アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

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モブスターズ 青春の群像 ’91 アメリカ

2008-10-28 | アクション
チャーリー・ルチアーノがマフィア組織に君臨した15年間、ニューヨークの暗黒街は平穏を保っていた。
その後、アル・カポネの時代がやってくるのである。

チャーリーたち四人の若き日の群像劇。
彼は、父親を破滅へと追い込んだファレンザーノに対する復讐を心に誓う。
当時のドン、マッセリアとファレンザーノ。
二つの派閥から名の知られるチャーリーを、我が組織へと迎えようとする。
しかしこの世界、甘んじてしまえばすぐ殺(や)られてしまうのは目に見えている。

どうすれば敵を見方につけられるか。
それは相手の命を助け、信用を得ること。
マッセリアをしとめたチャーリーたちは、最後の駆引きへと出る。

チャーリーとフランキー、マイヤーとベニー(バグジー)。
二人のイタリア人と、二人のユダヤ人。
彼らの友情と信頼の深さは、観ていても心が熱くなる。
裏切りの多いこの世界で、四人の結束は美しい。

ベニーは後年、ラスベガスに最初のカジノを築いたことで知られているが、これを映画化した同’91の『バグジー』も一緒に観てみると面白いかもしれない。
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生きる ’52 日本

2008-10-22 | ヒューマン・ドラマ
体に変調をきたし、『家庭の医学』を開いてみれば、あれもこれも当てはまるように思え、「もしかしたら重病なのかもしれない」と、青ざめたりする。
実はそれが、単に風邪だと分かると、不思議と不安も消え去っていく。(ときに、風邪から重い病につながる場合もあるから油断はできないが。)
逆に単なる疲れからきたものだろうと軽くみていたら、実は大変なことになっていたという例は多い。(なので、ことによっては『家庭の医学』も開くべきだろう。)

30年間無欠勤という記録を目前に、これまで平平凡凡と勤務し続けてきた市役所の市民課長であるわたなべは、胃の不具合から病院へ向かう。
待合室で他の患者が並べる胃ガンの症状を耳にしながら、次第に沈痛な面持ちへと変わっていく。

末期だと確信すると、彼は今までの生活を忘れるかのように盛り場へ繰り出し、体験したことのない楽しみを味わう。
そして、自身が残りの僅かな人生を何に懸けることができるか模索するのである。

本作品は、志村喬の表情が生きているからこその映画である。
中盤、暗闇の中で見せる眼光が不気味な影を漂わせ、生ける屍のごとく、凄まじい形相を見せていた。

この映画を観て改めて思うことは、お役所仕事に対する風当たりは、今も昔も変わらないのだな、ということであります。
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勝手にしやがれ ’59 フランス

2008-10-14 | ドラマ
罪を重ねながら逃亡を続け、好きな女には裏切られ、最後は「まったく最低だ」と言い残し息をひきとる。

このミシェルという男の生き方は束縛を嫌い、大胆で無謀。
3週間前に、南仏のニースで知り合ったというアメリカ娘のパトリシアに惚れてしまったことが運の尽き。

パトリシアは言う。
「あなたを本当は愛していないということがわかったの。 だから警察に通報したのよ」
警官に撃たれたミシェルに、一度は顔を覆ったパトリシアだが、その後の冷淡な表情に、ファム・ファタルな彼女の一面を見逃すことが出来ない。
「最低って、一体何のこと?」

ゴダール独特な作品であるが、’65の『気狂いピエロ』とよく比較したりする。
モノクロに、片や鮮やかな原色カラー。
恋のかけひき、恋人の死、無鉄砲な人生。
このゴダール作品のよいところは、ハイセンスで乙なセリフであるところ。
会話自体が短くて、間の取り方が絶妙なのだ。
お洒落度が高いのである。

この映画の原案はトリュフォーだが、彼ではなく、ゴダールの監督でよかったなと、個人的に思うのだが。
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子鹿物語 ’46 アメリカ

2008-10-06 | 文芸
「ペットを飼いたい」と子どもにせがまれても、反対する親は多い。
ダメと言われてもたいていは、「自分でちゃんと世話をするから!」と大口をたたいてみたりする。

19世紀のアメリカ、フロリダ州。
緑あふれる自然の中で、ジョディは心温かな父と、気丈な母と三人で暮らしていた。
ある日ジョディは父に、「僕、ペットを飼いたいな」と打ち明けた。
「家畜以外に、僕だけのペットがほしいんだ」

父は畑を荒らしたという理由でその野生の鹿を撃つと、茂みから震える子鹿が現れた。
死んだのは母鹿であった。
ジョディは翌日、その子鹿を探しに出かける。

両親を説得し、ジョディは子鹿の世話を始める。
寝るときでも、いつでもどこでもジョディは子鹿と一緒だった。
しかししばらくすれば、子鹿といえども、体長は親鹿と変わらなくなる。
一家で外出した際に、子鹿は難なく柵を跳び越え、畑から顔を出した芽を次々と食んでいってしまい・・・

現代はペットでさえ飽食の時代といわれる。
彼らにとって本当に幸せなことだろうと思う。
だが人間だって食べるのが精一杯だった頃は、話も違ってくる。
まして人間さまの食べ物をペットが勝手に食べてしまったとしたら・・・
それを理由に捨てられてしまった犬や猫の話を聞いたことがある。

「自分でちゃんと世話をする」という子どもの気持ちに嘘はないだろう。
しかし世話というのは思う以上に大変なことも多い。
そこを見据える親心も大切なことだろう。

〈こどもの日〉というと、よくこの映画をTVで放映していた。
心に沁みる一作である。
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