アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

セレンディピティ 2001年 アメリカ

2006-06-30 | ラブ・ストーリー
恋にまつわる話にかかせないポイントといえば、〈偶然〉と〈運命〉のふたつだろう。
本作品がクリスマス・シーズンといい、このふたつのキーワードといい、どことなく『めぐり逢えたら』に似通っているのが少し気にはなるのだが、まぁ許そう(笑)

とにかく初めから終わりまで〈偶然〉のオンパレード。
おいおい、そこまでしますかって。

偶然出会ったジョナサンとサラ。
素直に連絡先を教え合えばいいものを、やたら七面倒臭いことをしては、それが運命(サイン)だなどと、いい大人が言い合っていた(笑)
偶然を運命的なものとして結びつけるのは、ちょっと強引なように思いますがね。
偶然と思うよりも、必然と考えたほうが、より現実味があるんじゃないかな。

まぁ、彼らがあきらめずにいつかまためぐり逢えるのではないかと、それこそ偶然の再会を信じ続ける純粋な気持ちは素敵なことだ。
「んなぁワケないよ」と、単純に切り捨ててしまうのも寂しいではないか。

’97の『スライディング・ドア』の劇場用パンフレットに、作家の斉藤綾子氏がこう書いていた。
「会うべき人には絶対に出会えるのなら、遠回りするのも悪くない」 

火垂るの墓 ’88 日本

2006-06-25 | アニメーション
これこそかつて何かの作品のキャッチコピーで言われた、『涙でスクリーンが見えません』いや、『見えなくなる』に値する映画だ。
毎年、終戦記念日頃に放送される、野坂昭如の原作をアニメ化した本作。
話の筋がわかっているだけに、何度観ても、目がうるうる状態になってしまう。

声優陣がまたよく合っていたのにも、悲壮感を高めているように思われる。
映像にアテレコするのではなく、先に声優が脚本を読み、それに映像を合わせていったというのには驚いた。
そうすることによって、より情感のこもったものになるのかもしれない。

唱歌『埴生の宿』を聴くと、本作品と『ビルマの竪琴』を思い出す。
もっと前だと、『二十四の瞳』だろうか。
かすかに希望の光が見えてくるようだ。

戦争はすべてを破壊してしまう。
家も木も、人も心も。
でも、また立ち上がらなければならない。
前に進まなければならない。
いつの時代も、人はそうしてきたのだから。

ガス燈 ’44 アメリカ

2006-06-20 | クラシック
日本では明治5年、横浜の外国人居留地にガス燈が点灯されたのが初めてらしい。
さぞかし趣があったものだろう。

ロンドンのソーントン通りで殺人事件が起きた。
被害者は有名な女性歌手。
彼女に育てられた姪のポーラは、この悲劇から立ち直るため、イタリアへ向う。
そこで出会った音楽家と恋におち一緒になった彼女は、それまでの生活とは一転して、ひきこもりのような毎日を送ることになる。

「君はよく物を失くす」
「何故、物を隠したりする?」
「言った事をもう忘れたのかい?」
「覚えていないのか・・・」
毎日のように夫から投げかけられる言葉。
身に覚えのないことを言われ続け、更に、誰もいない物置部屋からは足音も聞こえてくる。
幻聴なの?
ポーラは次第に、自分は本当に病気なのでは・・・?と思い込むようになる。

ガス燈のゆらめく灯が、ポーラの怯え、戸惑う表情を照らす。

ポーラを演じたイングリッド・バーグマンの美しさには溜め息が出てしまうが、その大人しかった彼女が、ラストで、一気に夫にブチまけるシーンは圧巻であった。
 

ミート・ザ・ペアレンツ 2000年 アメリカ

2006-06-15 | コメディ
今まさに、カノジョの両親と会ったグレッグは、一向に気の休まらない男であった。
未来の妻となるパムの父親ジャックは、元CIA。
何にでも疑いの目を光らす、これまたできれば関わりたくない相手であった。
可愛い娘に近寄るとんでもない奴とばかりに、ネチネチとグレッグに意地悪するジャック。

