アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

ゼロ・グラビティ 2012年 アメリカ

2016-11-28 | SF
これを観て、「宇宙へ行きたい!」と思う人はどのくらいいるのだろうか。
近く、宇宙旅行をキャンセルする人が出てくるかもしれない(ホントにいたりして)。
宇宙が身近なものとなりつつあるといっても過言ではない。
先の旅行もそうだが、なんと宇宙葬なんてのもある。
個人的には絶対嫌だが、「還る場所」があるのだろうか。
一部の人間が将来、火星へ移住するかもなんて話も聞くが、宇宙工学・開発が、この先ももっと発展していくんだと考えると、驚異とともにちょっと怖くも感じる。

さて『ゼロ・グラビティ』である。
原題の『gravity』ではなく、邦題は「無重力」としている。
ただ単に意味をわかりやすくしたのだろう。
原題はもっと深い要素も含んでいて、いろんな解釈ができそうだから、日本語タイトルは宇宙=無重力にしちゃったのかも。

宇宙飛行士ライアン博士が、船外業務中に予想外のアクシデントにみまわれ、宇宙空間に放り出されてしまう。
その後、彼女は無事に地球へと帰還できるのか!というあらすじ。
ライアン博士に扮したサンドラ・ブロック。
身体をしぼって、ほぼ一人で演じきった感もすばらしかったが、なんといっても本作品の見どころは、あの撮影技術でしょう。
いまだからこそ観られる技巧なんだろうなあ。
それらの進歩は思っている以上にすごいものなんですね。

1950年代に無人宇宙船をロシアで打ち上げたスプートニク号は有名である。
初めて生きた動物を乗せた宇宙船。
その犠牲になったのが、メスのライカ犬であった。
人を乗せる前にまず動物で、というところは、本当に人間の身勝手さでありとても悲しくなってしまう。
60年代に入って初の有人飛行。
「地球は青かった」の名セリフを残したガガーリン。
それから50年以上たった今、アメリカのNASAでは、太陽系の始まりについて研究中。
無人探査機も大活躍しているから、今後もさまざまなことが解明されていくのだろう。
楽しみである。

本作のメイキングの様子も見てみたが、非常に興味深かった。
あの映像はどうやって撮っていたのかギモンに思った人も多かったみたいである。
かつて『マトリックス』でキアヌの銃弾をよける演技で話題となって以来、ワイヤーの使用頻度がぐんと高くなったが、そのワイヤーの重要性も高かったに違いない。
でも、くれぐれも本編の前に見ないように。
面白さが半減しちゃいますから。

華氏451 '66 イギリス・アメリカ

2015-08-01 | SF
日本人の読書量が減っているらしい。
そうした傾向は前からのようで、「時間がない」というのがいちばんの理由だそうだが、情報機器に目をやることには十分な時間があるようだ。

―― 人は昔、本を読んでいた時代があった ――
近未来、書物といわれるものは、いまわしいものとして扱われている。
本の売買、所持も禁止。
家に隠し持ってなどいたら、消防士たちが駆けつけ、放水ならぬ、ため込んだ本に放火させられてしまうのだ。
大量に所蔵していようものなら、家もろとも焼かれてしまう。

本を読むとろくなことはない、と彼らは言う。
間違った知識を埋め込まれ、創られた話に惑わされてしまう、と。
だからといって、本を愛する者たちがいなくなってしまうなんてことはない。
世間の目から離れ、彼らは世捨て人のような暮らしをしていた。
本を持つことは危険なため、彼らはその敬愛する書物の内容を丸暗記していくのである。

現在、我々は目まぐるしい情報量におどらされているが、人の噂がそうであるように、信ぴょう性の乏しいものは、ある期間を過ぎれば忘れられていく。
話題性に敏感である一方、消費も激しい世の中だ。
書物がなくなるということはありえないだろうが、近年読まれなくなってきているということは、残念だが確かなことである。
話題に挙がるものは一時的に読まれるが、心に残るものがすべてとは限らない。
丸暗記とまではいかないが、いくつかのフレーズを記憶したいほどの作品がどれほどあるだろう。

