ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

日本固有の手形の文化をなくした竹中平蔵氏と小泉元首相

2011-08-30 09:20:55 | 文化

 昨日は数字に明るい友人と、ホテルの飲食店でのバイキングで、アルコールを飲みながら様々な事柄について、遅くまで話をしました。

 その中で面白いと感じたのが、日本の手形の文化のことでした。 江戸時代になって、商取引が盛んであった大阪と江戸の間で、あらゆるものの取引が発生しました。

 大阪のほうから江戸で必要なものを送り、物を受け取る側は現金ではなく、約束手形を発行したというのです。 物が売れたらいくら払うという約束手形です。

 この約束手形が契機となり、爆発的な商取引が発展したというのです。

 手形で商取引を行なうのが当たり前であった日本が、米国で主流であった古典派経済学を取り入れた形で、竹中平蔵さんが企業会計で手形を重要視しない考え方を、導入したというのです。

 欧米では手形の文化は無く、日本独特のものだというのです。

 もともと古典派経済学は、個人の利益を最優先する考え方をする経済学で、日本の独特の文化を壊した考え方であると、感じておりました。

 改めて手形の文化を壊してしまった竹中平蔵氏や、竹中さんを重用した小泉元首相の行なってきた行為に、怒りを感じたのでした。

 おかげで友人と別れるときには、肩も重く帰るのがしんどく、結果的に体重も1.5キロも増えてしまいました。

息を外に吐くというより体の中へ吐く・逆腹式呼吸

2011-08-29 15:49:13 | 逆腹式呼吸

 吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸。 意識しなかった呼吸を意識し、吐く息だけ出来るだけ長く吐く。 長く吐く息だけに意識を集中し、吐く息が体の中へ入っていくのを追うようにして行ないます。

 長く吐こうとして無理をしてはいけません。 自然の流れが大切です。

 大きく息を吸います。 吸った息の残りが口の中にあります。 その息をそのまま喉を通り、胸を通り、下腹の臍下丹田まで、ゆっくりと吐きます。

 鼻から息が出て行くことを一切忘れます。 息が体の中へ入っていくのを、自分自身が体感するために、聞こえるように息音をたてます。

 全部吐ききろうとしますと苦しくなりますので、そのちょっと手前で息を軽く止め、また大きく息を吸います。

 この呼吸を繰り返し繰り返し行います。 私は電車を待っている時や、電車の椅子に座っているとき、また事務所で椅子に座っているときも、あらゆる時間を利用して、この呼吸を練習していました。 軽く目を瞑り。

 長く吐く息の時間は、自然と長くなっていきました。

 この逆腹式呼吸を続けていきますと、自分では分からないのですが、体の中へ吐く息が、実は宇宙の気が、体の中へ入っていくのが分かってきます。

 体の中へ入っていった気は、体の中へは溜まりません。 どこか体の一部が悪くない限り、経穴という気のツボから、排出されます。 これは自分自身で体感できるはずです。

生死の分かれ道はどこで別れるのでしょうか

2011-08-28 11:17:56 | 生命

 今日の朝歩きの途中で、いつも会う方と久しぶりで、立ち話をしました。
仕事は第一線から引退しながらも、相変わらずひとりで出かけていっては、山歩きをされている方です。

 変わった岩石を求めて、沢登りもします。 昨年の3月に10m以上の岩山を登っている時に、雪で濡れた岩で足を滑らせて、下の岩山に落ちてしまったそうです。

 落ちたなと思った瞬間に、もう意識が無くなり、気がついたときにはその岩の上で血を流して寝ていました。 先ず、手が動くかどうか確認したところ、左手は動くものの右手は動かないことを、確認しました。

 勿論、携帯で連絡しようとしましたが、圏外で連絡のしようがありません。 最低限のものだけを持って、リュックは置いて行きました。

 足はどうやら動くようで、視界に入っている上のほうの山道を目指して、不自由な体で登っていき、2時間かけてやっとそこまで来て、疲れてそのまま寝てしまいました。

 気がついて更に近くの人家まで、たどり着き、救急車で病院に直行です。

 右腕側から着地したようで、そこがクッションになって、頭部の激突も出血はしたものの和らぎ、肺の周辺の骨も折れて内出血したものの、6ヶ月の入院生活をしたあと、無事退院されたそうです。

