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TIME タイム 2011年 アメリカ

2013-05-25 | SF
なかなか面白い発想だとは思う。
近未来、人類は遺伝子操作により、すべての年齢が25才で止まる。
永久に25才なのである。
だがそれは、裕福な環境におかれていれば、である。
この時代になると、貨幣そのものがなくなり、代わりに“時”が支払いの手段となる。
例えば、公衆電話をかけるのに「1分」、バスを利用するのに「1時間」、高級車を買えば「59年」必要となる。

貧しいスラムゾーンに住まう者たちは、1日24時間分を得るために必死だ。
もし1週間、更に1ヶ月分も“時”を所持していれば、身の危険にさらされることは必至である。
“時”を奪われてしまうからだ。
生き延びられるか、毎日が闘いである。
その点、裕福ゾーンではそんな心配はゼロに等しい。
彼らは決して危険なことはしない。
決して無茶なことはしない。
彼らは永遠に25才のまま生きていける糧=時を持ち得ているから。

残酷だが、時は待ってくれない。
“時”を蓄えることができなければ、その場で死んでしまう。
腕のタイムキーパーがすべてゼロになればお終いなのだ。
なんとむごい事であろうか。
しかしそこには人口を操作するための画策があった。
スラムゾーンの人口を増やさないために、あえて“物価”を頻繁に上げていた。
その日暮らしの者が、「今日から上がったんだ」と言われバス代も払えず、家路に向かう途中でこときれてしまう・・・。

裕福な者たちは急ぐことをしない。
走ることもない。
そんな必要がないからだ。
不老不死など、薬か魔術(?)でもなければ実現できそうもないが、この時代、“時”をうなるほど持っていればそれが叶う。
しかし考えてみてほしい。
それが本当にいいのか。
自分が永遠の25才でいられたらそれはそれで嬉しいかもしれないが、親も祖父母も外見はずっと25才なのである。
嫁や旦那がそうならいいか。
下手にナンパはできない。
一応確認しておかないと、実際は100才なんてこともあるのだから(怖)。
子どもが25才に達して、家族写真撮ったらスゴイだろうなあ。
見てみたい気もするけど。

このひどい格差社会は、現代と結びつくところもあるように思う。
あながち極端な話だともいえないかもしれない。
本当に時を無駄にはできない時代になりつつある。
あらゆることにせきたてられているような気がしてならない。
だからこそ、時間は有効につかうべし。
まさに格言「タイム・イズ・マネー」である。