華氏451とは、紙が自然発火する温度だそうである。

TIME タイム 2011年 アメリカ

2013-05-25 | SF
なかなか面白い発想だとは思う。
近未来、人類は遺伝子操作により、すべての年齢が25才で止まる。
永久に25才なのである。
だがそれは、裕福な環境におかれていれば、である。
この時代になると、貨幣そのものがなくなり、代わりに“時”が支払いの手段となる。
例えば、公衆電話をかけるのに「1分」、バスを利用するのに「1時間」、高級車を買えば「59年」必要となる。

貧しいスラムゾーンに住まう者たちは、1日24時間分を得るために必死だ。
もし1週間、更に1ヶ月分も“時”を所持していれば、身の危険にさらされることは必至である。
“時”を奪われてしまうからだ。
生き延びられるか、毎日が闘いである。
その点、裕福ゾーンではそんな心配はゼロに等しい。
彼らは決して危険なことはしない。
決して無茶なことはしない。
彼らは永遠に25才のまま生きていける糧=時を持ち得ているから。

残酷だが、時は待ってくれない。
“時”を蓄えることができなければ、その場で死んでしまう。
腕のタイムキーパーがすべてゼロになればお終いなのだ。
なんとむごい事であろうか。
しかしそこには人口を操作するための画策があった。
スラムゾーンの人口を増やさないために、あえて“物価”を頻繁に上げていた。
その日暮らしの者が、「今日から上がったんだ」と言われバス代も払えず、家路に向かう途中でこときれてしまう・・・。

裕福な者たちは急ぐことをしない。
走ることもない。
そんな必要がないからだ。
不老不死など、薬か魔術(?)でもなければ実現できそうもないが、この時代、“時”をうなるほど持っていればそれが叶う。
しかし考えてみてほしい。
それが本当にいいのか。
自分が永遠の25才でいられたらそれはそれで嬉しいかもしれないが、親も祖父母も外見はずっと25才なのである。
嫁や旦那がそうならいいか。
下手にナンパはできない。
一応確認しておかないと、実際は100才なんてこともあるのだから(怖)。
子どもが25才に達して、家族写真撮ったらスゴイだろうなあ。
見てみたい気もするけど。

このひどい格差社会は、現代と結びつくところもあるように思う。
あながち極端な話だともいえないかもしれない。
本当に時を無駄にはできない時代になりつつある。
あらゆることにせきたてられているような気がしてならない。
だからこそ、時間は有効につかうべし。
まさに格言「タイム・イズ・マネー」である。

アイアンマン 2008年 アメリカ

2011-06-29 | SF
アメリカンコミックの実写版はハリウッドで多くの成功を収めている。
もともと人気のある作品であれば、ファンもじっとしているわけにはいかないだろう。
日本のアニメは完成度も高く世界中で評価されているが、それらの実写版となると話は別だ。
しかしアメリカではこれが大いにウケる。
『○○マン』というヒーローたちは、アメリカの子どもたちにとって、特別な存在なのかもしれない。

さて、アイアンマンである。
アイロンマンではない。
原作について知らなかったので、当初、アイアンマンの姿を宣伝広告か何かで見たとき、『ロボコップ』の焼き直しかと思ってしまっていた。
全くの別物でした、スミマセン。

このニューヒーローは決してカッコイイ風にはどうしても見えないのだが、その格好がどうのこうのというよりも、天才技術者であるトニーが、これまでのエゴイストだった自身を改め、自らアイアンマンとなって平和のために戦うという、そうした彼の移ろう姿に、ヒーローとしての確信が見えてくることに意義があるのだろう。

それとやはり驚くべきことは、配役にあると思う。
失礼ながらアメコミ実写版に、これだけの演技派俳優陣を充てるということにとても感心し、お金もかけてるのね、と改めてハリウッド映画だと実感させられてしまうのであった。
ダウニーJr.はアイアンマンになりきってたし、演技派とはちと言いづらいオスカー女優のグウィネスも秘書らしく控えめであった。
なかでもビックリなのがジェフ・ブリッジス。
彼の悪役は悪くないけど、旧・アイアンマン(笑)になれた表情はとても嬉しそうだった。
彼、ああした役も引き受けるんだなあ。
ジョー・ぺシとかダニー・デビートあたりだと、いかにも気でダメなのかも。

『○○マン』といえば日本でも、一昨年『ヤッターマン』がなんと実写版で登場した。
えー、できるの?と心配したが、そんなことは無用であった。
三池監督は細部にいたるまで、コリに凝った映像で沸かせてくれた。
しかし、である。
この映画が仮に、もし日本の演技派といえる俳優たちが演じていたらどうだったであろう。
意表をつく面白さになったのではないか。
個人的には、ドロンジョをかたせ梨乃にちょっと頑張って演じてもらえたらよかったな、と思ってみたのでした。

