ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

弟の家族葬に明石の従兄弟が前日に来られて会食して

2018-10-30 00:26:42 | 家族

弟が27日に天に還って行って、家族だけの家族葬を行うと決めたけれど、どうしても明石の従兄弟の博文には連絡だけはしなくてはと思い、息苦しく呼吸を行なっている弟を見て、電話で病状を話しました。

明石は毎年夏が来ると、7月21日に東海道線で大阪経由で行き、8月31日まで過ごしたほど愛着を持って、接してきた従兄弟たちがおります。 従兄弟以上、限りなく兄弟に近い関係ではなかったかと思い起こさせる関係です。

30日の午前中に家族葬を行うと言う事を聞いて、50年近く会ってはいない弟に一目会いたいと、明石から来てくれました。 出来れば生前に会って話をしたかったと云うのですが。

午後3時ごろには多摩センターに着いて、駅前の京王プラザホテルにチェックインして、2階のデユエットでコーヒーを飲みながら、弟を中心話題にしながら近況や思い出について話をしました。

席を変えてアルコールを交えながら、三日月庵でツマミを摂って、従兄弟の故 義郎ちゃんや敏江ちゃんのことを話題にして、楽しく過ごしました。

明石の海岸で泳いで遊んだこと、野球や石蹴りをしたこと、地蔵盆でお米を持ってお菓子をもらい受けたこと、盆踊りをしたこと、従兄弟が集まって従姉妹の住まう呂屋で遊んだことなど。 益ちゃん、逸っちゃん、理美ちゃん、ひろみちゃん、シゲ子ちゃん、一美ちゃん、たかよちゃん。

母の兄弟の従兄弟たちとは、何とも云えぬ関係があります。 改めて弟のことを通じて、様々なことを思い出すのです。


弟が天に還って行きつつある姿を身近に観ていて

2018-10-28 02:00:58 | 生命

5歳下の弟から7月30日に、緊急で入院したと電話連絡があったのが、31日の早朝でした。 腸閉塞で便秘が続き、食事も満足に出来ないとの話の内容でした。 連れ合いが早朝のアルバイトで連絡がつかないので、直接、連絡してほしいとのこと。

早速、10時過ぎに連絡が出来て、一緒に多摩南部地域病院に向かいました。 聞けば10日ほど便秘が続いていて、水分を摂りながら仕事(生活)をしていたと云うのです。 後から判明したのは、2週間便秘が続いていたと云うではありませんか。

検査の結果S状結腸部分にガンがあり、その部分で腸が狭くなって便が出ない状態になっていると云う。 また腸の一部に穴が開いていて、腹腔内に食べたものの一部が漏れて、腹膜炎も起こしているとのこと。

その後の担当医師の説明では、大腸ガンのステージⅣの病状であり、余命1年か場合により3ヶ月かであるとのこと。8月18日に退院して、9月10日に2泊3日で抗がん剤治療が出来るように、その受け入れ口を胸に作るために入院しました。

13日に退院するも入院中から胃に違和感があり、食が進まないと話しておりました。

9月26日に治療のための入院があると云うので、家まで迎えに行きました。 すると退院時とは全く違った様相をしておりました。 食欲が無く殆んどジュース類とかヨーグルトしか、口にしなかったと云うではありませんか。

治療のための入院にも拘らず、殆んど現状の状態を維持することとなり、昨日(10月27日)の夕方に天に還って行きました。 昼過ぎに見舞いに行くと息をするのがやっとと云う状態で、酸素マスクをしながらも、側にいてもこちらが息苦しくなるような雰囲気でした。

その前の晩から余り寝ることが出来ず、少し強めの睡眠導入剤の点滴を行うかどうかの家族への相談がありました。 結局、その睡眠導入剤のしようが始まると、まもなく寝れる状態になると同時に、しばらくすると息もしなくなりました。

私自身は、暫く席を外していたのですが、連れ合いからの電話連絡で駆けつけましたが、病室に入ると同時に弟は、天に還って行きました。 10月に入ってから何度か危機的な状態はなりましたが、これまで、その都度また回復するという波が続いたのです。

流石に今回だけは無理だったようです。 葬儀の手配だけして、弟の家族3人と、お蕎麦を食べながら弟のこれまでの生活ぶりを思い出しました。


生まれて初めて開腹手術を行ってから1年がすぎましたが

2018-10-25 05:57:51 | 

開腹手術後の経過報告及びお見舞いのお礼

 

