アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

ヤング@ハート 2007年 イギリス

2010-05-11 | ドキュメンタリー
先月初来日した、世界中で活躍中のコーラス隊ヤング@ハート。
平均年齢80才、“熟練した”その歌声はパワー全開。
「ウォー」と叫べば、ときにしんみりと、ジャンルに合わせて歌い分けるその術もたいしたもの。
時折ハラハラッとさせられるシロウトっぽさも、不思議と心に響くのでありました。

クラシックやオペラを好む彼らが、なぜロックやパンクを?
分野を広めたい、違うことをやってみたい。
脳を刺激するのはいいことなのよ、と新たな挑戦を楽しんでいるかのよう。

アメリカでのステージ本番までに、彼らは二人の仲間を亡くしている。
悲しみを乗り越えてのステージは、拍手喝さいの大盛り上がり。
厳しい練習で培った彼らの本気は、決してやわではない。
観客に、その熱意はしっかりと伝わっている。
ものすごいエネルギーだ。

イギリスでは前に、おばあちゃんたちの『カレンダー・ガールズ』なる作品を出した。
欧米では、元気なお年寄りたちをメインとした映画がたくさんあるが、日本ももっとそうした面をクローズ・アップしてもいいのではなかろうか。
これまで頑張ってきた彼らから教わることは、言葉以上に尊いものがあるはずである。
彼らの弱さではなく、強さを訴えるような作品は、国内ではまだ少ないようだ。

刑務所での慰問で披露した『フォー・エヴァー・ヤング』。
中には涙しながら聴く者もいた。
ヤング@ハートに出会えた彼らなら、必ず更生するだろう。
ステージ曲、ジェームズ・ブラウンの『アイ・ガット・ユー(アイ・フィール・グッド)』や、コールドプレイの『フィックス・ユー』は、個人的にもジンときましたよ。

ナージャの村 ’97 日本・ベラルーシ

2008-04-03 | ドキュメンタリー
家族がいて、肉や卵、乳を分け与えてくれる家畜がいて、耕す土があり、実を成す
木々がある。
荷を運ぶ馬がいて、わずかながらの賃金があり、川には魚がいて、太陽の恵みがある。
だが、彼らには故郷がない。

かつて30家族が住んでいたこの村も、今では6家族に減ってしまった。
あの恐ろしいチェルノブイリ原発事故で汚染されたこの地は、もはや地図からも排除されてしまった。
だが、彼らはここから離れようとしない。
たとえ放射能を浴び続けていても・・・

何が幸せで、何が不幸せか。
彼らの村での素朴な暮らしぶりを見ていると、現代人が忘れ去ってしまった貴重な時間(とき)の中で、営みの原点を教えてくれているように感じる。
しかしそこには、そこはかとなく、彼らの沈痛な叫びと悲しみが浮き彫りとなって、言葉にならないほどの悲愴感が漂う。

雪に閉ざされたドュヂチ村。
村のすべてが、息をひそめるかのようにじっとしている。
やがて春の訪れとともに、やわらかい日差しの中で、ナージャたちの笑い声が聞こえてくる。

ベルリン・フィルと子どもたち 2004年 ドイツ

2007-11-11 | ドキュメンタリー
現在、規律を守れない子どもたちが増えているという。
その基準は、それぞれの考え方があるから一概には言えないのだろうが、親とともに、常識の範疇を逸しているケースも事実問題となっている。

社会的な問題を抱え祖国を離れ、ドイツまでやってきた子どもたちがいる。
8才~20才、国籍は様々 ―― ロシア、イラン、イラク、ナイジェリア、ギリシャ・・・
彼らはベルリンにある学校に通っている。

これまでクラシック音楽とは全く縁のなかった彼らが、バレエ曲『春の祭典』に合わせて踊ることとなった。
総勢240名の大舞台である。
ベルリン・フィル管弦楽団の総指揮者であるサイモン・ラトル。
彼の提案で実現した一大プロジェクト。
無限の可能性をもつ子どもたちに、自信と希望を与えた素晴らしい企画であった。

一度も踊ったことのない子どもたちに、一から教えていくのは生易しいことではない。
それも一ヶ月弱という、短期間でだ。
なかなか規律を守れない子どもたちではあったが、ダンス教師の熱意が伝わっていく過程は、今の日本の教育現場とはいささか差があるように感じられた。
彼の話を聞いていると、昔の先生が言っていたようなことだった。
古いとか新しいとかではなく、ごく当たり前のことを言っているのだ。
よい師にめぐりあうと人生が変わるというけれど、子どもたちが耳を傾けるようでなくてはやはりいけない。
そういった熱意が、わが国では欠如されてはいないだろうか。

本番当日は大成功であった。
このドキュメンタリー映画は、練習風景がメインなのはわかっているのだが、最後の彼らの晴れ舞台は、もうちょっと観たかったな。

ディープ・ブルー 2003年 イギリス・ドイツ

2007-05-06 | ドキュメンタリー
海は生物の宝庫といわれる。
生物がこの世に誕生したのは、海からという説がある。
潮の満ち引きは、生命の誕生と大きく結びついているが、地球の7割を占めているこの海は実に神秘的であり、なおかつ我々が想像する以上に、ここでは壮大なロマンがくり広げられているのだ。

’01の『WATARIDORI』と似たドキュメンタリー作品である。
これと同様に、自然界における動物たちが苦難に立ち向かっていく姿は、おうおうにして、人間界よりもはるかに苛酷であると痛感させられる。

