アブリコのCinema散策

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アーティスト 2011年 フランス

2016-01-21 | コメディ
映画がサイレントからトーキーに変わる頃、何を期待したかは、俳優たちの声が聞けるということだったろう。
特に女優。
美しい容姿から、一体どんな美声が聞こえてくるのか。
1931年の『アンナ・クリスティ』で、初めてガルボの声を耳にした者たちは驚いたそうである。
独特のスウェーデンなまりに、彼女の代名詞にもなったハスキーボイス。
チャップリンはサイレントで通したかったみたいだが、時代の流れには逆らえずトーキー作品となっていった。
個人的には、断然前者の頃のほうがよかったな。

サイレント時代の人気俳優も、時と共に忘れ去られていく。
時代はトーキーにかわり、かつての有名役者に憧れていた女性ファンがなんと逆転し、自分が人気女優となってしまう。
底まで落ちぶれてしまった元俳優に、人気絶頂の女優。
彼女は自分が有名になったからといって、彼を無下に扱うことをしなかった。
彼も、かつて自分が世話をしてやったことを恩に着せようとすることも決してなかった。
立場が逆になろうと、互いを尊重することを忘れてはいない。
二人とも、同じ道のプロである(あった)からだ。

エキストラから新人女優になって、パーッとトップに上りつめるその早さには、ちょっと・・・、と思わされてしまうが、ラスト、二人で一緒にタップダンスを踊るシーンは観ていてとても気持ちがいい。
ヘタなメロドラマにならず非常に潔いストーリーである。
マスコット的な犬のアギーの存在も大きいか。
1918年の『犬の生活』を思い出す。

あえてサイレントにしたことで、この作品は大変新鮮に映る。
現代(いま)だからこそなのだろう。
考えてみても、ここ最近では、レトロな物に人気が集まっている。
懐古趣味な人も結構多い。
思えば、昔はよかった・・・なんて気持ちになる時だってある。
あらゆる新しい物にあふれ、ますます進化していく世の中。
多くの情報にかきまわされ、デジタル世界に必死にかじりつく。
便利なことに、実は不便さを感じることも少なからずあるのではないか。
CGに慣れてしまった今にこそ、サイレント映画を観て、想像力をかきたててみる。
LINE やメールではなく、手紙をしたためてみる。
待つことのもどかしさも新鮮ではないか。(「待つ」こと自体、いまでは無理だろうか・・・)
『古きよき時代」 ―― 回想するのではなく、一度、その頃に‟戻ってみる”のもいいだろう。
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ル・コルビュジエの家 2009年 アルゼンチン

2015-09-26 | コメディ
朝っぱらから‟壁ドン”である。
いや、女子の憧れといわれる「壁ドン」ではない。
壁ドンドンである。
正しくは、朝っぱらから壁をハンマーで叩く鈍い音が、家中に響きわたっていたということ。

住人は、何事かと起き上がる。
窓を見てみる。
隣の家の一角から、みしみしと外壁が打ち抜かれていく。
一体何をやってる!
怒る住人。
隣人が言うには、ただこの部屋に光を採り入れたいのだという。
住人からしてみれば、そこに窓をつければ、我が家が丸見えになってしまう。
「すぐその穴を閉じろ!」

近代建築の巨匠コルビュジエが設計した「クルチェット邸」に住むレオナルドと、その隣人であるビクトルとの争い。
どちらが非常識かといえば、断りもなくいきなり、勝手に窓を作ろうとしたビクトルだろうと誰しも初めは思うが、話が進むうちに、レオナルドもレオナルドなのであった。

怪しげなビクトルと、椅子のデザイナーとして名声を得たレオナルド。
不細工なオブジェを作り、厚かましくもレオナルドにプレゼントするビクトルであるが、意外にも人を想う心根はしっかり持っているやつである。
有名デザイナーのレオナルドだが、家庭内は波乱の真っ最中。
妻のご機嫌をとる一方、娘は口をきいてくれない。
隣の工事の音で仕事に集中できず、ノイローゼ気味。
妻の留守中に自分の教え子を口説き始めるほど理性が徐々に崩れていく。
あくまでもマイペースなビクトルに対し、レオナルドはどんどん自分で自分を追いつめ、どんずまり状態に。

