アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

ムッシュ・カステラの恋 2000年 フランス

2007-04-26 | ドラマ
かつて、フランスのミッテラン前大統領は、愛人について問われた際、「Et alors?(だから?)」と突き返したそうである。
スゴイではないか。
さすが、アムールの国だ。
結婚していようが恋人がいようが、魅力ある女性に惹かれて何が悪い、と彼らは言う。
そこらへん、イタリア人もそうなのかなぁ。
やはり、アモーレの国だし。

カステラ社長は、ボディーガードに守られながら多忙な毎日を送っていた。
そんな中彼は、ある外資系企業との契約に際し、英語が必須となったためマンツーマンで英語教師につくことになる。

ある晩、妻と観劇に訪れたカステラ氏。
舞台にいる女優は・・・わたしの英語教師!?
演技に感動した彼は、彼女に恋してしまい・・・

根はいい人なんだが、人付き合いがド下手なムッシュ・カステラ。
後先考えずに、思ったことをズバズバ言ってしまうため、周囲をシラケさせてしまうこともしばしば。
恋心を抱いた相手クララにも、彼の言動で誤解を招いてしまうハメに。

この不器用な彼が、英作文で書いた詩をクララに読み上げるシーン。
「上達したのね」と誉めた後、自分に宛てた恋文だと理解し戸惑う。
だが、カステラ氏・・・玉砕。
傷心の彼は、仕事の契約を忘れてしまうほどの落ち込みよう。
しかし、これを機に、彼の心ばえが明らかになっていく終盤がいい。

初めは顔を見るのも嫌だったのに、何故か気になっていく存在。
そんな人があなたの周りにもいませんか? 

クラッシュ 2004年 アメリカ

2007-04-20 | ヒューマン・ドラマ
人は見かけなのだろうか?
パッと見、見かけで判断してしまうというのは、人間であるが故の愚かな心裏反応である。
しかし否定もできない。
「人は見た目が9割」なんて言われるのが実状だ。
わからないでもないが、決め付ける側、決め付けられる側、双方ともそうした観念でいたら悲しくないだろうか。

「あんなヤツにどう思われようと構わない」と思う一方で、「あの人には本当の自分をわかってもらいたい」と願ったことは誰にでもあるだろう。
願ったり思ったり、テレパシーでも使えたら、さぞ人間関係の煩わしさも解消されたりするだろうが、我々人間には、そのようなパワーは微弱である。

肌の色や国籍で考えたことはあるだろうか?
欧米ではよくあること。
あちらで生活をしたことのある人なら、やんわりとでも差別された経験をもっているかもしれない。
人種差別主義者というのも少なくないのである。
悲しいが、これも現実。

本作品で言っているように、人はぶつかり合わなければわからない。
心の底から、本気でぶつからなければ。
だって人間なんだもの。
肌の色が何?
見かけがどうだって?
同じ人間でしょ?
ぶつかっていってわかること、始まること、たくさんあるでしょ?

ぶつかっていきもしないで平然とわかったような顔をしてる者は、実は何もわかってはいない・・・
あの若い警官のように。

バティニョールおじさん 2002年 フランス

2007-04-14 | ヒューマン・ドラマ
戦時下のフランス。
パリで肉屋を営むバティニョールという男に守られた、3人のユダヤの子供たち。
何の権力も無い平凡なこの男に、何故このような勇気が持てたのか。

娘の婚約者によるナチへの密告によって、独軍側から得た報酬で豊かな暮らしぶりとなった一家。
バティニョールは、この娘の婿となる男の偽善的態度に辟易する一方で、彼に甘んじてもいた。
だが、正気とは思えぬ彼の言動に、ついにバティニョールは・・・

バティニョールを演じたジェラール・ジュニョの自然な演技がよかった。
暗く悲しい時代に、クスッと笑える味付けを加えたことで、過不足のない作品に仕上げた彼を評したい(監督、脚本も担っている)。
同様な類の’97の『ライフ・イズ・ビューティフル』は、かなり絶賛されてはいたが、個人的にはあまり好きではない。
せっかくの伊映画が、ハリウッド娯楽作品みたくなってしまったのが残念。
ベニーニ、張り切り過ぎたか!?

同じ仏映画でも、悲しい余韻を残す’87の『さよなら子供たち』とは対照的な本作品は、辛い背景ながらも、希望という光をチカチカと照らしているような、そんな映画である。 

フォーン・ブース 2002年 アメリカ

2007-04-07 | ミステリー&サスペンス
“ポスト”ブラッド・ピットと囁かれていた、コリン・ファレル主演のノンストップ〈公衆電話〉アクション。(ちょっと意味不明!?)
この人も、ラッセル・クロウと同じ臭いのする俳優だが(笑)、結構好き勝手なコトをしているらしい。

ニューヨークでは、携帯で喋りながら歩くのがステータスなようだ。
もっとも日本と違って、歩きながらのメール打ちはステータスとはいえないだろう。
ともかく、この携帯電話に依存する者たちは数知れない。
日本では、携帯電話の普及で公衆電話自体が激減した。
このニューヨークも同様である。
しかし、携帯電話を持てない人々にとっては、まだまだ必要性の高い物だ。

コリン演じるスチュは、じきに撤去される、この8番街53丁目の公衆電話で身動きがとれなくなる。
妻帯者の彼は、あえて恋人にここからTELしていたのである。
毎日の習慣にしていたのが命取りとなってしまった事態。
悪いコトはできませんねぇ(笑)

誤解があっては申し訳ない。
この話は単に、公衆電話の中に閉じ込められてしまうものでは決してないので、念の為。
あと、犯人も「やっぱりねー」と思ってしまったら決していけません、これも念の為。

フォレスト・ウィテカーの警部役ってのはよかったな。
脇役が多かったウィテカーだが、本年度のアカデミー賞では堂々たる主演で男優賞も取ったし、何だかホッとしました。

しかし何と言おうか、恋人パム役のケイティ・ホームズ・・・
「あら、アナタまだいたの?」って、観る者に言われてしまいそうな空気がなんとも重たかった。