アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

セッション 2013年 アメリカ

2017-05-25 | ドラマ
なんだか意外だった。
想像していたものとはまったく違うものだった。
厳しい中にも心温まる師弟愛とか、そうしたエピソードがあるものかと思っていたから、かなり裏切られたといってもいい。

アメリカ国内で最高峰といわれる音楽院に入ったアンドリュー。
ジャズクラスで、パートはドラムス。
トップクラスの楽団を指導する教師フレッチャーが、アンドリューの叩くドラムの音を聞き、自分のクラスへと引き抜く。
二人の出会いはこんな感じ。
そこからただならない指導風景を目の当たりにすることとなる。

上を目指すからには、日々厳しいレッスンに耐えることは当然である。
血のにじむような練習を繰り返す毎日。
しかしフレッチャーのそれは度を越している。
まるで軍隊のよう。
ののしり方がハンパないのである。
音楽って、もっと繊細なものでしょう。

ただこの師弟、似ているところが一つある。
それは強引なところ。
教師の、精神的ダメージを与えるその指導もさることながら、アンドリューの人やドラムに対する強引さもいきすぎているように感じる。
一生懸命なことは大変よいのだが、肝心なところがズレているのだ。

フレッチャーが言う。
「敵が多いことも、指導がいきすぎていることもわかっている。 だがどうしても、第2のチャーリー・パーカーを育てたかった」
彼のやり方を知ったら、かのチャーリー・パーカーも泣くだろう。

はじまりは5つ星ホテルから 2013年 イタリア

2017-04-15 | ドラマ
覆面調査といえば、ミシュランの格付けを思い浮かべるが、近頃では高級店だけでなく、一般的な店でも行われている。
抜き打ちだから、店側にとってはなかなかの緊張感がともなうだろう。

イレーネは世界中の5つ星高級ホテルの覆面調査員。
即ち、"ミステリーゲスト"である。
あくまでも一般の客として宿泊しているから、現地で知り合った者にも嘘をつかなくてはならない。
職業を聞かれると、ちょっと戸惑ってしまう。

この映画で残念に思うところは、キャリアウーマンのイレーネに対して、マイナス的要素がつきまとうところ。
親友である男性は、15年前に別れた元恋人。
その彼の相手(といっても、出会ったばかりの)に子どもができてしまい、もう彼を頼れなくなってしまった。
妹はいつもイライラ。
イレーネに会うと、当たり散らすこと多し。
とてもなついている姪っ子たちも、やはり自分は母親(イレーネの妹)には勝てないという現実を知り気落ちする。
出張先で出会った男性には、「僕は最高の愛妻家なんだ」と言われ、出ばなをくじかれる。
あるホテルのスパで一緒になった女性とは心を開ける友人になれそうだったのに、その彼女は突然、ある理由で姿をみせなくなる。
この一件で、イレーネは人生に、今の自分のおかれている状況に対して考えさせられることに。
人生の9割は今のような生活をおくって、家に帰れば、無機質な部屋の中にホテルの高級アメニティばかりが増えていく。

空しさばかりがクローズアップされているようで、ちょっと抵抗したくもなるが、いいではないのイレーネさん。
あなたは一生懸命与えられた任務に従事してらっしゃる。
高級ホテルばかり泊まれるなんて(仕事だけど)、一般人にはなかなかできることではないですし、畏縮しそうなほど高級感あふれる空間で、女ひとり、悠々と過ごす所作も堂に入っていてステキです。
そもそもあなたは好きでこの仕事をやっている。
性にも合っている。
仕事なんてもんは多かれ少なかれ自分との闘い、孤独な稼業なんですから。


17歳の肖像 2009年 イギリス

2017-03-09 | ドラマ
大学受験を控えたジェニーは、学校からも一目おかれる優秀な生徒。
進路希望は、名門オックスフォード大の英文学部。
小論文はいつもパーフェクトだが、ラテン語がやや苦手。
勉強はマジメにやってはいるけど、時折、教師の目を盗んで体育の授業をおサボリしたり、タバコに火をつけてみたりと、単なるガリ勉ではないのであった。