お隣同士のことだから、穏便に済ませたい。
アメリカなら、お隣だろうがお向かいだろうが、即刻訴訟を起こすところだろうが、レオナルドは話し合いで収めたかった。
しかし思い通りにいかず、彼はある意味、ビクトルを裏切る形へと出てしまうのである。

人の本性というのは、平常時ではわからないものだ。
見かけや肩書で騙されてしまうことも多々ある。
非常事態など何事かあったときにこそその人の本質が表れるものだから、そのあたり、要注意であります。
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おとなのけんか 2011年 フランス・ドイツ・ポーランド

2015-05-14 | コメディ
本音とたてまえ。
大人であれば、大概の人が心得ていることだろう。

子ども同士のけんかで、一方が大ケガを負ってしまった。
鼻の骨と歯が折れ、神経まで損傷してしまったという。
そのため、ケガを負わせてしまった子どもの両親がおわびを兼ね、負傷した子の自宅を訪れたわけである。

親同士の話し合い。
初めこそお互いの理性を重んじ、「本当に申し訳ない」「いやいや、もう済んだことだから」などと、表面上の社交辞令のように気を遣いながら、言葉を選びながら話し合う。
子どものことばかりに集中するのもなんであるから、相方の仕事なり、リビングの家具をほめたり、とりとめのない会話を並べ立てる。

頃合いをみて、「そろそろ失礼を」と腰を上げ玄関までくると、被害にあった子の母親の皮肉めいた言葉にカチンときて、ちょっとした女同士の口論になる。
そこでダンナの一言。
「ちょっとコーヒーでもどうですか。 こんなところでなんだし・・・」

いとまのタイミングは難しい。
子どものケンカ、もとい、ケガを負わした負わされたの理由で話し合っていた親たちにしてみれば、早々に片をつけられる問題でもない。
特に女親は男親に比べてうるさい。
そこで少し気分を変えてではないが、自慢の洋酒を出すダンナ。
「どうですか、一杯」
そこにヒステリックに叫ぶ妻。
「あたしには飲ませてくれたことなかったじゃない!」

徐々にテーマがズレていく四人衆。
しまいには本音だらけになっていく。
たてまえなんて、スッ飛んでしまった。
酒グセの悪いのがいると、特にやっかいである。
散々な展開に、もうみんな訳わからずといった具合。

小道具をうまく使っているなと感心させられた。
舞台の映画化ということもあってうなづけるものの、オチもそれを上手に利用していたところは見事でした。
ちなみに子どものケンカは、親が思うほど深刻ではないことのほうが多いように思うが、そういう考え方はもう古いのだろう。

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ソウル・キッチン 2009年 ドイツ・フランス・イタリア

2014-06-07 | コメディ
この場合の「ソウル」とは、韓国の首都ではなく、魂の「ソウル」である、念のため。
昔のディスコブームでは、ソウル ミュージックが際立っていた。
『ソウル・トレイン』や『ソウル・ドラキュラ』なんてのもあった。
ソウル フードがあれば、ソウル キッチンもある。

ジャーマン コメディを観てみれば、実に味わいのある作品であった。
腹をかかえて大笑いする類ではないが、大人のシニカルな部分と、大胆な展開がうまく融合していてバランスが良い。
演出や劇中の選曲も文句なし。
筋書きはやや平凡だが、そこをどえらい演出でカバーしているので面白おかしくなっている。

ドイツのハンブルクに、倉庫風の店「ソウル・キッチン」はある。
ジノスが懸命に創りあげた自慢の店だ。
手放すなんてとんでもない。
それが体調不良のため、やむなく仮出所中の兄イリアスに店を託すことに。
そして、イリアスの失態で、店は人の手に渡ることとなる・・・。

遠恋の彼女とはダメになり、ギリシャ製の食洗器を持ち上げたせいで腰をダメにし、店もダメになって、ダメダメ生活が続くのかと思いきや、ジノスの努力で奇跡が起こる!?