 現在も、すきあらば又山歩きをしようと、毎日2時間の朝歩きをしています。

 誰かに自分が守られている感じがしたことはありませんか、と訊ねるのですが、特に意識したことはありませんとのこと。

 改めて、生死の分かれ道は、どこにあったのかと思わざるを得ませんでした。

一つ一つの出会いを大切に・先ず自らの裸をお見せする

2011-08-27 08:19:55 | 自分

 一人の人間が、生まれてこの世から去るまでの間に、どれだけの人と出会えるでしょうか。 また、その出会いの中から、どれだけの人と心の友(心の襞のふれあいが出来る)と出会えるでしょうか。 私は一人いれば最高ではないかと思われます。

 そのためには、一つ一つの出会いを大切にしなければ、真の友は得られるものではありません。 私は、先ず自分自身の裸を、見ていただくように心がけています。

 2,3回ぐらいは私も裸になりますが、相手も裸になっていただけなければ、その後はそっと服を着るようにしています。 いつまでも自分だけが裸になっているのは、やはりみっともないからでしょうか。

 対象はお客さんであろうが、自分の仕事を手伝ってくれる職人さんであろうが、相手を区別することなく接します。 話し言葉も全ての人に対して、同じように話をします。 丁寧に。

 なかには人によって話し方が違ってくる方があるようですが、私自身はそのように区別・差別することは、余り好きではありません。 人によって違う話し方をするということは、それだけ気を使わなければなりません。

 誰に対しても同じような話し方のほうが楽なのです。 どのような立場の人であれ、基本的には全ての人は、対等ではないかと、いつも感じているからなのです。

 私は、初めてお会いした方でも、いつまたお会いできるかは分からないのです。 そのためにも、いつも先ず自らの裸をお見せすることによって、第1歩が始まるものと思っているからなのです。

肘を曲げず両腕を歩きに任せて前後に振るほうが自然

2011-08-26 15:16:04 | 健康

 ウォーキングのアドバイザーが、よく口にするのは、運動の負荷を高めるために、肘は曲げなさいといいます。

 私が朝歩きをし始めて感じるのは、肘を曲げて歩いている人の、歩く速度が遅いのです。 本人は早く歩いているつもりでも遅く、それであれば肘は曲げないほうがよいと思います。

 肘を曲げるということは、肩に筋力がかかります。 むしろ肩の力を抜き、両腕はだらりと下げ、歩くに任せて前後に振ったほうが自然です。

 上半身を頭のてっぺんが、天から引っ張られるような感じで維持し、肩の力を抜いて、歩くときには臍を中心にして、ちょっと体をねじるようにして、両腕は前後に自然の動きに振るのです。

 私がこの1年間でみてきた方々の中で、肘を曲げて歩いたほうがよいと思ったのは、一人だけでした。 その方の歩く速度は、肘を曲げて速く振り、それだけまた早く歩かれていました。

 私も含め、高齢者の方は、自分でも早く歩いているつもりでも、決して早くはありません。 そうであれば、出来るだけリラックッスしながら、早く歩いたほうが自然に見えます。 否、早く歩けないのに、肘を曲げて歩くのは、不自然に見えるのです。

自然の動きに任せ自然の摂理に従う気持ちがあれば

2011-08-25 06:17:25 | 座禅

 決して無理をせず、自然の動きに任せ、自然の摂理に従う気持ちがあれば、ひとりで座禅することができます。

 禅宗のお坊さんは、ひとりで座禅を行うのではなく、誰か指導者・和尚さんの下で座禅を行うことを、奨めます。

 どこのお寺に行くか、どこの和尚さんの指導を受けるかは、とても難しいことです。

 私が毎朝、座禅会を行なっている近くのお寺に、参禅したことがありますが、人間的にはとても魅力がある方なのですが、こと座禅に関しては、若いころに修行された時から、一歩も先に進んでおられない感じがしました。

 私自身が、誰かに指導されるのが苦手な性もあるのでしょうが、ひとりで胡坐を組んで、吐く息を出来るだけ長く吐きながら、座禅を行っているほうが楽です。

 自分の意思さえあれば、好きな時間、好きな場所で、座禅は出来ます。 何もお寺だけが座禅を行う場所ではありません。

 ひとり座禅は、自分の生活サイクルに合せて出来ます。

 お寺で参禅していただけなら、本当の意味で、現在、私自身が感じているような楽しみは、ありえなかったかもしれません。

 座禅は、自らの座禅を通して感得することが、とても大切なことなのです。 誰かから教わるのではなく、どこかに書いてあることから学ぶのではなく、自らの座禅から感得することが大切なのです。