昨年の1014日早朝に具合が悪くなり、救急車で多摩丘陵病院に搬送されて検査診察を受けました。救急隊員の方に車中で、どこが心配ですかと問われて、近々に脳の検査をして頂こうと思っていたので、脳を診て貰いたいと告げました。

 

78年ぐらい前から腸の憩室の一部が炎症を起こし、近接する内蔵である膀胱に孔を開けてしまい、雑菌の巣窟である腸と無菌の膀胱とが細い管で、繋がってしまっていたのです。当初は細かった管も次第に太くなり、いくら自己免疫力がほかの人よりもあったとしても、日常的に糞の一部がチンポの先から出るようになっては、限界を超え耐えられなくなって来たのでしょう。

 

症状から救急担当の医師が点滴治療をして、数時間後には家族の迎えの車で、自宅に戻ることが出来ました。然し乍ら脳のCT検査で、眼の中心部の奥にある視床下部周辺の脳に、腫瘍があるのが分かり、後日、多摩南部地域病院を通して府中にある多摩総合医療センターで、検査診察を受けることになりました。

 

病状は1025日早朝に再度、具合が悪くなり緊急で多摩南部地域病院の外科で、検査診察を受けて翌日の26日に、敬愛する古川健司先生の執刀で開腹手術を行い、S状結腸と膀胱が繋がっていた管(憩室)を切除しました。これを機会に人工弁となりストーマを交換する生活が始まりました。

 

生まれて初めての開腹手術は体力を奪い、116日に退院出来るものの、その後、多摩総合医療センターへ検診するのに車で娘に送ってもらうものの、退院後2週間は車に乗るのも苦痛でした。退院後3週間目に入ると少しは元気が出て来て、府中までの病院通いも自分で運転して診察を受けれるようになりました。

 

退院後すぐに仕事が出来ると思っていたのですが、とんでもない話で、結果的に1ヶ月後から復帰しました。計画設計中であった仕事に、結果的になった多少の迷惑をかけてしまいました。

 

現在、開腹手術を行ってから1年近く経ちましたが、2年ほど前から痛めた足の筋肉の付け根部分の痛みは治っていないものの、木造2階建ての福祉施設も完成間近く、更にデイズニーランド近くのプチホテルの計画設計も進んでおります。

 

人工弁の解消手術を考慮しておりますが、設計計画が進行中のなかで、入院生活も含めて再度1ヶ月半の休養時間が必要なため、また脳の腫瘍や冠動脈の細さなどを配慮すると、なかなか踏み切れる時間がないのが現実です。

 

入院中のお見舞いのお礼をすると共に、その後の経過を報告させて頂きました。

 

                         平成3010月吉日                   


時々 真っ暗闇の感覚に出会った時のことを思い出しますが

2018-10-24 04:15:24 | 自然

10数年前に大学の級友に誘われて、川上村の山荘に出かけたときのことを思い出します。 池袋に住むクラスメート夫妻と3人で、車で向かいました。 あらかじめ頂いた案内図に沿って、夜間、目的地に着きました。

月の光も無く真っ暗闇の中で、車のライトを当てて鍵のある場所を探して、山小屋に入ることが出来ましたが、車を近くの空き地に駐車させるために移動しようとしましたが、余りの暗さに友人の奥さんに同行してもらいました。

普段の生活では、どこからか街灯の光が入って来るのですが、そこでは街灯もなく民家もなく、とにかく真っ暗闇なのです。 山荘に入っている内に山荘の持ち主と、もう一組の級友が到着しました。

私は友人達と3人で1階の8畳ぐらいの部屋で、早々と寝ることになりました。 部屋は雨戸が付いて照明を消せば、真っ暗闇の中で寝ました。 ぐっすり寝ていると、ガタガタと音がして目が覚めました。

友人のひとりがトイレに行こうとして、戸を開けようとしていたのです。 出入り口の戸ではなく、雨戸の戸を開けようとしていたのです。 もう一人の友人が、そこは雨戸ですよ、戸はこっちですとの声がしました。