前に、ドイツにはコメディアンがいないと揶揄されたことがあった。(もちろん、それは冗談である)
まあ、それほどお堅いイメージのある国に見えるのかもしれないが、本作品を観る限りでは、そんなことは決してないように思うゾ。

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トイレット 2010年 日本

2014-03-04 | コメディ
絆という言葉の重みを改めて考えさせられる。
一方で、この言葉が安易に使われすぎていることに憂えている。
絆は目に見えるものではなく、心と気持ちの結びつきであって、その強弱がどうのこうのということでは決してない。
つながっていればいい。
つながってさえいれば。

日本人の母を亡くした三人のきょうだい。
研究所に勤務するレイと、パニック障害から引きこもってしまっているモーリー。
そして大学生のジェシカ。
三人の仲がいいとはいえないが、何気に協力し合って生活している。

母は生前、自分の母親を日本から呼び寄せていた。
祖母は娘をつきっきりで看病していたようである。
母は可愛がっていた愛猫「センセイ」との別れをそれは惜しんでいた。
「もう一度センセイの匂いをかぎたい」
これ、本当によくわかります!!
愛猫家にとって、うちのコの匂いをかがない日はないですからね。

「ばーちゃん」は英語がわからない。
だから三人の孫たちとも会話が成り立たない、というより、ばーちゃんはまったく話さないのである。
微妙に目を細めたり、顔をしかめたり、わかっているのかいないのか。
でもわかっているのだろう。
ばーちゃんの目を見て、気持ちを込めて懸命に伝えれば、願いは届くのである。

このばーちゃん役をもたいまさこが演じているが、本作品の中で唯一の日本人である。
そう、この映画は全編英語、すべて海外で撮られている。
荻上直子監督が、北米でどうしても撮りたいと懇願していたという。
監督渾身の作品といえるだろう。
もたいのばーちゃんがまた主力となっていて、これまた味がある。

ばーちゃんは毎朝トイレから出ると、深いため息をつく。
それを見てレイはいつも不思議に思っていた。
同僚にそれとなく話してみると、トイレのタイプが合ってないからじゃないか、と言う。
そうきますか!
個人的には、「お通じが悪い」ぐらいに考えていたのだが、その同僚は、日本のテクノロジーについて話し始め、ウォシュレットの説明に入れば、マドンナの経験談を引用し、どれほどそれが素晴らしいかを力説する。
レイはばーちゃんにこのトイレを使ってほしいと考え始める。

個人的に荻上作品が好きだ。
なんといおうか、常に空調が行き届いているような、淀みのない清浄さと人物たちの心の温かさ。
たいていはそっけないタイプばかりなのだが(他作品でも)、実はみんないい人というのが実にホッとさせてくれる。
あとはなんといっても間(ま)だろう。
セリフや動きの間が絶妙なんである。
最後まであきさせない見せ方はさすがであった。
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シャム猫FBI  ニャンタッチャブル ’65 アメリカ

2011-10-31 | コメディ
シャム猫のDCは、いつもの散歩コースをお楽しみ中。
魚屋さんの前では、おいしそうなサーモンの切り身に目が釘付け。
う~ん、食べたいなあ。
あれ、ボクが先に目ェつけてたのに、もう誰かがお買い上げかあ。
あ、客が店から出てきたゾ。
フンフン、やっぱりおいしそう。
ボクの好きなサーモンの入った袋を提げた男は、アパートの階段を上がっていった。
フフ、ボクもついてっちゃおー。