60年代のイギリスの女子高生の制服を見て、'64の『ア・ハード・デイズ・ナイト』に出ていたパティ・ボイドたちを思い出す。
ジェニーはフランス語とチェロが趣味。
将来はフランスに住みたいなんて思ってる。
そんな彼女、チェロの稽古帰り雨に降られ困り顔。
雨は結構強く降っている。
楽器を濡らしてしまうわけにはいかない。
そのとき、外車に乗った男がジェニーに声をかける。
「チェロがかわいそうだ。 乗らないか?」
彼の名はデイビッド。
ジェニーよりも年上の男であった。

ティーンエイジャーとくれば、ちょっと背伸びしたくなったり、自分の知らない世界をのぞいてみたくなったり、「ダメ!」と親たちから言われることにやたら反発したくなったりと、いろんなことを吸収したくなるお年頃である。
ジェニーも然り。
交際について触れられると、このまま勉強だけして、担任のように地味で何が楽しくて教師なんかするのか、そんな人生はまっぴらだと毒づく。
デイビッドと仲間の優美な大人の世界に憧れ、興味を抱いていく。

ジェニーに声をかけた時点で、こいつは胡散臭い野郎だと思ってはいたが、ジェニーの両親に会って彼らの信頼を得ようというあたり、かなり確信犯なやつである。
しかも彼女の母親に、「お姉さんかと思いました」なんてほざくたぁ、お前は高田純次か!とツッコミたくなりましたよ(笑)。

原題は『an education』だが、ただ勉学にはげみ高学歴の人になりなさい、といっているわけではない。
人生学ぶことは大事だが、失敗から学ぶことだってたくさんある。
ジェニーも試練を乗り越えていくことにはなるけど、自分の愚かさに気づいて、改めて目標にむけて頑張る意気込みは買いたいよね。
それに彼女は今回のことで、もっていなかった精神力を身につけたのである。
素直な心と意欲をもち、そして「演技力」も得たのであった。
これはひとりの女子高生の、人間的成長を描いた教養小説である。

天国から来たチャンピオン '78 アメリカ

2016-10-24 | ドラマ
本当はあと50年も生きられたはずだったのに、天使のミスにより、ジョーはこの世に別れを告げるはめになってしまった。
あの世(最終点)に行くには、「通過点」を通るようである。
スーツをきちっとまとった天使は、「最終点」に向かう者たちのリストを確認しながら、飛行機らしき乗り物に案内している。
ここでいう「通過点」とは、仏教でいう「三途の川」や「黄泉平坂(よもつひらさか)」にあたるようなところなのだろうか。
リストによると、彼の寿命は2025年となっていた。

なんてことだ・・・ こんなことってあるのか! ジョーは憤る。
早くこの体を戻してくれ、と。
天使はもっともだとばかりに、二人は急いで下界へ。
ところが時すでに遅し。
ジョーの体はもはや火葬されてしまっていた。
体がなければ戻れない。
誰か他の体を借りるしか方法はないという。

ジョーはプロのアメフト選手であった。
がたいのいいスポーツマンタイプの体格が自分には合っている。
それにすぐまたアメフトをやりたいから。
しかしある女性に好意を抱いてしまったことから、ジョーは今まさに息絶えた大資産家の、スポーツといえばポロ愛好者という人物の体に移ることとなって・・・。