何時も寝るときでも、どこからか光が漏れて来る生活を送っている身にとって、改めて真っ暗闇の中での体験は、新鮮で何か不思議な感じがしたことを思い出すのですが。

と同時に60数年前に深夜の山梨勝沼のぶどう畑を歩いた時に見た、はっきりと見えた天の川の美しさをも思い出すのです。


何時でも何処でも軽く目を閉じて胎息でいることが多くなりました、

2018-10-23 00:02:46 | 胎息

私は座禅を始めた当初は、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行い、またイメージで吐く息を体の中へ、吐き入れておりました。 吐く息音が自分自身でもよく聴こえるように。

級友のもう少し静かにしろよと云う言葉をキッカケに、今度は一転して出来るだけ静かに、殆んど息をしているかどうか分からない感覚で、呼吸を行うようになりました。

座禅を始めた初日に、頭のてっぺんにある百会が活性化して、電子の輪の帽子を被った状態になり、そのことが結果的に毎晩、半身浴で入浴後に1時間部屋を真っ暗にして、座禅を行うようになりました。

疲れて眠くなるような時は無理をせず、さっさと寝てしまい、翌朝、早く起きて同じように1時間長く吐く呼吸を行いながら、座禅を行いました。 毎回、体に何時も微妙な変化があり、そのことも毎晩行うことにもつながったように感じます。

出来るだけ長く吐く呼吸をおこなっていると、1時間はあっという間に過ぎて行き、無理することなく毎日、座禅を続けることが出来ました。

座禅を始めて1ヶ月半経った時に、自発動を伴いながら下腹の臍下丹田が、心臓のように動き始めたのです。 その後、胎息と云う言葉に出会い、その意味を推量する中で、当時、殆んど息をしているかどうか分からないぐらいなら、呼吸になっておりましたので、胎息とは肺呼吸を伴わない気の呼吸ではないかと感じ、思い切って息を止めてみたのです。

結果的に、それを機会に胎息で座禅を行うようになりました。 長く吐く呼吸で座禅を行なったり、胎息で行なったりするようになったのです。

現在は軽く目を閉じて胎息で頭部周辺の気の動きを楽しみながら、過ごすことが多くなりました。


慣れるまで呼吸に意識して長く吐く呼吸をイメージで体の中へ吐く

2018-10-22 07:17:08 | 逆腹式呼吸

私は生まれて初めて胡座を組んで、静かに長く吐く呼吸を行いながら、1時間座り続けた時には過去に観た映像で、深海を潜る前に行っていた下腹が大きく抉りながら息を吸う姿や、空手家が演武の時に息音が聴こえるように息を吐きながら動く姿を思い出しながら、真っ暗闇の和室で座布団の上で過ごしました。

私が初めて出会う方にも、半身浴の入浴の仕方や、深呼吸の要領で行う大きく吸って出来るだけ長く吐く呼吸、吐く息をイメージで体の中へ吐く呼吸の良さを話し、是非この呼吸法を実践することによって、自然と自分でも分からないままに自己免疫力が高まり、また体の中の経絡と絡み合うように流れている神経細胞を刺激し、更に微細な脳神経細胞を刺激して、加齢による痴呆症を防ぐんですよと説いても、なかなか理解して頂くのには時間がかかります。

私の場合は色々とラッキーな面が多かったようにも思いますが、先ずは実践する内に自らが感得して頂くのが一番なのですが。


寝ていたら朝日が顔に当たりおでこの天目が呼吸をしておりました

2018-10-21 09:06:09 | 天目

今朝は何時ものように深夜に起きてから、朝湯に入りもう一度寝ておりましたら、朝日が窓を通して私の顔に当たっておりました。 しきりとおでこの中心にある天目が、呼吸を行っておりました。

気持ちが良く、寝ながらその感覚を楽しみながら、そのまま暫くの間、過ごしておりました。

座禅を始めた当初は、よく水平線から昇る太陽に向かって、窓台で胡座を組んで10数分間楽しんでいた時があり、おでこの天目が開いて活性化していました。 太陽の優しい朝の光が、特別な意味があることを感得しました。

朝歩きの途中でも朝日に向かって立ち、しばらくの間、その光の有難さを感じたものです。


はじめは吐く息音が聴こえるように 次に出来るだけ静かに息を吐きます

2018-10-19 03:41:04 | 逆腹式呼吸

私は生まれて初めて胡座を組んで、静かに1時間座り続けた時に、何も分からずままに無我夢中で、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐いておりました。

大学の級友の声かけで静功の会と云う気功の静かな功の会で、10人ぐらいの参加者が真っ暗闇の中で、1時間座り続けたのです。 

私は深海を潜る前にダイバーが、はじめに大きく息を吸った時のお腹の皮が背中の皮に付くぐらいに凹んだ映像や、極真空手の創始者の大山倍達の映画「空手バカ一」で見た演武で、息を吐く時にはっきりと分かるぐらいに、息音を立てながら吐く映像を思い出しながら、長く吐く呼吸を行なっていました。

週に1回の静功の会が3回終わった帰り道で級友が、「君の息音は参加者にとっては迷惑なので、もう少し静かにしろよ」と云われて、自分の息を長く吐く時の息音が、静寂な中で皆さんに大きく聴こえて迷惑をかけていることに気づき、次回からは出来るだけ静かに長く吐く呼吸を行うことにしました。

静功の会は会費が高いことや、1ヶ月半経った時に下腹の臍下丹田が、心臓のように鼓動を始めたりして、毎日、自宅で1時間座り続けていたこともあり、会の参加は2ヶ月で退会しました。

出来るだけ静かに長く吐く呼吸は、何時しか呼吸を行なっているかどうか分からない雰囲気になり、その後の胎息と云う肺呼吸を伴わない気の呼吸に繋がって行ったのです。


患者さんが天に還る時には眼は半眼になっていると看護師さんから聞きましたが

2018-10-18 00:04:40 | 座禅

私は自分の体験から、座禅の時には究極的に力が抜けた時には、眼は自然と半眼になるのではないかと感じておりました。 禅宗では座禅の時に、眼は半眼にしなさいと指導しますが、しなさいではなく、自然と半眼になると思っていたのです。

昨日、大腸ガンで入院している弟のカンファレンスで、今後の病状から予想されることについて、看護師の方から説明を受けました。 その時に改めて患者さんが天に還られる時の様子を聞きました。

力が抜けて下のものが出て来て、眼は殆んどの方が眼は半眼になるといいます。 但し時々、眼は瞑ったままの方もおられるとのことでした。

説明をして頂いた看護師さんは、一度一般の事務職に就いた後に、一念発起して看護学校に行き看護師になられ、一般病棟での看護を行いながら、緩和病棟にも関わりを持ち、お釈迦さまのような優しい目をされておりました。 思わずお釈迦さまのようなお顔をされてますねという言葉が出てきました。

座禅の時に眼を半眼にしなさいという言葉は、お釈迦さまが瞑想している姿が、半眼になっているのをお弟子さんが見て、そのような言葉が出てきたのではないかと推察出来ます。


運動しなくても汗がかける半身浴の良さを感じながら

2018-10-17 02:59:19 | 半身浴

高校の頃に痛めた右膝の関係で、加齢と共に走れば右膝に水が溜まるため、走ることも止めている時に、健康を維持するためにどのようなことを行なって、汗をかこうかと考えていた時に仕事先の知人から、入浴の仕方で「半身浴」のことを聞きました。

毎日 歩くといっても汗をかくまでには、相当歩かなければ出ないだろうと思いながら、長続きは出来ないのではと考えていた時でした。

毎日入浴するお風呂の入り方で汗が出るのなら、それが一番簡単なあせの出し方ではないかと思い、よしそれなら、その日の夜から実践してみようと思い、それ以来 肩まで湯に浸かることはありません。

当初は湯槽の中に、洗うときに座る椅子を入れて座り、お湯の面が臍のちょっと上ぐらいになるように入浴しました。 頭の先まで汗が出るまで長く入浴するのは初めてでした。 それまではカラスの行水で、殆んど直ぐに湯船から出てしまう入浴でしたので。

湯船から出ている上半身が、汗でびっしょりになるということは、新陳代謝が良くなり血行も良くなるという意味合いがあります。 その後、湯船には椅子を入れずに胡座を組んで座るようにして入浴をしました。

浴槽にフタをして、その上に2枚のタオルを用意します。 新聞や雑誌を読みながら汗が出ると、1枚のタオルで手の周りの汗を拭きます。 もう1枚のタオルはフタの上に置いておきます。 本も1回の入浴で10ページほど読み進むことが出来ます。 汗を拭き取りながらよめば、本を濡らすこともありません。

温泉に行っても同じように半身浴での入浴方法です。 半身浴をはじめて以来、肩まで浸かる入浴はしたことがありません。 後日、1年後に長く吐く呼吸を伴いながら座禅を始めたのですが、改めて臍下丹田のある下腹を温める入浴法の大切さを感じます。