マーズ・アタック! ’96 アメリカ

2009-06-05 | SF
いやぁ、よかった。
マジメに見入ってしまった(笑)。
これをくだらないととるか素晴らしいとみるかは、それぞれの判断に委ねるが、個人的には両方とれる(笑)。
いや、だからこそいいのだ。

当時、一部の批評家やライターたちには絶賛され、「本年度(97年)のベスト3に入る」とまで、熱烈に(?)支持されていた映画なのである。
キャスティングをみてもそうそうたる顔ぶれであり、ティム・バートン監督への信頼度の高さがうかがえる。

火星人たちが、地球へとやってきた。
― WELCOM TO THE EARTH ―
「わたしたちは、あなた方を歓迎いたします」
「ワレワレハ ユウコウノタメニ ヤッテキタ」
その言葉に感動した聴衆の一人が、白鳩を放つ。
しかし鳩は、無残な姿で地面に叩きつけられる。
火星人の持つレーザー銃が、平和の象徴である鳩に向けられたのだ。
「・・・文化の違いから誤解されたのは、無理もないことであります」
文化の違いって・・・(笑)

火星人たちは人間を、都市を破壊する。
ものすごい顔の火星人たち。
むこうからしてみれば、人間もものすごい顔に見えるのだろうなぁ。
人間の首に、犬の頭部をくっつけちゃったりするのだから。

ビキニパンツ姿の火星人たちには驚愕したが(笑)、リサ・マリーが素のままで火星人に見えてしまう、その人間を超越した姿にも驚きを隠せない。

インビジブル 2000年 アメリカ

2009-02-20 | SF
「もしも透明人間になれたらどうするー?」
男子と女子とでは答えが違ってくるだろうが、このての質問は、せいぜい中学生ぐらいまでだろう。
ということは、この作品はその程度の内容ということか?

だいたい視点が悪趣味である。
終盤はなんとかスリリングな方向へもっていってはいたが、人は透明になると、あんなにも不死身になってしまうものなのか。
『ターミネーター』とダブってしまうほど滑稽である。
炎の中へ落ちていくところも似ていたなぁ。

ケビン・ベーコンは、いつ頃から悪役に転じてしまったのだろう。
中盤以降は顔も出ず、犬神家の佐清のような風貌で、その後CGと化したままラストまで続行。
それでいいのか? ケビンよ!

〈人体の不思議展〉でも見ているような映像のすごさには圧倒されるが、やっぱり趣味の悪い作りでしょう。
ポール・ヴァーホーベン監督作品ということで、思わず納得。

猿の惑星 ’68 アメリカ

2008-01-20 | SF
SFはその言葉のとおり、空想科学のお話であって、創り手にとっては想像力の膨らませがいがあるってものだろう。
だが、そこはきちんとした辻褄合わせがないと、ただのガラクタ同然となってしまう。

本作品での特殊メーキャップ技術は、非常に素晴らしい出来映えであった。
60年代でこれほどのものを見せたというのは、さすがハリウッドである。
これを機に、アカデミーの〈メーキャップ部門〉ができたというのだから、その影響力は殊更強い。

この映画は、観る度に違った印象を受ける。
それは、年代と共に変化していく。
人間と猿族の関係 ―― 人間は彼らにとって、下等動物だという立場上の逆転。
人類は滅び、猿族が事実上、地球を支配する。
では何故、人類は滅びていったのか。
’60の『タイム・マシン』と類似する点がいくつかあると思うのだが、今にして彼らの言うことが、じくじくと胸に突き刺さるのである。

「人間が、全てを破壊していった」

20年近く前に観た頃は、差ほど恐怖は感じられなかった。
ただ今の時代、地球はどんどん壊れかけている。
戦争は今もなお、核も含め続いている。
温暖化やオゾン層の破壊、生物の染色体の異常・・・
環境破壊が進む現実を、ゴアさんがカメラに収めた『不都合な真実』で言っているように、地球を存亡の危機に陥れる要素は存分に備わっている現状を考えてみれば、これはいよいよフィクションでは済まされなくなってくるかもしれない。

