おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

愛の予感

2023-07-06 07:10:17 | 映画
「愛の予感」 2007年 日本


監督 小林政広
出演 小林政広 渡辺真起子

ストーリー
新聞社に勤める順一(小林政広)は、数年前に妻をがんで亡くし、中流所得層にとって憧れである東京湾岸の高層マンションで娘と二人暮らしの生活を送っていた。
そんなある日、事件が起こった。
娘が学校の教室で、同級生の女の子に刺し殺されたのだ。
妻も娘も失い、生きる希望を失った順一は、仕事を辞め、鉄工所での職を得て、北海道にある民宿でひっそりと暮らし始める。
そして彼は、その民宿で賄いの仕事をするひとりの女、典子(渡辺真起子)と出会う。
この女性こそが、順一の娘を殺した子の母親だった。
典子もまた身を隠すように東京を離れ、北海道の僻地でひっそりと暮らしていたのだ。
互いに名乗ることもせず、言葉を交わすこともない2人だったが、やがて順一にとって、原罪を背負ったかのように生きる典子が、次第にかけがえのない存在になっていく。
ある日、順一は買い求めた携帯電話を愛情表現として典子に渡すが、典子は順一を徹底的に拒絶する。
しかし、典子の心に変化が起こり潤いが漂い始める。
今度は典子が順一に携帯電話を渡すが、順一はその携帯電話を屑篭に捨ててしまう。
はたして二人は心を通わすことが出来るのだろうか・・・?
二人の間に愛は芽生えるのだろうか・・・?


寸評
主人公の男は元新聞記者ということもあって、佐世保で起きた小6女生徒の殺害事件を連想させる。
男は当時毎日新聞の記者だった御手洗氏がモデルなのかもしれないが、そのことは全く関係なくて題材をそこから得ただけの作品だと思われる。
事件の背景とか、当事者である小学六年生であった女生徒の心象に迫っているわけではなくて、加害者の女生徒をかかえた母親と、同級生だった娘を殺害された被害者である父親のいたたまれぬその後の人生を描きながら、やがて不条理の愛情を芽生えさせる恋愛映画だったと思う。
ただしこの作品はただの恋愛映画ではなくて、構成は実験映画めいていて劇中のセリフは全くない。
冒頭に加害者の母親と、被害者の父親へのインタビューがあり、そこで二人の肉声を聞かされる。
ふてくされたように見える母親、すべて親の責任なのかと開き直る母親、子供のことがよくわからないと戸惑いを見せる母親。
冒頭のインタビューに答える渡辺真紀子さんは存在感があって、その後のセリフのない映画を際立たせる役目をしっかりとこなしていた。
ただ謝りたいという加害者の母親と、その伝言を聞いても会いたくありませんと拒絶する被害者の父親。
そこで終わったインタビューのあとはラストの父親の独白まで台詞が入ることはない。
ただただ同じようなシーンが何回も何回も繰り返されるだけである。
男は製鋼所で同じような作業を繰り返し、宿舎に帰っては晩御飯を食べ風呂に入るだけの生活。
女は宿舎の賄い婦としてジャガイモの皮むきなど、これまた毎日同じような作業を繰り返し、一人壁に向かってサンドイッチの昼食をとる毎日。
それが何回も何回もあきるほど繰り返される。
ところがセリフのない同じような画面を見ているうちに観客である僕はふと気付くのだ。
女は卵焼きを作っているのに男のメニューにはなくて、彼はいつも卵かけご飯を食べているのはなぜ?
どうやらおかずには箸をつけていないようなのだが、いったいそれはなぜ?
そこで僕は推測する。
いつかの時点で生卵でよいことを伝えたはずだから男と女に会話がなかったわけではないのだと。
そう思うと男はわざとおかずに箸をつけていないのだと思えてきた。
おそらく男は女が加害者の母親であることを気づいていて、彼女の作ったものなど口にいれたくないという意思表示ではないのかと。
そう想像すると、とたんにこの映画は自分の中で急展開を見せる。
女はなぜおかずを食べないのか問いただした筈だとか、もしかするとそのことを通じて男は自分の正体を女に告げたのかもしれないとか、勝手な想像が駆け巡りだす。
そうしているうちに最後に男の独白を聞く。
「僕は貴女なしでは生きられない。貴女と一緒では生きていく資格がない。だからあなたをただただ・・・。」と。
そのあとの続く言葉はきっと「愛し続けることだけ」だったと思う。
親として子供の責任を背負う必要に迫られ、それでもその親にも人としての一生が残っており、そこには苦行とも思える人生が生み出され・・・。
切ないなあ~。