なんだか大きな声で言い争ってるみたいだけど、ボクには関係ないや。
ボクに関係あるのは、そのブ厚く切ったサーモンの切り身だよ。
そうそう、それそれ。
チョイチョイ、いいぞ、いっただっきまー・・・あー、見つかっちゃったよ・・・。
どうも様子がへんだなあ。
女の人がいるけど、とっても困ってるみたいだ。
あらら、ボクの首輪外しちゃうの?
で、え? それはアナタの腕時計でしょ?
それをボクの首に?
えっと・・・ありゃ、外に出されちゃった。
ふう、どうもよくわからないけど、ま、いっか。
散歩の続きしよーっと。

DCが見た男たちは、銀行強盗の犯人。
そしてDCを逃がした人物が、捕われている銀行窓口担当の女性であった。
その事件は、各紙面を騒がせていた。

さて、DCは“大したネコ”(Darn Cat)であるそうな。
とても賢いようである。
このネコが、果たして犯人逮捕へと導いてくれるのであろうか?
『三毛猫ホームズ』のような活躍を見せてくれるのか。
『猫村さん』のように、テキパキと奉仕してくれるのだろうか。
それとも、『いなかっぺ大将』のニャンコ先生みたいに、ニャンパラリ、キャット空中三回転でも披露してくださるのか。
いいえ、DCは何もしません(笑)。
でも、いいんです。
ネコ派にとっては、DCの行動全てがほほえましく、見ているだけで顔がほころんじゃいます。

60年代のコメディは、「古典的なコントそのままに」な雰囲気で、安心して楽しめますね。
『奥さまは魔女』のサマンサ宅のお向かいさんによく似たキャラが出てきたりして、いくつか当時のドラマなんかとギャグがダブったりなんかしてますが、それも一興。

はっきりいえば、お手柄なのはDCの飼い主であるパティ(本人は「“わたしの猫”ではない。 DCは家族だから」と言っている)なのだが、それをいってはおしまいなのです。
あくまでも、お手柄なのは、この魅惑的な青い瞳のシャム猫DCなのです。
新聞の一面には、堂々としたDCが写っています。
〈お手柄ネコ〉と。

それにしてもこの映画のタイトルになった『ニャンタッチャブル』とはまたずいぶんな・・・
といっても正直なところ、これに反応して観ちゃったんですがね(笑)。
これがもし、ワンちゃん大活躍のものだったら、間違いなく『ワン・・・』だったんだろうなあ。
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虚栄のかがり火 ’90 アメリカ

2010-09-04 | コメディ
「金と女には気をつけろ」とは、古今東西変わらず云われてきた言葉である。
確かに平平凡凡と生きてきた者にとって、あやしくも非常に魅力的でもあるこの「金と女」。
〈手出しは禁物〉とはいっても、いやいやチャンスがあれば俺だって・・・と内心野望に燃える瞬間もあるだろう。

「男は強くなければいけない」と誰が最初に言ったのかは知らないが、年がら年中強くもいられないのが本音だろう。
実のところ、男は弱く、もろくもあるのだよ。
そこを表に出さず、常に闘っていなければならない心中を女たちはなかなか察してはくれない。
そうした心の隙間を狙って入り込んでくるのも、金や女なのであったりするからやっかいなのである。

若き証券マンのシャーマンは、自分はやり手だと信じて疑わなかった。
しかしどこか抜けていたのである。
要するに、おっちょこちょいだったわけだ。
彼は自身の不始末から、全てを失ってしまう。
一方で、しがない一記者であったピーターは、シャーマンの起こした事件に飛びつき、それをネタに成功し、やがては超有名な作家へとのし上がる。

法廷で嘘をつき、勝利したシャーマン。
愛人だった女も、堂々と嘘をついていたのだからどっこいか。
ならば、聖書に手を置くことに何の意味があるのか。
〈嘘も方便〉は法廷では有効なのか。(そんなわけないだろう。)
片や、すっかり今風でいうチャラ男(歳がいきすぎているが)になってしまったピーターの行く末もだいたい想像がついてしまいそうだが、この二人から見えることはやっぱり、〈いつまでも、あると思うな“女”と金〉なのでした。
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昔みたいに ’80 アメリカ

