美しさを表す

2009-04-26 16:08:30 | 文化
 熊本に住む友人が、自宅に近接して工房をつくり、小さな釜を作って陶器作りをしながら、生活をしています。 東中野で作品展を行っているというので、昨日久しぶりで会ってきました。

 友人は昔、相模原で4人の家族が、1軒の家で共同生活をしていたことを聞き、そんな生活にあこがれたりした記憶があります。 友人とは、地域の生活共同組合の専従と組合員の関係でしたが、私もたまたま事務所勤めをしながら、理事長を2年したことがあり、職員の方たちとも親しく話し合いをした経緯もあります。

 展示してある陶器の中でも、微妙な色がついたものがあり、改めて作り方を聞きました。 火力は全て蒔きにより、特に赤松がその微妙な色合いを出すということでした。 全て赤松ばかりですと資源にも限度があり、はじめは雑木などの薪をつかい、最後のほうに赤松を使うということでした。 陶器に灰がかかることにより、色づくようです。 

 雑木類は、間伐した近在の農家の方が、持ち込んでくれるのですが、赤松だけは調達する必要があります。 本人は小さな釜も作り、自分で作った陶器の上にパン生地を載せて、パンを作ったりその他陶器を利用した料理作りの工夫もしながら、作品を売ることを考えていました。

 中近東風の飲食店で、それ風の食事やアルコールを楽しみ、店を改めスペインのワインを飲みながら、スペイン語の歌を聴くという楽しいひと時を過ごしました。 

力を抜くー胡坐を組むときにはお尻で上半身を受け止める

2009-04-25 16:05:49 | 座禅
 座禅のときの胡坐組み方について、禅宗のホームページから見ると、両膝とお尻の3点で上半身を維持しなさいと書いてありますが、私はこの方法では両膝に力がかかり、体全体の力をいかに抜くか、抜けるかを考えるときには、よい方法とはいえないと感じております。

 座禅では上半身を筋力がかからないように、直立に維持しながら、長時間胡坐を組む必要があるのです。 私は主にお尻を中心として、お尻全体で上半身を受け止め、両膝はあくまでも直立状態を維持するためだけに、支えるような感じで維持するべきではないかと、いつも深夜の1時間の座禅の雑念として、考えています。

 お尻をちょっと高くして両膝も、上半身の維持の負担がかけるのは、長時間の座禅に耐えられないのではないか思っています。 私自身はまだ続けて3時間の座禅しか、行ったことしかありませんが、そのことによって足が痛くなることはありません。 また痺れることもありません。 胡坐に慣れるまではありましたが。

 頭のてっぺんが天から引っ張られるような感じで、上体を維持します。 腰痛で長時間座禅時間を続けられないと感じられている方でも、上記のような座禅の組み方であれば、1時間以上の座禅は続けられると思っています。 座禅は楽しい。 座禅を楽しんでください。 

欲望を満たせば、さらに次の欲が沸いてくるものです

2009-04-24 09:58:17 | 
 私達は、何かをほしいと思い、何らかの対価でそのものを買った場合、不思議なことに、そのものをほしかった思いがすーっと抜け、すぐさま次の欲望を求めることになってしまいます。 

 先日来、2011年にはテレビの受信がアナログではなく、地上デジタル放送でなくては見えなくなるというので、32インチの液晶テレビを買いたいという思いを持っていました。 定額給付金が入ったならば、液晶テレビと地デジ対応のブルーレイのレコーダーを買う一部にしようとして、先日、連れ合いと娘が相談して手配し、早速見ることが出来るようになりました。 ブラウン管のテレビは、まだよく見えていたのですが。

 XPのノートパソコンのCPU-演算速度が遅く、新しいものを買いたいと思いながら、昨年はディスクトップ型の演算速度の速い、デルの製品を買い求めました。 ノートパソコンはお客さんんの所に行ったときや、多くの人の前で何かを表現するときには、必要になるものです。

 XP対応のノートを買おうと思っていたら、ウィンドウズ7が来年には発売される雰囲気になってきました。 もうXPは安くても買うのはやめにしました。 勿論ビスタは買うつもりはありません。

 どうも欲望とか願望は大きく、なかなか果たせないものを持ったほうが、よいのではないかと、最近改めて感じるようになってきました。 どんな小さな欲でも、それがかなえられると、すぐまた次なる欲が沸いてきてしまうものだと、思うのです。 私達は人間ですから、欲を捨てるということは、出来るものではありませんが、人生を通しての果たせぬ欲望とか願望は、満たすことはなかなか出来ないので、持ってよいのではないか、むしろそのような夢を持つべきものではないかと、最近になって感じることなのです。

