アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

いとこ同志 ’58 フランス

2009-09-24 | クラシック
本作品の設定ではいとこである男二人の話だが、映画や小説の中では、兄弟であれ友人であれ、性格においては正反対な場合が多い。
似た者同士といった話はあまりない。
やはり起伏に欠けるからだろう。

父親同士が兄弟というシャルルとポール。
シャルルはポールのアパルトマンで同居することに。
シャルルの母親が、いとこであるポールの家ならということで、パリ行きを許したようだ。
どのくらい二人があっていなかったのかは定かではないが、二人の仲はさほど良さそうには見えない。
一般的に、子どもの頃はよく一緒に遊んでいたといういとことも、いつからか、ぱたりと会わなくなってしまうケースが多いように思う。

生真面目なシャルルと、あやしげな生活をおくるポールは同い年。
豪勢な暮らしぶりの中、ポールは学生仲間を集めては乱痴気パーティを開く。
シャルルは、バーで一目ぼれしたフロランスと、なんとか親しくなりたい。
後日、デートの約束までこぎつけるのだが、純真なシャルルをあざ笑うかのように、好色男のポールは、さっさとフロランスを自分のものにしてしまう。

フロランスも罪作りで結構な悪女(ワル)なんだが、シャルルがそれと気づくまでにはまだ時間がかかった。
彼女をいとこにとられても、シャルルは平静を装い、勉学に励む。
なんと痛々しいことか。
しかもフロランスはポールたちと一緒に住むこととなり、イチャイチャとふたりでシャワーなんぞ浴びている様子を耳にしながら、シャルルは参考書を前に耐えているのだ。
集中できるわけないだろう。

試験日が近づく。
シャルルは寝る間も惜しんで勉強する。
一方ポールといえば、本を開いている姿を見たことがない。
シャルルはポールに、「君も勉強したほうがいい」と忠告するのだが、「そんな必要はないさ」と一蹴され、彼は遊びほうけていた。
数日後、ポールとその取り巻きたちは全員が合格していた。
シャルルの試験結果は翌日である・・・

真面目にやってきただけなのに。
それなのに何故なのだろう。
ポールの要領がよすぎたからなのか。
腑に落ちないラストは、あまりにもあっけない。

シー・オブ・ラブ ’89 アメリカ

2009-09-17 | ミステリー&サスペンス
“覚えているかい? 僕たちが出会った頃を”
甘味なメロディの『シー・オブ・ラブ』
その曲が流れると、ニューヨークの一室で、また事件が起こる。

連続殺人事件の容疑者は女だろうと確信していた。
ことが終わった後であろう全裸の男が、背後からピストルで撃たれているのである。
その状況から、普通に考えるとターゲットは女性になる。
被害者たちは、新聞に出会い広告を出していた。
共通した点は、詩を添えていたこと。
フランクとシャーマンはこの事件を担うこととなり、ある計画をたてる。
「俺たちも詩を添えて新聞に載せよう。 それに飛びついてくる女の中に犯人がいる」

シロだとはっきりしていないヘレンに惹かれていくフランク。
指紋のついたグラスを証拠品としてビニール袋に入れようとするが、サイドテーブルに戻してしまう。
首を振るフランク。
だが気持ちはどんどんヘレンにむかう一方で、やはり彼は刑事(デカ)なのである。
ふとしたことで、彼女への不信感が爆発することに。

フランクを演じたアル・パチーノ。
お久し振りでした(笑)。
あと、かなり久しかったエレン・バーキン。
ヘレン役をセクシーに演じてましたが、この人って不思議な魅力があるんだよね。
すっぺらとした顔なんだけど、妙な色っぽさがある。
存在感のある女優だ。

今回の捜査でフランクと組んだシャーマンに扮したのが、ジョン・グッドマン。
彼やホンジャマカの石塚“系統”のに~んまり顔には、ある意味救われる。
なんだかものすごく、ご飯が美味しく食べられそうな気がする(笑)。

三人の妻への手紙 ’49 アメリカ

2009-09-07 | クラシック
もし夫や恋人が、憧れの女性から誕生日プレゼントをもらったり、彼女と親しげに話している姿を見かけたり、はたまた家にその人の写真でも飾られていようものなら、心中穏やかではないだろう。

デボラ、ローラ・メイ、リタの3人は、アディが話の中心になることをよくは思っていない。
だが自然とそうなってしまうのも常であり、夫たちが今でも彼女を気に留めているらしいことも事実なのであった。

アディ・ロス。
どれほど美しく、魅力的なのだろうか。
彼女は町を去ったらしい。
それも突然のことであったようだ。
彼女は別れの手紙を友人たちに送っている。
― 親愛なるデボラ、ローラ・メイ、リタへ ―
そこには、別れを惜しむ言葉がつらつらと並べられていたが、最後はこう締めくくられていた。
「あなた方3人のうちの誰かと駆け落ちします。 アディ」
“3人のうちの誰か”というのは、もちろん「誰かの旦那」ということだが、友人宛に、こうもいけしゃあしゃあと書けたこのアディという女性、同性の敵でしょうねえ(笑)。

婦人クラブの奉仕活動で出掛けた3人は、それぞれが、もしかして自分の夫ではないかと気を揉む。
家に帰るまで、帰って夫の顔を見るまでは不安で仕方ないのである。
何不自由なく、すべてを手に入れたような裕福な暮らしの中でも、「お金よりも愛」という純粋さが、時代を物語っているように思えた。

最後まで、アディの姿は画面上に映し出されることはなく、ひたすらミステリアスな印象を我々に残す。
見えそうで見せないところがまたいいのだろうが(笑)、やはり気になる。
アディって、一体どんな女性だったのか。