このコメディドラマは、戦前の映画のリメイクらしいが、映画自体は面白い。
だが残念な点がひとつ。
これ、主演がウォーレン・ベイティである。
それは別にいい。
二人の人物(中身)が入れ替わるなんて話はよく作られるものであるが、本来ならば、入れ替わった設定後もそれぞれの役者がその異なる中身を演じるはずである。
しかしなぜか、ベイティがそのままの姿で資産家役を演っているのである。
ラスト近くでも、別のアメフト選手の体に移るシーンがあるのだが、それもベイティが演じている。
誰かの体を借りてもみんな顔がベイティ(ジョー)のままなのだ。
変ではないか。
変といえば、資産家役と別の選手役とどちらも顔がほぼ出ていない。
「俺」が演るからいいのだとばかりに。

監督、演出、脚本、主役と、全てにわたって頑張ったのには賛辞を贈りたいが、あれもこれもベイティとは・・・。
さすがにここまで出たがり屋だったとは思いませんでしたわ(苦笑)。

花嫁と角砂糖 2011年 イラン

2015-06-03 | ドラマ
そよ風に木々がなびき、草花がおどる。
宝石のような木漏れ日が、庭に降りそそぐ。

パサンドの婚前式に親戚たちが集う。
姉たちも喜び、いそいそと式の準備に励む。
小さな姪っ子たちがはしゃいでいる。

新郎は海外に住んでおり、婚前式は新婦のみ。
相手の父親は顔を見せたが、どうもパサンドの母親も伯父も彼とは合わないようだ。
「わたしが向こうへ行くのは半年も先だから」
パサンドは大好きな伯父をこうなぐさめるが、彼はいい顔をしない。
母親もあまり嬉しそうではなかった。
でもパサンドは幸せそうだった。
姉たちが話しているのを耳にするまでは・・・。
パサンドには想いをよせていた人がいたらしい。
その人は軍に入隊して久しいようである。

翌朝、伯父さんは愛用のラジオが壊れ、やや不機嫌。
朝食を温めなおすわと、パサンドがその場を離れている間に、事故が起きてしまう。
一かけらの角砂糖をのどに詰まらせてしまったのである。

お祝い事から一転して、出席者たちは黒の喪服へと着替える。
花嫁は喪服を着ちゃだめよと、姉たちは言うが、大好きだった伯父が亡くなり、しかも、自分がそばにいたのに気付けなかった悔しさから、彼女は姉たちの反対を押し切り、喪服に袖を通す。

知らせを聞いてか、ガセムが帰ってくる。
彼も伯父さんの死をひどく悲しんでいた。
ガセムは伯母さん(亡くなった伯父さんの妻)に、自分は除隊してここに住むつもりだと話す。
隣で聞いていたパサンドは、「え?」と、信じられない様子でガセムを見る。
学生だった頃、ガセムは伯父さんの家に下宿していた。
その縁もあってか、伯父さんはガセムとパサンドが将来一緒になることを望んでいたようである。

パサンドの心が揺らぎ始める。
ところが、ガセムは一言もなく、その日のうちに隊へ戻ってしまった。
彼はパサンドが結婚することをどうも知らなかったようだ。
隠しておいた新郎&新婦のネーム入りケーキを見てしまったのである。

明け方、みんな疲れ切ってまだ眠っている。
そんな中、パサンドは一人目を覚ます。
停電がおさまり、電灯が点いたのである。
彼女はみんなが起きないよう、部屋をまわって電灯のスイッチを切っていく。
するとどこからか音楽が聞こえてくる。
音の出所を確かめると、それは、あの伯父さんのラジオからだった。
ガセムが直しておいてくれたのである。
流れてくるのは愛の歌。
パサンドは目を閉じ聞き入る。
この時、おそらく彼女は意を決したのだろう。

ラジオからの曲は、自分の気持ちに正直になりなさいという、伯父さんからのメッセージだったのかもしれない。



リトルダンサー 2000年 イギリス

2014-09-05 | ドラマ
今年(2014年)は、ローザンヌ国際バレエコンクールで、ソチオリンピックのフィギュアスケートで、それぞれ日本男子がトップに輝いたことで大いに注目を集めた。
本当にすばらしかったし、美しかった。

