アブリコのCinema散策

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抱擁 2002年 アメリカ・イギリス

2008-04-27 | ドラマ
かつて著名人たちが描いた絵や、記した日記・詩歌など、彼らが残した遺物には、それ相応の思いが込められているのだろうと、愛好者や、それに携わる研究者たちは、敬愛の意味も含め、それらを創造した意味を感じ取ろうとする。

19世紀の有名な詩人が愛人と交わした恋文を現代の研究者が発見し、その記述に基づき、当時のふたりの真相を解明していく。

アメリカ人の若手研究者と、イギリス人の女性博士。
詩の内容を理解していくうちに、ふたりが恋におちるという展開は、ややお粗末。
19世紀の恋模様と現代を並行して見せていく過程もよくある趣向だし。
だいいち、女性博士役のグウィネスが、どうしても博士に見えない(笑)
難解な詩の意味が解けるほどの聡明さも、役柄からは見えない。
かろうじて、彼女の品の良さだけで保ってるという感じである。

日本でも古今和歌集に始まって、平安時代なんかでは、和歌が詠めなかったら、それこそ恥とまで言われたほど、歌心というのは大事なことだったよう。
国は違えど、男女のやりとりをこうした詩でわかちあうというのも非常にロマンチックではありますが、まさか後年になって、自分たちの秘め事を世間に暴かれてしまうなんて、本人たちは思いもしなかっただろうなぁ。
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美しい人 2006年 アメリカ

2008-04-16 | ヒューマン・ドラマ
9人の女性たちの、それぞれの奥底に秘めた悲しみを綴った人間ドラマ。
原題は『9 lives』
’99の『彼女を見ればわかること』のときもそうだったが、ロドリゴ・ガルシア監督は、静かに、且つ理性的に、女性の心のもろさを表現するのが抜群に巧い。
女性たちは強いばかりではないということを、実証してくれる希少価値的な作品である。

各々の心裏にクローズアップさせた撮り方は非常に現実味を帯びており、カメラワークもドキュメンタリー風で、各ストーリーは極めて短いにもかかわらず満足感がある。

感情を抑えきれないサンドラ。
未練を断ち切れないダイアナ。
過去を捨てきれないホリー。
辛さを分かち合えないソニア。
すべてを背負い込んでしまうサマンサ。
配慮に欠けるローサ。
家族の温かさにようやく気づかされるルース。
自己本位なカミール。
思いにふけるマギー。

ラストで、マギーがこう呟く。
「疲れちゃった」と。
すべての女性たちの本音を代弁したかのように、作品全体を、この言葉で締めくくっている。
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父、帰る 2003年 ロシア

2008-04-11 | ヒューマン・ドラマ
“彼”が家に戻ってきた。
12年振りに。
一体、何しに来たんだろう。
ママに聞けば、「“帰ってきた”のよ」と言う。
寝室へ行くと、“彼”は静かな寝息を立てていた。
そうだ、確か・・・ 図鑑に挿んであった、古ぼけた写真。
4人で写っている ―― ママに、アンドレイ、僕・・・ 確かにパパだ・・・

翌朝“彼”は、僕たち3人で旅行に行くと言った。
釣竿を車に積んで。
アンドレイはちょっと嬉しそうだったけど、僕は気が進まない。
ママは行かないらしい。

“彼”は、何もかも自分でやれと言う。
反抗すれば、その場で置き去りにされる。
まったくなんだっていうんだ。
ママならこんなこと、絶対にしない。
あいつは僕たちが嫌いなんだ、そうさ、そうに決まってる。
もしかしたら、パパなんてのも嘘かもしれない・・・

日本では、父親に叱られる子が少なくなってきているそうだ。
やはり、父親の一喝というのは大事なことだろう。
親父の威厳は是非、保っていただきたいものである。

イワンと兄のアンドレイには、ほとんど父親の記憶がない。
いきなり帰ってきた父と一緒にいても、どうも釈然としない。
父親というものが、どういう存在か解らないから。
後にイワンが、「パパ!」と叫ぶシーンがある。
本心からの叫びだった。
子どもたちに伝わったのが言葉ではなく誠心だということに、やっと彼らも気づいたのだろう。

全編において、ロングショットが絶妙な効果を生み出していた。
何もない美しさの中に見せる寂しさが、これらのショットで物語っていた。
息子たちの、父へのやりきれなさが、この静寂の中で見事に反映されている。

2003年度のヴェネチア映画祭 金獅子賞作品ということで鑑賞してみたが、十分に納得のいく映画でありました。
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ナージャの村 ’97 日本・ベラルーシ

2008-04-03 | ドキュメンタリー
家族がいて、肉や卵、乳を分け与えてくれる家畜がいて、耕す土があり、実を成す
木々がある。
荷を運ぶ馬がいて、わずかながらの賃金があり、川には魚がいて、太陽の恵みがある。
だが、彼らには故郷がない。

かつて30家族が住んでいたこの村も、今では6家族に減ってしまった。
あの恐ろしいチェルノブイリ原発事故で汚染されたこの地は、もはや地図からも排除されてしまった。
だが、彼らはここから離れようとしない。
たとえ放射能を浴び続けていても・・・

何が幸せで、何が不幸せか。
彼らの村での素朴な暮らしぶりを見ていると、現代人が忘れ去ってしまった貴重な時間(とき)の中で、営みの原点を教えてくれているように感じる。
しかしそこには、そこはかとなく、彼らの沈痛な叫びと悲しみが浮き彫りとなって、言葉にならないほどの悲愴感が漂う。

雪に閉ざされたドュヂチ村。
村のすべてが、息をひそめるかのようにじっとしている。
やがて春の訪れとともに、やわらかい日差しの中で、ナージャたちの笑い声が聞こえてくる。
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