深海で生きる奇妙なものたちのワンダーランド。
この暗黒の世界でも、多くの生物が生息している。
電飾のような、宝石のような、その妙な光を自ら発するプランクトンたちは、闇の中で、お互いをせせら笑うかのように行ったり来たりしている。

優雅に羽ばたく鳥たちが、数千キロも横断していく様子や、零下57度、風速150mの猛吹雪の中を、3ヶ月間も卵を温めながらジッと耐える雄の皇帝ペンギンたちを見て、言葉に絶するほどの感動と、かれらの強さに胸が熱くなってくる。

母の愛は海よりも深し。
厳しい自然との戦いの中で子を守る親たちの姿は偉大である。
嫌な事件の多い昨今、人間も改めなくてはいけない。

血の婚礼 ’81 スペイン

2006-12-27 | ドキュメンタリー
20世紀のスペイン舞踊界において、最も重要な人物と称えられたアントニオ・ガデス。
彼の舞踊団が楽屋入りし、メイクアップや身支度をしていく様子をカメラがとらえていく。
やがて稽古場へ移ると、彼らの息の合った練習風景を映し出していく。

真剣な眼差し。
力強いステップ。
フラメンコ・ダンサーたちの、全身からみなぎる情熱が伝わってくるようだ。

『血の婚礼』の通し稽古(リハーサル)が始まる。
ミスは許されない。
そんな気迫が感じ取れるほど、完璧さが求められる。

リハーサルとはいえ、胸に迫るものがある。
あらゆる感情を全身で表現する ― オペラやクラシックバレエ、またミュージカルとも違う、独特な強さと悲しみの見せ方が心を打つ。
むせび泣くようなフラメンコ・ギターの音色もいい。

花嫁役のクリスティーナ・オヨスは、60年代からアントニオの団員として活躍してきた。
本作品のカルロス・サウラ監督は、ガデスと何度か組んでいる。
同監督の’98の『タンゴ』も、官能的な艶やかさで観る者を魅了させた。
こうしたジャンルはお得意の監督である。

リハーサル風景で、これほどの感銘を受けるのだから、実際の舞台はさぞかし素晴らしいものだろう。



オランダの光 2003年 オランダ

2005-11-26 | ドキュメンタリー
17世紀、オランダの画家たちの描いたその絵は光に包まれている。
それも特別な光に。
絵の具よりも自然光が、画家たちにとっては大事だという。
確かに微妙な光具合で、絵の印象は大きく変わってしまう。

「オランダの光は特別」
フェルメールやレンブラントの作品を観て、誰もが思うこと。
それは光のとり入れ方。
人物に対する光の当て方。
そして目を見張るのが、風景画の、水平線と雲の隙間から射し込む絶妙な光。

彼らが描いた光は、空想のものではないのか?
本当に、オランダの光なのか?
この作品はその謎に迫るため、各地を巡り、芸術家たちや専門家のインタビュー、観測による実験などをまじえた記録映画である。

オランダは低地であることもあり、更に、水がかなりの影響を及ぼしているようだ。
自然がおりなすこの〈オランダの光〉は、この国だけのものと90%確信したと、本作品のクルー達は言っていた。
国境を走り渡るドライバー達も、この光はオランダでしか見られないよ、と証言している。

絵画のような風景。
それを描写した画家たち。
かつて彼らが目にした光と、今ある光が同じなのかどうかは分からない。

同じ場所で見ている風景。
「一年を通して見てみると、一年前のようであって、一年後のようでもある。
いつも同じで、いつも違っている。」
ラストに流れる、この詩的な言葉が心に響く。

久し振りに、癒される作品に出会えて嬉しかった。 


デブラ・ウィンガーを探して 2002年 アメリカ

2005-08-10 | ドキュメンタリー
ロザンナ・アークェットはおせっかいやきなのだろうか。
そっとしておいてあげればいいものを、ついに彼女に見つけ出されてしまったデブラ・ウィンガー。
あれほど実力もあって、人気もあった彼女が、突然引退してしまったのは一体どうしてか!?
それを本人に会って、是非とも真相を聞いてみたいと思うロザンナの気持ちもわからないでもないが、やや強引ではないのか?(笑)

数多くの女優たちの本音インタビューをまとめた本作では、働く女性にとってはかなり共感をもたれ、また励みになったという声が続々と届いたそうである。

年齢によりオファーが無くなったとか、整形をしてるしてないとか、育児との両立なんてホント大変よとか、スケベな監督の実体だとか、結構ズバズバとしゃべってました。

しかし、これ、どこまでが本音かはいささか疑問である。
何故なら、彼女たちも現役の女優であるわけで、メンツもあるだろう。
しゃべってから、「あ、今のところはカットね」「それはちょっとマズイわね」
なんて言って、絶対に編集しているに決まっているだろうし。

仕事と子育ての両立が難しいのも、仕事にお呼びがかからなくなるのも、シワがまた一本増えて困るのも、正直なところが好感を持たれる所以であろうが、有名どころに関しては、やっぱり計算あってのコメントだろう。

惹きつけられたのは、やはりタイトルの彼女でした。
かつての苦しかった思いなど、切実に語っていた。
やはり大変だったんですね・・・

ロザンナさんも納得したでしょうから、もうそっとしておいてあげましょうね。