今日の日本では禁句に等しい「~らしくしなさい」という言葉。
「男の子だから、女の子だから、こうしなくてはいけない」というのは時代遅れも甚だしい。
のびのびと、自分のやりたい芸術やスポーツ、はたまた多方面にわたって、男女隔てなく活躍できることは素敵なことだ。

イギリス、保守的な炭鉱の町に住むビリーは、ボクシングよりもバレエが好きな男の子。
父親には内緒で、密かにバレエのレッスンを受けていた。
後に事実を知った父は、頭から湯気を出す勢い。
「絶対に許さん!」

ビリーはあきらめたくなかった。
素質は備わっていた。
彼は父の前で踊った。
無我夢中で踊った。
その勢いに息をのんだ父は、考えを改める。
あいつに、本格的にオーディションを受けさせてやろうか・・・。
ロンドンまでの交通費、受験費用、その他いろいろとお金はかかる。
父は妻の形見までも質に出す覚悟でいた。
ビリーのためなら、母さんも許してくれるだろう。

バレエ学校でのオーディションは緊張もあってか、パッとしない出来栄えであった。
思いどおりにからだが動かなかったことにビリーはイラつき、ほかの生徒にあたってしまう。
面接時での親子二人は、半ばあきらめの態度であった。
面接官たちも、いまいちよい返答がないことに残念な思いがあらわになっていた。
退席の際、一人の面接官がそっと聞いた。
踊っているときはどんな気持ちか、と。
「わからない」
落胆する面接官。
「・・・でも・・・」
何気に続けたその返事に、彼らの表情が和らいだ。

家族の支えほどありがたいことはない。
もちろん周囲の協力もあってこそだが、根本は親の子への真意である。
苦労を苦とは思わず、いかに子どもの熱意を伸ばしてやれるか。
子どもの関心ごとをつまらないことだと決めつけず、一緒に喜んであげられることがどれほど大切なことか。
才能の芽をつぶしてしまったらもったいない。


クレイジー・ハート 2009年 アメリカ

2014-06-25 | ドラマ
57才のバッドは、現役のカントリー歌手。
かつては異彩を放つほどの大物だったが、いまではかなり落ちぶれてしまっていた。
地方巡業でなんとかやっていたものの、飲んだくれがたたって、失態も相次ぐ。

曲を作れよ、と勧められる。
アルバムだっていいじゃないか。
しかしバッドは乗る気はない。
確かに金にはなるが、もう長いこと曲は作っていないし、すべきではないと思っている。
ノリにノッてるいま大人気のトミーは、恩師であるバッドからすべてを教わった。
トミーと組んだらという話もあるが、バッドからすれば、「冗談じゃあない!」

時折、からだの具合が悪くなる。
酒のせいだとは分かっていたが、断つことはできない。
彼はもうアルコール依存症だった。
酒がなければ歌えない。
酒がなければ生活もできない。
ましてや、酒がなければ女も抱けない。

巡業先で地元紙のインタビューを受けた。
記者は、キーボード奏者の姪であった。
名前はジーン、4才の男の子がいるシングルマザーだ。
バッドはジーンを気に入ったようだった。
ジーンも彼が気になる。
二度目のインタビューを機に、ふたりは急接近することになる。
バッドはジーンの息子バディをとても可愛がった。
自身にも28才の息子がいるという。
だが24年も会っていない・・・俺は会おうともしなかったんだ・・・

4日間休みが取れたから、一緒に過ごしたいとジーンから連絡が入る。
サンタフェからはるばるバディを連れてやってくるのだ。
バッドは嬉しくて仕方ない。
身だしなみにも気合が入る。

ジーンがショッピングに行っている間、バッドはバディを連れて公園へ出向く。
日差しがまぶしい。
涼しい場所へ移ろうと、バディをうながす。
街中を散歩中、彼はノドをうるおしていこうと、とあるバーに入る。
バディにはジンジャーエールだ。
カウンターにバディを座らせても、じっとしているわけがない。
彼は4才の男の子である。
ちょっとした隙に、バディの姿はバッドの視界から消えてしまっていた。
彼はすでに酔っていた。

信用は取り戻せなかった。
ジーンは怒り、彼の元を去る。
ジーンに去られたことで、バッドは絶望のどん底にいた。
そして決意する。
酒をやめると。

バッドは生まれ変わった。
失意の底から這い上がり、辛い経験を歌にした。
その見事な曲をトミーに提供したのである。
俺もまだ捨てたもんじゃないだろ?

