アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

ナイト & デイ 2010年 アメリカ

2014-03-25 | アクション
トム・クルーズとキャメロン・ディアス共演のアクション映画と聞けば、誰しも安心して鑑賞できそうである。
なにせこの二人なのだから。
スタントいらず、なんでも自分で挑戦しまくっている、スパイもんならどんと来い!ってなクルーズである。
『チャーリーズエンジェル』でカンフーも会得し、カッコよく、キモチよく、サービスよく動き回っていたディアスである。
この二人なんですから、お手のもんでしょう。
こなれた演技を見せてくれるでしょう。

むかしのダジャレで「内容が無いよう」というのがありましたが(笑)、まさにこれ、この映画にどんぴしゃであります。
内容が無いんです。
たった一つの〈スーパーバッテリー〉をよこせ、よこさないの話であります。
98%は、泣く子も黙りそうな二人のド派手な活躍攻撃。
やけっぱちな二人に怖いものなし、である。
すべてがクリアされていく、この「絶対にだいじょーぶ!」的な筋書きに対して、なんの文句がありましょうか。

CGの多用に不自然な場面が増長される点は仕方ないとしても、クルーズの、あのスターの印である白い歯はいつにもまして光っていたし、ディアスのオレンジ色のビキニも負けじと輝いていたし、いつでもどこでも元気で陽気な二人を見ていれば、内容なんか無くったっていいんだと、こっちもやけっぱちになっていることにいつしか気づかされてしまう、そんな不可思議なところがこの映画のいいところなのかも。

キャメロン・ディアスには、いつまでもおきゃんでいてもらいたい。
'90の『バード・オン・ワイヤー』のゴールディ・ホーンみたいな、ハチャメチャなアクションコメディが似合う女優でいてもらいたいなあ。
トム・クルーズは、あの固定されたハリウッドスマイル(男性版)を常にたやさず、歯のクリーニングも怠らず、60代になっても、スタローンやその他のみなさんのように、負けじ魂でそのまま貫いていってもらいたいものです。
マンネリなんて怖くはないでしょうから・・・ね。

トイレット 2010年 日本

2014-03-04 | コメディ
絆という言葉の重みを改めて考えさせられる。
一方で、この言葉が安易に使われすぎていることに憂えている。
絆は目に見えるものではなく、心と気持ちの結びつきであって、その強弱がどうのこうのということでは決してない。
つながっていればいい。
つながってさえいれば。

日本人の母を亡くした三人のきょうだい。
研究所に勤務するレイと、パニック障害から引きこもってしまっているモーリー。
そして大学生のジェシカ。
三人の仲がいいとはいえないが、何気に協力し合って生活している。

母は生前、自分の母親を日本から呼び寄せていた。
祖母は娘をつきっきりで看病していたようである。
母は可愛がっていた愛猫「センセイ」との別れをそれは惜しんでいた。
「もう一度センセイの匂いをかぎたい」
これ、本当によくわかります!!
愛猫家にとって、うちのコの匂いをかがない日はないですからね。

「ばーちゃん」は英語がわからない。
だから三人の孫たちとも会話が成り立たない、というより、ばーちゃんはまったく話さないのである。
微妙に目を細めたり、顔をしかめたり、わかっているのかいないのか。
でもわかっているのだろう。
ばーちゃんの目を見て、気持ちを込めて懸命に伝えれば、願いは届くのである。

このばーちゃん役をもたいまさこが演じているが、本作品の中で唯一の日本人である。
そう、この映画は全編英語、すべて海外で撮られている。
荻上直子監督が、北米でどうしても撮りたいと懇願していたという。
監督渾身の作品といえるだろう。
もたいのばーちゃんがまた主力となっていて、これまた味がある。

ばーちゃんは毎朝トイレから出ると、深いため息をつく。
それを見てレイはいつも不思議に思っていた。
同僚にそれとなく話してみると、トイレのタイプが合ってないからじゃないか、と言う。
そうきますか!
個人的には、「お通じが悪い」ぐらいに考えていたのだが、その同僚は、日本のテクノロジーについて話し始め、ウォシュレットの説明に入れば、マドンナの経験談を引用し、どれほどそれが素晴らしいかを力説する。
レイはばーちゃんにこのトイレを使ってほしいと考え始める。

個人的に荻上作品が好きだ。
なんといおうか、常に空調が行き届いているような、淀みのない清浄さと人物たちの心の温かさ。
たいていはそっけないタイプばかりなのだが(他作品でも)、実はみんないい人というのが実にホッとさせてくれる。
あとはなんといっても間(ま)だろう。
セリフや動きの間が絶妙なんである。
最後まであきさせない見せ方はさすがであった。