ジャックを演じたロバート・デ・ニーロ。
’99の『アナライズ・ミー』(続編あり)やらのコメディにも楽しそうに出ていたし、ある意味いい息抜きになっているんでしょう。

グレッグをウソ発見器にまでかけちゃったり、ジャックのマンガみたいなイビリぶりと、グレッグの振り回されぶりが笑えるところだ。
ベン・スティラーとデ・ニーロの意表をついたコンビのお陰で、楽しめる作品となった。

パムの実家に滞在していた間、ジャックの書斎を借りていたグレッグは、夜、ジャックの写真に向って、何やらグチり始める。
到底、養父に太刀打ちできない彼のささやかな抵抗であった。
隠しカメラが設置されているとも知らずに、かなり強気な様子。
後で、そのテープを見ながらニンマリするジャック・・・
やっぱりこの人、意地悪だぁ(笑)  

ミザリー ’90 アメリカ

2006-06-07 | ミステリー&サスペンス
雪深い道中で事故ってしまった小説家のポールは、運良く、元看護師のアニーに助けられる。
彼女の家へ運ばれ、手厚い介護を受ける。

彼女は食事から身の回りの世話と、元看護師らしく、甲斐甲斐しく振舞う。
朝食なんて、胃がもたれそうな程のサービスぶり。
それには理由があった。
彼女は、ポールが執筆中の『ミザリー』の原稿を見つけ、目の前にいるこの男こそが、作者本人であることを確信したからだ。
何を隠そう、彼女は熱烈な『ミザリー』ファンであって・・・

冒頭の〈運良く〉が、後に〈運悪く〉ととらえたくなる中盤以降の恐ろしさと面白さに、釘付けになること受けあいである。
豹変したアニーの異常な行動と言動。
自分の思い通りの結末に書かせようとする、その執拗さと強引さ。

アニーを演じた、キャシー・ベイツの怪演さにはあっぱれだ。
本作品で、主演女優賞を取ったのもうなづける。
小説家に扮したジェームズ・カーンとの二人芝居のような、まるで舞台劇を観ているよう。(実際に、日本でも舞台化しましたね)
彼ら二人の演技力なくして、この作品は成り立たなかったといっても過言ではない。

静けさの中で起こる恐怖が一層インパクトを強め、ヘタなホラーものより、心理的にズシンとくる作品である。


舞台よりすてきな生活 2004年 アメリカ

2006-06-02 | ヒューマン・ドラマ
作家というものは両性具有でなければならないと、何かで読んだ覚えがある。
要するに、同性に対して異性の目で見られるか、である。
確かにそうでもなければ、細やかな描写や心理を書くことは難しいだろう。
そう考えると、映画監督にも同様なことが言えるのかもしれない。

劇作家のピーター・マクガウェンは、ややスランプ気味。
失敗作が続いており、どうも落ち着かない。
妻は子供欲しさに何かといちゃもんをつけてくるし、(でも奥さんてすごくいい人だし、言ってることは正論なんだけど、ピーターにはうるさく聞こえる・笑)隣では犬を飼い始め、吠えるのがうるさいと嘆き、新しく越してきた逆隣の家には、彼の嫌いな子供がいて・・・

仕事に集中できないとイラつくピーター。
だが脚本の中では、子供のセリフが重要な鍵でもある。
子供嫌いなピーターは、子供の気持ちや言いグセがわからない。
でも書かねばならない。
さて、どうしたらいい、ピーター!?

コミカルでシニカルな本作だが、終盤あたりから少しハズしてしまった感アリ。
お隣同士が和解せずじまいだったのは、とても残念!
でも、他人の家のことに口を出し過ぎたピーターもピーターかな。

マクガウェン夫妻には、待望の赤ちゃんがやってきたかもだけど、隣家はその後どうなってしまったのかと、返ってそっちを心配してしまうっていうのも、意外にもこの作品の意図がわからなくなってしまい、やや消化不良のような重たさが残ってしまった。