人間誰しも、失敗や苦労を重ねなければ成長できない。
そして、どんないいものも作ることはできない。
それをこの映画は教えてくれる。

五月のミル ’89 フランス

2013-03-21 | ドラマ
時は五月革命真っ只中のフランス。
南仏の膨大な敷地に建てられた屋敷の女主が亡くなった。
老母を突然失ったミルはあわてる。
使用人のアデルも手伝って、親族がこの古い屋敷に集まってくる。

ミルの娘やその連れ合い、孫たちや姪に弟・・・。
何年振りなのか、久し振りに顔を合わせる一族。
しかしなんといおうか、ブルジョワ独特なのだろうか、彼らは挨拶もそこそこに、懐かしむ素振りもあまり見せない。
彼岸へ旅立った故人への思慕を表すこともない。
すべてが素っ気ない。

食事中にいよいよ、資産の分配について話し合いが始まる。
唯一ミルだけは、そうしたことには無関心であった。
そしてただ一人、亡き母を思うのも彼だけだった。

「屋敷は絶対に売らない!」
ミルは断固として言い張る。
こんな広いところに一人で住んでいたって仕方ないじゃない、と周りは言うが、彼にとって生まれ育ったこの場所を離れるなんて考えられないのだ。

資産については、まこと熱心にその後も話が続いていく。
中でも執着心丸出しなのが、ミルの娘と姪の二人。
まるでハイエナのごとく、である。
こうした醜い争いを避けるためにも、遺言を残すことは大切であろう。
高価な品や、大事なものがあるなら尚更である。
後に弁護士が、一通の遺言書を開く。
そこには、「使用人のアデルを遺産分けに加えること」とあった。
驚く家族たち。
「こんな私のために、彼女は懸命に仕えてくれた」と感謝の意が示されていた。

実のところ、ミルとアデルはちょっとした仲だったようで、母が亡くなり、この家に自分と彼女だけ・・・と彼は密かに思っていたのであろう。
しかしアデルには婚約者がいたのである。
唖然とするミル。
このときの彼の表情は滑稽だ。
ミルもちゃっかりと、弟の奥さんと仲よくなっちゃったりして、年甲斐もなくやることはやってるところはさすがにブルジョワである(関連なし)。

葬儀も無事に終え、それぞれが家路に向かう。
屋敷の中は、さっきまでの賑わいが嘘のように静まりかえっている。
家財なども、ほとんど整理された。
そんなガランとした部屋の中で、亡き母親とミルが、ゆるやかにダンスをするラストシーンは、なんとも心寂しい気持ちになるのだった。

めがね 2007年 日本

2012-11-09 | ドラマ
「タエコさんは、どうしてここへ来ようと思ったんですか?」
「・・・ケータイが繋がらなさそうなところに来たかったから・・・」
特別観光するような場所もなく、しかもオフシーズンである春にここへ来るっていうのも、土地の人から見れば不思議に思うのであろう。

「観光するところもなくて、みなさんここに来て何をするんですか?」
「・・・たそがれる?」
そう、ここはたそがれの島。
たそがれるコツはあるんですか?と、タエコはハマダ(宿)の主人ユウジに訊いてみる。
「コツなんてものはないけど、まあ、昔を懐かしんでみたり、ある人のことをじっと想ってみたり、そんなことじゃないですかね」