2009-10-19 | コメディ
元夫を弁護することになったグレンダ。
夫であったニックは無実であるのだが、とんだことでトラブルに巻き込まれ、全州で指名手配となってしまっていた。

現夫であるアイラは、堅物の検事。
弁護士と検事。
好敵手であるふたりも、互いに尊敬し合うよき夫婦であった。
そこへ、まさかのニックが、グレンダに助けを求めに来たのである。
「世界中で、君しか頼れる人がいない」

何故ふたりが別れたかはわからないが、いろいろあったのだろう。
でも、憎み合って別れたのではないことは判る。
ニックは今でもグレンダを愛しているし、グレンダも懸命にニックの力になろうとしていた。
ニックはといえば、あわよくばグレンダとまた・・・と思っていたようだが、彼女は、「今はアイラなの」と、きっぱりと道理のある言葉を返す。

ラストシーンでのグレンダのホッとした笑顔は、彼女の本心を上手くとらえたところだろうが、“腐れ縁”の余韻を残すようでもあって、ちょっぴりいたずら的な幕切れであった。
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バラ色の選択 ’93 アメリカ

2009-08-13 | コメディ
マイケル・J・フォックスやアンドリュー・マッカーシーらの名前を聞くと、’80年代の輝かしい青春ドラマが偲ばれる。
この時代はまさに、青春ドラマの黄金期だった。
その真っ只中、’85の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で人気を博したフォックス。
あれから8年目にあたる本作品でも、変わらぬ慌て振りは健在であったが、ぼちぼち疲れ気味な感は否めなかった。

同じコメディの名作、’60の『アパートの鍵貸します』をヒントにしたようなストーリー。
自分が愛する女性が上司の、片やビジネスパートナーの愛人と知るも、ひたむきに相手を愛し続ける姿は、それぞれの主人公らしさが表れていた。
出世(金)をとるか、愛をとるか。
いまでいう草食系男子クンたちは、どちらにも転ばないのだろうか。

お決まりのハッピーエンドも、フォックスならではの爽やかさ。
実は、’87の『摩天楼はバラ色に』だとばかり思いながら観ていたのだが、「あれ、なんとなく違うような・・・」と、ようやくタイトルの間違いに気づいたのでありました。
同じ色(それもバラ色!)を同じ俳優主演映画のタイトルに使われるのも珍しいかと思うが、フォックスのイメージでこれらの邦題がつけられたのかしら。
いや、たまたま偶然かとは思うが、どうなのだろう、バラ色が似合うマイケル・J・フォックス。
悪くないかも。
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ハッピー・フライト 2003年 アメリカ

2008-07-09 | コメディ
主人公であるドナ役が、グウィネス・パルトロウではたしてよかったのであろうかと、観終わってからも疑問が残った。
本作品の監督ブルーノ・バレットは、貧乏が似合わない彼女にこそ演じてもらいたかったと言っていた。
らしくない女優を起用して、それが成功するかどうかは観る側にもよるだろうけど、彼女にとって、これがチャレンジングな仕事とは個人的には思えないのである。

お嬢育ちのグウィネスは、ファッション・センスにも定評がある。
やはりどうしたって、ブランドイメージがついてまわっているだけに、前半の田舎娘役はどうにもハマっていないのだ。
演技というより真似って感じ。
だったら同年齢のキャメロン・ディアスのほうが、合っていたんじゃないかと思うのだが。

「こんな田舎町でくすぶっていてはいけない」と一念発起し、フライトアテンダントを目指すドナ。
一流になると決心し、日々努力する姿は立派であるが、女性がトップを狙う話によくある媚を売ったり、男性を踏み台にしたりと、ありがちな展開はナシ。
ここもやはりグウィネスだからだろうか。
ただただイイ子チャンなんである。(実際の彼女は、かなりしたたかだが、いろいろと。・笑)
こういってはなんだが、面白くない。
’01の『愛しのローズ・マリー』でもそうであったが、彼女のコメディエンヌぶりは、はっきり言って笑えない。
コメディを侮るなかれ。
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