そんな現実的な空想とは裏腹に、氷河期に恐竜が絶滅したのと同様に、いつか人類も滅び、果ては得体の知れない生物が生まれ、この星を征服していくのではないかと思い込ませるような映画があるから、それはそれでまた、イマジネーションが膨らむのである。

ノイズ ’99 アメリカ

2006-08-07 | SF
これはSFというよりも、オカルト映画に近いのではないだろうか。
よく’68の『ローズマリーの赤ちゃん』に例えられる本作。
昔観た、三流ホラー映画『悪魔の受胎』なんかにも通じるものがあるように思う。

シャーリーズ・セロンにジョニー・デップといった、芸達者な役者を揃えたあたり救われたと言ってはなんだが、中身に関してはかなり薄っぺらい感じがする。
どうせなら、もっとオドロオドロしく、もっと恐怖感をあおってもよかったんじゃないのかなぁ。
あ、そうすると、完全にホラー映画になってしまうか。
だったら、二流、三流の役者に代えて、撮り直すってのはどうだろう。
誰も観ないか(笑)

ジリアン役のシャーリーズがしていた髪型。
あれって、’57の『悲しみよこんにちは』で、ジーン・セバーグがやって大流行した〈セシル・カット〉ですよね。
幸い、この映画の中で唯一印象に残ったのが、「このヘアスタイル、すっごく彼女に似合ってるなぁ」ってことだった。 

インナースペース ’87 アメリカ

2006-01-31 | SF
スティーブン・スピルバーグを製作総指揮に迎えた、SFXアドベンチャー。
笑いあり、涙あり、愛があり、そして友情ありの、落ち込んでいるときに観るにはもってこいの、元気印の映画である。

人間をミクロ化し、動物の体内へ送り込む研究者達。
ウサギの体内へ入るべく、注射器の中で準備態勢にいるタック。
しかし、その注射器を持っていた研究者が、スパイに狙われ追い回されてしまう。
やむを得ずその研究者は、手にしている注射器を通りすがりの男、ジャックのおしりにブスッと・・・!

ウサギのはずが、何故人間の体内に!?
疑問だらけのタック。
僕の体の中がおかしくなっている!
頭の中もヘンになってしまったとカン違いのジャック。
さあ、ここからジャックとタックとのすったもんだが始まってゆく。

ジャック役のマーチン・ショートが笑える。
彼は、アメリカの有名なコメディ・ショーの出身なので、こういった笑いの間がうまい。
スティーブ・マーチンと共演した、’86の『サボテン・ブラザーズ』もアホらしくて可笑しかったなぁ。

人間の体の中の映像やら、超リアルに映し出されていて、特に胃の内部なんておぉっ、怖っ!(笑)
さすがスピルバーグ、そういった細かい部分にまで、目を光らしていたであろうことがうかがえる。

生まれ変わったようなジャックが、ひらりとオープンカーに乗り、去ってゆくシーン。
パート2があってもおかしくないエンディングだったけど。
メグ・ライアンとデニス・クエイドが別れちゃったんじゃ、今更どうすることもできないか。
ある意味、残念だ。 

ガタカ ’97 アメリカ

2005-04-01 | SF
ジャンルに分類するとSFになるようだが、不思議にもSFチックではない。
遺伝子操作で希望した子供をつくるなんて、近い将来なさそうでありそうな話だ。
もし「空想」ではなく「現実」に起こるとしたら、神への冒とくだ何だと大変な問題となってしまうだろうが、今の男女産み分け方だってスゴイことだと思う。
昔でいえば、それこそSFものだろう。

映像の美しい作品である。

「優秀」に分類された人間は、人工的な妖しささえ漂うような(ある意味人工なんだが)、魅力を持ち合わせているが、彼らをジュード・ロウ、ユマ・サーマンが演じている。

適役だった。

彼女の均整のとれた姿勢が、いかにも「優秀」感があって、本当に操作したのでは!?(笑)と思わせてくれていい。
ジュード・ロウは、’99の『リプリー』でフィリップ役を演じてたっけ。
オリジナル版、’59の『太陽がいっぱい』のモーリス・ロネにも勝る演技だった。
一応主役のイーサン・ホークは、彼のお陰ですっかり影が薄くなってしまっていた・・・

そういえばユマとイーサンは、この作品で共演したのがきっかけで結婚したはずだったんだよねぇ。

ハリウッドの世界はいろいろと大変だ。