アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

バグダッド・カフェ ’87 ドイツ

2005-06-26 | ドラマ
映画好きな人なら、きっと外せない作品のひとつだろう。

アメリカ、ラスヴェガス。
砂地を通る一本のハイウェイ沿いに、ひっそりと立つ一軒のさびれたモーテル。
その名がこの映画の題名となっている。
「カフェ」といっても、コーヒーマシンは壊れていて、使い物にならないのだが・・・

なんとも不思議な、ひとりのドイツ人女性がやってきたことにより、周囲の人々が、みんなハッピーな気持ちにさせられていく。
ささくれだっていた女主人のブレンダも、最初はこの珍客をうざったそうに見ていたのだが、次第にふたりの間に友情が芽ばえていく。

このドイツ人女性ジャスミンは、まるで救世主のよう。
だってこのブレンダさえもが、彼女のとりこ(?)になっちゃったんだから!
本当に、ここに出てくるみんなが、ジャスミンの魔法にかかってしまったようである。

この映画の主題歌となった『コーリング・ユー』は、あまりにも有名。
ジュヴェッタ・スティールの歌声が、画面いっぱいに響き渡る。
名曲であるがゆえ、多くのアーティストがカヴァーしているが、個人的にはホリー・コールのが一番気に入っている。

目を閉じてこの曲を聴くと、その場所にたたずんでいるような気にさせられるから不思議である。  

公園からの手紙 ’88 キューバ・スペイン

2005-06-22 | ドラマ
今では、コミュニケーションの手段として大変便利なメール。
しかし、直筆の手紙というのは、やはり味があっていいものである。

飛行船や気球にのめり込む青年ファンと、裕福な家のお嬢様マリア。
二人は瞬時にひと目ぼれ。
その後代筆人に頼んで、恋文を送り合う。
二人とも代筆人に、しかも同じ者に頼んでしまっているなんて・・・(お互い気づいてないのだが)
人に頼まずこういうのは、しっかり自分で書きましょう(笑)

すばらしい詩の手紙に感銘を受けるマリア。
すっかり騙されてしまってます。
ますますファンに夢中になる一方、やっかいなことに、代筆人であるべドロも、彼女のことが好きになってしまう。

夢に向かって突っ走るファンと、人生の悲哀を感じているべドロは、世代も考え方も全く違う。
そんなふたりのマリアに対する愛情の度合いも、やはり違ったものになっている。

あちらでは「ハンカチの言葉」というものがあるらしく、相手の前で、
1.ハンカチを落とすと、私たちはお友達。
2.端と端を合わせてたたんで持つと、一生あなたを待つ。
3.指のまわりに巻けば、死ぬまであなたと一緒。
4.右手で強くハンカチを握りしめると、私はとても幸せです。
だそうで、最後の場面でマリアが、このうちのどれかを表現している姿が愛らしい。

「愛は感じるものだ」とペドロは言っていた。
Love is feeling.

マリアもきっと、感じとったのだろう。
そう、真実の愛を、ね。 

プリティ・ウーマン ’90 アメリカ

2005-06-16 | ラブ・ストーリー
御存知のとおり、ジュリア・ロバーツの大ブレイク作品である。
本作品はかつて、女性たちの圧倒的な支持を得ていた。
ロイ・オービソンの曲もよく似合ってたし、この映画のサントラも随分と売れたらしい。

ところで、同じラブ・ストーリーなのに、男性からウケがよかった作品がある。
それは’82の『愛と青春の旅立ち』。

これらの二作品、偶然にも主役がリチャード・ギアだった。
どちらもカッコイイ役である。
エンディングにしても、ヒロインを迎えに行って赤面ものの演技を見せたところなんて、非常にアメイジング(笑)である。

さて、同じ俳優の作品で、ハッキリと男女の好みが分かれるのも面白いところだ。
そこはやはり、心理的キーワードの違いであろうか。
前者のポイントは、ファッション/恋&オシャレ/ブランド/リッチ/スウィートルーム/超高級ホテル/いちごとシャンパン(笑) etc・・・
女性憧れのキー・ワードばかりの、シンデレラ・ストーリーである。

一方、後者に関してみると、苦悩→野望を抱き→厳しい訓練に耐え抜き→成功に至り→愛をつかむ
もう男性にとっては、涙ものの理想型物語ではないか!

