アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

かもめ食堂 2005年 日本

2007-11-26 | ドラマ
海外で日本食を食べたいと思うこともあるだろう。
数日間の出張や旅行で行くおじさんたちは、必ずといっていいほど現地のまがいものの日本食レストランに入る。
高くて、まずい。
もちろん、本格的な日本人の板さんのお店もあるが、たいていは、日本食もどきのレストランへ入って、複雑な思いで箸をつけることになる。

フィンランドの首都ヘルシンキで〈かもめ食堂〉を一人で切り盛りするサチエ。
メインメニューは“おにぎり”。
とことん日本食にこだわる女主人である。

ひょんな出会いがきっかけで、ミドリとマサコが店を手伝い始める。
しかし店は閑古鳥。
ミドリは心配のあまり、いくつかの助言をするのだが、サチエは、「大丈夫。 なんとかなるから」と胸を張る。
彼女のポジティブさが素晴らしい。
異国の地で食堂を、しかも女一人で出すなんてなかなか大変なことなのに。
でも本当になんとかなっちゃうのが人生だったりする。

フィンランドの人たちに、この味を提供したいというサチエの思いは相当に熱いものである。
逆に考えれば、諸外国のシェフたちが、日本で自国の料理を食べてもらいたいと思う心と同じであろう。
旨いものは誰が食べても旨いと思うものだ。
食文化の違いはあれど、味に国境はない。
〈かもめ食堂〉の味がわかったときの客たちの嬉しそうな笑顔がたまらないのである。

フィンランドを舞台にしたところがなかなかよかった。
テンポがゆったりしてて、不完全な感じが逆に、この映画に合っていて、ほっこりとした気分で観ることができた。

ダーリング ’66 イギリス

2007-11-16 | 伝記
ダイアナはモデルで成功したものの、ささくれだった生活を送っていた。
一人の男性では満足せず、恋の遍歴を重ね、ますます心はすさんでいく。
そんな彼女が、イタリアの皇妃の座につくとは誰が想像しただろう。

ダイアナの愛称は“ダーリン”。(口語調だとこう記すんですよね。 「グ」は発音記号で確認しましょう・笑)
Darling ―― かわいい人

彼女のようなタイプは、ショー・ビジネス界では珍しくないと思う。
生意気で我が儘なんだけど、なんだか放っておけない。
本気じゃないけど、ちょっと構ってみたいな、と男心をそそるタイプ、いますよねぇ。

最終的に、彼女はやけを起こし皇妃となるのだが(普通はやけを起こして皇妃になどなれません・苦笑)、幸福感は得られず、孤独感が増すばかりであった。
お妃様方の御心中、お察し申し上げたく存じます。

いかにも60年代の作品って感じで、その頃の風俗がおしゃれであったりして楽しめる。
ダイアナを演じたジュリー・クリスティは、アカデミー主演女優賞を獲得している。

ベルリン・フィルと子どもたち 2004年 ドイツ

2007-11-11 | ドキュメンタリー
現在、規律を守れない子どもたちが増えているという。
その基準は、それぞれの考え方があるから一概には言えないのだろうが、親とともに、常識の範疇を逸しているケースも事実問題となっている。

社会的な問題を抱え祖国を離れ、ドイツまでやってきた子どもたちがいる。
8才~20才、国籍は様々 ―― ロシア、イラン、イラク、ナイジェリア、ギリシャ・・・
彼らはベルリンにある学校に通っている。

これまでクラシック音楽とは全く縁のなかった彼らが、バレエ曲『春の祭典』に合わせて踊ることとなった。
総勢240名の大舞台である。
ベルリン・フィル管弦楽団の総指揮者であるサイモン・ラトル。
彼の提案で実現した一大プロジェクト。
無限の可能性をもつ子どもたちに、自信と希望を与えた素晴らしい企画であった。

一度も踊ったことのない子どもたちに、一から教えていくのは生易しいことではない。
それも一ヶ月弱という、短期間でだ。
なかなか規律を守れない子どもたちではあったが、ダンス教師の熱意が伝わっていく過程は、今の日本の教育現場とはいささか差があるように感じられた。
彼の話を聞いていると、昔の先生が言っていたようなことだった。
古いとか新しいとかではなく、ごく当たり前のことを言っているのだ。
よい師にめぐりあうと人生が変わるというけれど、子どもたちが耳を傾けるようでなくてはやはりいけない。
そういった熱意が、わが国では欠如されてはいないだろうか。

本番当日は大成功であった。
このドキュメンタリー映画は、練習風景がメインなのはわかっているのだが、最後の彼らの晴れ舞台は、もうちょっと観たかったな。

ヨーロッパ ’91 デンマーク・フランス・ドイツ・スウェーデン

2007-11-02 | ミステリー&サスペンス
三度目にして、ようやくこの映画を最後まで観ることができた。
何年振りか・・・は忘れてしまったが、過去の二回は途中で眠ってしまい、そのときはどうしても観直そうという気になれなかったのである。
決してつまらない、というわけではないのだが、あの催眠術のようなナレーションのせいなのか、“ような”ではなく、本当に催眠術にかかってしまったのかは分からない。
今回は睡魔にも襲われず、しっかりとこのサスペンス・アクションに没頭できた。

第二次大戦後、ケスラーは叔父を頼って、アメリカから、ここドイツのフランクフルトへやってくる。
鉄道会社に勤務している叔父のコネで、彼はすんなりと一等寝台車の車掌の地位に就くこととなった(見習いではあるが)。
意気揚々と乗務したケスラーだが、客として乗っていた鉄道会社社長の娘ケイトとの出会いによって、彼は深い闇の中でもがき苦しむこととなる。

戦争は終わってもなお、ドイツの人々は苦しめられていた。
アメリカ占領下で自由を奪われた彼らを見て、ケスラーは苦悶する。
事実ドイツ系であっても、ケスラーは外国人、アメリカ人なのだ。
興味ありげに見る者、言葉巧みに近寄る者、そして彼を利用しようとする者・・・

寛容で人のよいケスラー。
生真面目さが返ってあだとなった結末がショッキングである。
父の祖国で何故・・・ ヨーロッパとアメリカの深い溝は、なかなか埋まらないのであろうか。

ケスラーと我々観ている者たちを、同じ二人称でくくってダブらせていたナレーションは斬新であった。
「あなたはだんだん、深い眠りにおちていく・・・」
でももうその手は食わないゾ(笑)