おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

蜘蛛巣城

2019-04-29 10:43:07 | 映画
「蜘蛛巣城」 1957年 日本


監督 黒澤明
出演 三船敏郎 山田五十鈴 志村喬 久保明
   太刀川洋一 千秋実 佐々木孝丸 清水元
   藤木悠 土屋嘉男 高堂国典 上田吉二郎
   三好栄子 浪花千栄子 加藤武 木村功
   宮口精二 中村伸郎

ストーリー
戦国時代、難攻不落を誇る蜘蛛巣城の城内では城主都築国春(佐々木孝丸)を中に軍師小田倉則保(志村喬)ら諸将が北の館藤巻の謀叛に遭い籠城の覚悟を決めていた。
その時使者が駆込み、一の砦の鷲津武時(三船敏郎)と二の砦の三木義明(千秋実)が敵を破ったと報じた。
主家の危急を救った武時と義明は主君に召され蜘蛛巣城に帰るべく城の前にある蜘蛛手の森に入った。
ところが道に迷い雷鳴の中、森を抜け出そうと進むうち二人は一軒の小屋を見つけ、中から老婆(浪花千栄子)が現れた。
驚く二人に老婆は「武時は北の館の主に、やがて蜘蛛巣城の城主になり、義明は一の砦の大将に、また義明の子はやがて蜘蛛巣城の城主になる」と不思議な予言をした。
その夜、武時は北の館の主に、義明は一の砦の大将に任ぜられた。
武時の妻浅茅(山田五十鈴)は、義明が森の予言を国春に洩らしたら一大事と、夫に国春を殺し城主になれと唆かす。
悪魔のような囁きに武時は遂に動揺、国春を殺し蜘蛛巣城の城主となる。
子のない武時は、予言に従いやがて義明の子義照(久保明)を世継ぎにしようと考えた。
ところが欲望にとりつかれた浅茅に反対され、更に彼女が懐妊を告げて再び唆かすと武時は義明を討った。
主君と親友を殺した武時は良心の呵責に半狂乱となり城中にも不安が漲った。
大嵐の夜、浅茅は死産し重態に陥ったその時、一の砦から使者が来て、武時の手を逃れた国春の一子国丸(太刀川洋一)を奉じて小田倉則保と義明の子義照が大将となって城に押寄せたと告げた。
凶報相次ぐ蜘蛛巣城内の部将たちは戦意も喪失したが、武時は森の老婆を思い出し武運を占わせようと蜘蛛手の森に駈け入った。
老婆が現われ、「蜘蛛手の森が動き城へ押寄せぬ限り武時は敗れぬ」と再び予言した。
狂喜した武時は城に帰ったが、将兵は依然不安におののき浅茅は遂に発狂したその時・・・。


寸評
堂々たるセットと、構図に圧倒されてしまう。
城門を閉ざす蜘蛛巣城に入場するため、国主の棺を運び込むと伝えて城に入るまでの流れるようなシーンなどは、威風堂々と言った形容詞がピッタリで、兵達の配置やカット割の見事さはなども完璧だと感じさせられた。
戦国時代の山城のオープンセットは立派で、今ではこのような金のかかったものを見ることはできない。
反面、城内のセットはいたってシンプルで、おそらくこれは能舞台を意識したものだろうと思う。
三船敏郎、山田五十鈴の動きも能を舞っているような所作になっている。

黒澤映画には霧やモヤがよく使われるが、黒澤映画のすごいところはその霧を天気待ちしたということだ。
もちろん効果を上げるためにスモークを炊いたりしたということだが、霧の場面の本当らしさのために天気待ちすれば制作費はかさむことになるのは明白だ。
それでも当時はそれをやり遂げようとする熱気があったのだろう。
ここでも霧が効果的に使われている。
霧の中から浮かび上がってくる蜘蛛巣城。
霧の中で道に迷った鷲津武時と三木義明が徐々にその中から姿を現す場面。
霧にまみれて山が動き出す場面。
どれもこれもモノトーンだからこその魅力を際立たせている名シーンだ。
モノトーンといえば森の中で出会う老婆のシーンも印象的。
外国映画だと間違いなく暗闇の中に浮かび上がってくる存在だと思うが、この作品では老婆を極めてハイキーに撮っていて、モノトーンだけに余計に怪奇映画的になって怖くなってくる感じがするのだが、この恐ろしさを画面に出したかった演出であり撮影方法だったのではないかと思う。
これから起こる恐ろしい出来事の前触れ役を果たすシーンのように思う。

鷲津武時の三船敏郎は無論なのだが、この映画で抜群の働きを見せているのは山田五十鈴さんだ。
山田五十鈴さんが静かで動きのない仕草で夫をそそのかす所など、悪女としてバツグン。
夫を国主殺しに行かせた直後、一転して鼓の早打ちにをバックに舞うようなすばやい動作に転じる所や、発狂して血に染まった手を洗おうとするシーンなど、彼女の表現力は並々ならぬものがある。
山田さんの映画は「祇園の姉妹」や「猫と庄造と二人のをんな」などの名作も随分と見てきたが、僕の脳裏に焼き付く演技を見せていたのはピカイチでこの「蜘蛛巣城」の浅茅役だ。

目ん玉をむいて、妻に頭の上がらぬ武将を演じる三船の、その目ん玉がさらに強調されるのが、最後の矢を浴びせられるシーンで、どうして撮影したのだろうと思う。
無数の矢が飛んできて、三船さんの周りの板塀に突き刺さるのだが、特撮ではない本物の矢が飛んできている命がけのシーンで、恐怖感はバンジージャンプどころではなかったはずだ。
そのうちの一本が、首を真横に打ち抜く所などは、まさに映画の醍醐味だった。
館の階段を上へ下へと動き回る三船さんを追いかけるカメラワークも、又、まさに芸術的だった。
このような時代劇はもう撮られることはないだろう。


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