私の座禅のスタートは、静功と云う静かな気功でした。 静功を指導された方は中国からの留学生で、35歳前後の方でしたが、子供の頃から気功を行なっておられた方でした。 いわゆる意念派と呼ばれる、胸の中心を燃えるようにイメージしなさいと云う指導でした。
呼吸のことについては特段、こうしなさいと云うものもなく、普通呼吸で行うようなものでしたが、私自身は事前に本屋さんで見つけた、初心者の気功入門 と云うような本を読んでいて、長く吐く呼吸の大切さだけが、意識に残っておりました。
従って子供の頃に行っていたラジオ体操の時の深呼吸の要領で、はじめに大きく息を吸ってから、ゆっくりと長く息を吐く呼吸を行なっておりました。 生まれて初めての胡座を組んでの座禅らしきものでしたので、当初は胸の中心が燃えるようなイメージをするものの、私自身は長く吐く呼吸だけに意識を集中しておりました。
後年、座禅の素晴らしさを感得した時に、改めて禅宗のHPを見て、何処で座禅会を行なっているか、座禅の作法はどのように着さしされているかを確認致しました。
曹洞宗は、普通呼吸を行いながら半眼で意識を集中すると云うやり方で、臨済宗・黄檗宗は長く吐く呼吸に意識を集中すると云うやり方でした。
私は眼を半眼にしながら意識を集中するやり方では座禅を行なったことがありませんが、私の体験から眼は半眼にするものではなく、半眼になると云う考えを持っておりましたので、半眼で一点を見つめながら意識を集中するのは難しいと感じております。
曹洞宗のお寺は臨済宗・黄檗宗に比べれば、圧倒的に多いにも拘らず、座禅会を行なっているお寺が少ないのです。 そのことからも座禅の修行をされて住職に成られても、自身の体験から座禅会の開催を躊躇されている方が多いのだろうと推察されました。
それに比べて臨済宗・黄檗宗のお寺は少ないにもかかわらず、座禅会を行なっているお寺が多いのです。
但し臨済宗・黄檗宗の呼吸法は、空の理念 からはじめに息を吐き出します。 と同時に下腹からも吐き出します。 私の体験から、長く吐く呼吸を行おうとした時には、はじめに大きく息を吸うのが自然です。 また、肺の動きと下腹の臍下丹田は同期しません。 否、逆の動きをするのが体の自然な生理的な動きなのです。
肺で息を吸う時には臍下丹田は気を吐くのです。 肺で息を吐く時には臍下丹田は気を吸うのが自然の動きなのです。
ここでの深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸を行うことによって、生来持っていた機能-気感を取り戻すことが出来るのです。