しばらく俗世から離れ、こうした島を訪れるというのは、ある種、ものすごく贅沢な旅だろう。
これといったストーリーはない。
余計なものが一切ない。
波の音が涼やかに響く。
氷を削る音。
朝の、メルシー体操の音楽。
自転車のかすれたようなペダルの音。
目の前に広がるのは、ただ黙って、ひたすらに眺めていたい、透明な海だけ。

すべてがゆっくりである。
でも飽きることはない。
そこがいい。
キリリと冷えたビールがのどに沁み込んでいくような、乾いた肌にうるおいがチャージされていくような、岩のように凝り固まった肩がやさしくほぐされていくような、ちょっとした幸福感が味わえたような、そんな作品である。

とことん「たそがれたい」なら、そこはやはり海であり、島である。
タエコの場合はそもそも、たそがれ目的ではなかったのだが、いつしか「たそがれの島」にとりつかれてしまう。
そこが海の、島の魅力なのである。
島でのマリンスポーツもいいが、たそがれることもまたよい。

「才能ありますよ、ここにいる才能」
言われたら、うれしい。

エル・スール ’83 スペイン・フランス

2012-05-30 | ドラマ
なんて美しいのだろう。
ひとつの場面が、まるで絵のようである。
たとえるなら、そう、フェルメールの窓辺の光。
ラ・トゥールの灯による陰影。
レンブラントの明暗。
闇から浮き出す人物などは、さながらサルトの肖像画のよう。
小物にいたっては、ボージャンの静物画にあたるだろうか。
撮影技術の素晴らしさ、美しさに息をのむ。
珠玉の作品のひとつといっていい。

落ち着いたテンポで物語は進行する。
成人した主人公が語り手となって、彼女が8才で、スペイン北部へと移り住んだ時点から、15才、父が亡くなり、その後、体を病んだことがきっかけとなり、養生のため、かねてから憧れていた南(エル・スール)へ向かうまでを描く。

大好きな父の秘密を知ってしまった少女。
以後、少女の父親への愛情が変わりつつあることに、彼女自身が気づくようになる。
知らない名前。
カフェで手紙を書いていた父。
なにか思い込んでいるようなまなざし。
誰にも話してはいけない、そう子ども心に察し、自身の胸にしまい込む。

7年後、成長した少女は、学校の昼休み、父からランチに誘われる。
めずらしいわね、と久し振りに父と娘。
テーブルをはさんで向かい合う。
父はいつものようにコニャックとコーヒー。
レストランの扉の向こうでは、披露宴が行われていた。
ちょうどダンスタイムなのか、音楽がもれてくる。
父は思い出したように、ほら、この曲、覚えているかい。
おまえと一緒に踊ったときの、あの曲だよ。
娘はちょっと考えてから、・・・ああ、初聖体拝受のときだっけ?

わたしも思い出したことがあるの、パパに聞きたかったことが。
なんだい、言ってごらん。
彼女は7年前に見たことを父に話した。
その女の人をパパは知ってるの?
いや、知らない。
無言で席を立つ父。

もう少し、一緒にいられないか?
席に戻るなり、娘を驚かす父親。
フランス語のクラスがあるのよ。
サボったっていいじゃないか。
本気で言ってるの?
じゃあね。
テーブルで娘を見送る父。
ゆっくりと手を上げる。
「じゃあ」
それが父との最後の会話であった。

あのとき、もうしばらく父と一緒にいてあげていれば・・・
それより、直接あんな話をしていなければ・・・
彼女も相当悩んだことだろう。
8才のときに目にした別人のような父。
母以外の女性の名前を見た少女にとって、少なからず戸惑いはあった。
父は、昔の恋人への想いを断ち切れずにいた。
人知れず苦悩してきたのだろう。
父親にとって、一番知られたくない者に知られてしまったことは、ひどくショックだったに違いない。
大人になって娘は、父の身勝手さをどう感じ取ったであろうか。