ギア様と呼ぶべきなのか・・・
イラストレーターの石川三千花氏が、自身の著書で、彼を「農夫顔」と書いていたのには笑えた。(もちろんイラスト付き!)
農夫顔のギア様はモテ役ばかりだが、どうもアメリカ人のセンスがいまひとつわからない。 

ザ・ドライバー ’78 アメリカ

2005-06-14 | アクション
スリリングなカー・アクション。
ライアン・オニール扮する〈ドライバー〉は、犯人たちを車に乗せて逃亡に手を貸す、言わば「逃し屋」である。
パトカーなる追っ手からも、見事なハンドルさばきで逃げおおすところなんざ、実に気分がいい!

仏女優イザベル・アジャー二が、今とほとんど変わらぬ風貌で出演している。(今よりはスリムだけど)
女賭博師〈プレイヤー〉。
いいじゃないか。
彼女の場合、ほとんどセリフがない。
やたらなセリフがない分、余計に謎めいていていいんだろうな。

後半のカー・チェイスは必見!
もう、ずっとカー・チェイス。
息をのむカー・チェイス。
カッコイイのである。
同乗の〈プレイヤー〉が、表情ひとつ変えないのがまた、いいじゃないか(笑)

今のハリウッド・アクションの大味な作りに比べると、実にムダの無い、スッキリとしたストーリーである。

このカー・チェイスを見て、スカーッとするのもまた、いいじゃないか。

浮き雲 ’96 フィンランド

2005-06-10 | ドラマ
アキ・カウリスマキ監督作品は、あまりセリフが無い。
セリフが無いのに、非常に心温まるものが多い。
かつてのサイレント映画に通じるものがあると思うが、’98の『白い花びら』では、モロ、原点に戻っていた。

本作品では、夫婦の温かみを感じさせてくれる。
決してファミリードラマのような、ほのぼの映画とカン違いしてはいけない。
これは、この夫婦にとっては辛く暗い状況の中ながら、お互いを思いやる、絆の深さを表現した作品なのだ。

主演のカティ・オウティネン。
アキ監督の作品ではお馴染みの女優さんである。
ほとんど無表情に近い演技ながら、情感が伝わってくるというのは、さすがの一言。
いい味を出してくれてます。

苦境にもめげず、決して希望を捨てないふたりを見て、また頑張ってみようと思わせてくれる映画である。

めぐり逢えたら ’93 アメリカ

2005-06-06 | ラブ・ストーリー
トム・ハンクス&メグ・ライアン共演の二作目となる作品。
コンビ三作目’98の『ユー・ガット・メール』同様、女の子ワールドいっぱいの映画である。

上記二作品とも、顔の見えない相手に恋をしてしまうというありがちな設定だが、キーワードに出てくる「Magic(運命)」が、この映画の決めてだ。
うーん、女の子だとこのあたり、微妙に反応しやすいんじゃないかな。

アニーと婚約者のウォルターとは、まさに価値観は一致していた。
ところが時折、彼女のほうで「?」と思いながらも、これでいいんだと自分で自分に納得したりしていた。
一方で、ラジオの向こうのサムとは、感性が同じであることに気づく。
心を揺さぶられる部分が同じであると。

価値観と感性。
見極め方がムズカシイですな。

’57の『めぐり逢い』をうまく組み込んでいるところは、ノーラ・エフロン監督の女性らしさが出ていると思う。

めぐり逢うには、ニューヨークのエンパイアステートビルの、あるいはフィレンツェのドゥオーモのてっぺんがオツなのでしょうか(笑) 

柳と風 ’99 イラン

2005-06-01 | ドラマ
イラン映画は子供を主役にしているものが多い。
なんとも和みそうな感じはするが、この映画は違う。

ひとりの男の子がある物を運ぶ。

前に書いた『友だちのうちはどこ?』と同様、簡潔なストーリーなのだが、これは少年にとって試練だ。
どうして大人は手を貸してあげないのか?
大変だろうと危険だろうと、大人は子供に手助けをしてはいけないお国柄なのだろうか?

子供たちは本当によく、大人たちの手伝いをするというのに。
今の日本の子供たちも、大いに見習ってほしい光景である。

少年も、「一緒に運ぶのを手伝って」などと頼ることをしない。
状況がどうであれ、やはり自分のことは自分でしなさい、という教育方針なのか?
それにしてもなぁ、健気だ。
観ていてもハラハラしてしまう。

ラストなんて、もう・・・ガンバレっ!としか言えないではないか。