力を抜き自然の動きに委ね自然の摂理に従う気持ちが大切

2009-04-23 06:58:30 | 座禅
 座禅を行うときにもっとも大切なことは、肩の力を抜いてリラックスし、自然の動きに任せたうえで、自然の摂理に従う気持ちを持つことです。 吐く息をゆっくり吐き、吐く息を体の中へ吐き、吐く息に意識を集中しながら、座禅を行っていきますと、私達の体に微妙な変化を与えることになります。

 座禅は静かに体を動かさずに、呼吸だけに意識を集中して行いますので、ちょっとした体の変化も、感じ取ることが出来るのです。 体を動かしていては感じることの出来ない、微妙な変化をです。

 吐く息をイメージで体の中へ吐く事によって、私達が生来持っていた気感を、取り戻すことになります。 お母さんのお腹にいたときの呼吸ー気の呼吸を、思い起こさせるのです。 

 座禅を通してのここでの呼吸法で、息をゆっくり吐きながらイメージすると、イメージしながら息をゆっくり吐くと、体の中の気が自分の思うように動くということを知ることになります。 実感するのです。 体感するのです。 それを感得といいます。

 体の変化は微妙なものだけとは限りません。 ここでいう呼吸法を続けて、体内の気が充実してきますと、ある日突然、自発動という気が勝手に動き始めることにも、遭遇することにもなります。 そのときには驚くことなく、その動きを楽しむ気持ちが大切なのです。 自発動は起こるべくして起こるのです。 全てのことも起こるべくして起こるのです。

 座禅のときだけでなく、日常生活においても、いつも肩の力を抜いて自然体でリッラクスし、自然の動きに全てを委ね、自然の摂理に従う気持ちを持っていれば、何事も驚くこともなく、むしろ楽しむ気持ちがわいてくるものなのです。

 愉快なことは楽しいのですが、つまらないことや困ったことが起きても、それを楽しむ気持ちが出てくるものなのです。 座禅を通して、いつもそのような気持ちで生活が出来るようになれば、一番よいことなのですが。
 

日常的に逆腹式呼吸を行えれば

2009-04-22 11:13:37 | 座禅
 吐く息をゆっくり吐き、吐く息を体の中へ吐くようにイメージし、吐く息だけに意識を集中する呼吸法を、座禅の時だけでなく、日常的にあらゆる時間、場所で行うように心がければ、座禅時間の1時間はあっという間にきてしまいます。

 吐く息は出来るだけ長く吐きます。 全部吐ききると苦しくなりますので、そのちょっと手前で静かに止めて、また大きく吸います。 息を途中で止めたりする呼吸法もありますが、出来るだけ自然に行うほうがよいと思っています。

 体の中へ息が入っていくのを実感するために、はじめは吐く息がよく聞こえるように、息音をたてるようにするのが、この呼吸法のコツです。 息音を静かに行うと、体の中へ吐く息が入っていくのを、自分自身で実感でないので、余りよいとは思えません。

 息音をたてなくするのは、吐く息が体の中へ入っていくのが実感できるようになってからでも、遅くはありません。 

 息音をたてるような呼吸法が、スムーズに出来るようになれば、日常的な普段の生活の中でも、自然に体の中へ吐く呼吸が、自然と出来るようになり、また無意識の中に吐く息が体の中へ入っているのを、知ることになります。

 私は家族から時々、変な呼吸の仕方をしていると指摘されますが、吐く息を体の中へ吐くことが、身にしみてしまっているため、「スー」とか「はー」とかいう体の中へ吐く息音が聞こえているからです。

 

南田洋子さんのドキュメンタリーを見てーセカンドオピニオンの大切さを知る

2009-04-21 13:55:30 | 
 アルツハイマー病になり、自宅で夫の長門裕之さんが介護している姿を、同じような環境の人たちにも含め、多くの人たちにその現実を見てもらいたいという長門さんの願いもあり、ドキュメンタリータッチで、昨日テレビ放映されていました。

 専門病院の診断で、南田さんはアルツハイマー病と診断され、それなりの治療を受けながら介護生活を送ってきたのですが、一度、総合的に診てもらおうと精密検査を受けました。 すると肝臓機能の低下による脳への影響があり、結果的に農のアルツハイマー化が始まったということが分かりました。

 専門病院でのアルツハイマー病だけの治療では、不足していたことになります。 もっと早く別の病院で、セカンドオピニオンという形で診察を受けていれば、もっと違った経過があったかもしれません。

 昨年から今年にかけて、脳梗塞も併発し、病院に入院しての治療を受け、再度、自宅へ戻っての介護の生活が、始まっていました。 長門さんの長期地方での公演があるときには、泊り込みでの介護する人を雇ってのことも、映し出されていました。

 南田洋子さんが、脳が萎縮しつつある中で、長門さんとのやり取りを見て、聞いて、改めて人間の尊厳の大切さを知るドキュメンタリーでした。 とても心に残る映像でした。 普段は早々に寝てしまっている時間でしたが、晴れ晴れとした爽快感があるのは、不思議な感じがいたしました。