アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 2008年 アメリカ

2012-06-22 | ヒューマン・ドラマ
困った。
ほとほと困ってしまった。
これを観て、何を述べたらよいのだろう。
〈彼〉は老人として生まれ、赤ん坊になってこの世を去る。

荒唐無稽な作品を「ありえない」としながら、映画なのだと割切り、それでも観ているうちにその中へ入り込み、いつしか見入ってしまう、それが映画の不思議な魅力である。
しかしながら本作品はどうかというと、いけないことに、大まじめに作ってしまったことが、観る者をシラケさせてしまう残念な結果となってしまった。

かなり不自然なのが(すべて不自然だが)、子ども時代のベンジャミン。
姿は老人であっても中身は子どもなのだから、もっと子どもらしい振る舞いであってもよいのではないのか。
施設にいることで老人の「ふり」をするといっても所詮は子ども。
ついついはしゃいでしまうというのが普通だろう。
でもそうなると、この映画がシリアスドラマではなくコメディになってしまう危険性があるのだ。

’88の『ビッグ』は、子どもがいきなり大人になってしまうものだったし、『バイス・バーサ』では、大人と子ども(この二人は親子)が入れ替わるというドタバタコメディであった。
姿は大人でも、中身は子ども。
これが実に愉快であった。
ところが『ベンジャミン―』は、楽しくしてはいけない話なのである。

ベンジャミンには、幼いときに知り合ったデイジーという恋人がいる。
ふたりは40代にして、ようやく落ち着いた暮らしができるようになった。
なぜならベンジャミンがここにきて、やっと年相応の容姿になったからである。
やがてデイジーは身ごもる。
ベンジャミンは心から喜べない。
なぜなら自分は、我が子の成長を見守ることができないからだと。
ふたりの蜜月は長くない。
これからどんどん若返っていく自分をのろい、ベンジャミンは自ら家を出る。
アンチエイジングが叫ばれる現代ではうらやましい限りだろう。(いや、そういうことではない。)
このあたりは、映画の山場である。

人は年を取ると子どもにかえると云うが、もし人に、「彼は子どもにかえってしまって・・・」と話せば、相手も察しはつくだろう。
ところがベンジャミンは、本当に子どもなのである、外見は。
そして彼は、愛するデイジーの腕の中で息を引取るのだ。
その姿は、玉のような、それはそれは可愛らしい赤ちゃんなのであった。

別れは辛いものだが、こういう別れもあるものなのか!と、妙な感慨を覚えた。