食欲は健康の源と云うけれど

2011-08-24 07:00:00 | 健康

 食欲は健康の源と云うけれど、食べ過ぎれば飢餓に備えて、体内脂肪として蓄積されるように、私達の体は出来ています。

 若いころは、それなりに運動もし、適度に体を動かしていましたから、多少の食べすぎもエネルギーが完全燃焼して、太ることもありませんでした。

 歳をとるとともに、体を動かすことも億劫になり、食べる量が若いころと同じであれば、自然と体は太ってきてしまうのです。

 朝歩きをする前の自分の姿を思い浮かべれば、正にその通りであったのです。 改めて1年後の自分の今の姿と見比べてみれば、月とスッポンです。

静かを続けることによって座禅は更に深化する

2011-08-23 06:45:26 | 座禅

 私は、座禅時間は最低でも1時間は必要であると思っていますが、それは心身ともに静かになるには、1時間はかかると感じているからです。

 体の微細な部分まで、静かな状態になるには、それだけの時間が必要なのです。 自分で表面的に、静かになったと感じたとしても、深層部までは静かにはなっていないのです。

 座禅を始めた当初は、3時間行っていたことがありますが、今では1時間で止めてしまっています。

 最近になって、静かな状態をそのまま続けてみる気になっています。 座禅は何かを期待して行なうものではありません。 ひたすら胡坐をくんで、座っていることに意味があります。

 毎日が同じような体の微妙な変化が、あるものではありません。 微妙な体の変化を楽しみながら、座禅を行っています。

 静かな状態が続くと、どのような変化があるかは分かりません。 少しずつ座禅時間を延ばしてみようと思いつつあります。 とりあえず、今日の深夜は行なってみました。 楽しみでもあります。

運動不足・飲酒・喫煙が高血圧と糖尿病に導く

2011-08-22 06:57:56 | 

 昨日、近くに住む弟に会いに行きました。 いつも車の生活をしていて、どちらかというと体を動かすことは、余りありません。 またお酒が好きで、毎日のように焼酎を飲んでいます。 もっと悪いことに、タバコも吸うのです。

 聞けば、血圧が上が180前後になり、血圧降圧剤を服用しているということです。 幸いなことに、血糖値は普通だといいます。

 然しながら私の知人も、運動不足・飲酒・喫煙の3拍子がそろっていて、慢性膵炎を経由してか、現在はインシュリン型の糖尿病になっています。

 お医者さんからも、運動をしなさいといわれ、少しは歩くようにはなったようですが、先日、電話で話をしたら、雨が降っているからとか、暑すぎて熱中症になるからと、何かと理由をつけて、歩き続けることは長続きしないようです。

 私の親しくしている友人は、運動不足だけなのですが、高血圧と糖尿病であるようです。 運動不足と飽食が原因になっているのでしょうか。

私も友人と同じような体型であったのですが、1年前から朝歩きをはじめ、おかげさまで、どうやら数値が限界値を超えそうにもありません。 飲酒も友人と会ったときだけで、普段は殆んど飲みません。 タバコも吸うこともありません。

座禅で蓮の花の上に座っているイメージをしてみる

2011-08-21 06:54:01 | 座禅

お釈迦さまや観音さまの像が、蓮の花も上に座っているのを、よく見かけます。 
私も蓮の花の上で胡坐を組んで、座禅を行っていることをイメージしながら、吐く息を出来るだけ長く吐きながら、行なっていたことがあります。

写真や実物で大きく咲いた蓮の花をイメージします。

出来るだけ長く息を吐きながら、その蓮の花の上に座って、ひたすら座禅を行っている自分の姿を、思い浮かべます。

繰り返し蹴り返し、そのイメージを行ないながら、吐く息をゆっくり吐きます。

不思議なことに、体に微妙な変化をもたらします。 蓮の花は何か特別なものを、感じさせるものだと改めて思うのです。

蓮の花は、どろどろとした水の中から生まれ出て、美しい花を咲かせます。 蓮の花の意味を、改めて考えてみることになります。