おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

男と女

2018-11-09 10:56:06 | 映画
フランシス・レイさんの訃報に接して。

「男と女」 1966年 フランス


監督 クロード・ルルーシュ
音楽 フランシス・レイ
出演 アヌーク・エーメ ジャン=ルイ・トランティニャン
   ピエール・バルー ヴァレリー・ラグランジェ

ストーリー
アンヌ(アヌーク・エーメ)は夫をなくして、娘はドービルにある寄宿舎にあずけている。
パリで独り暮しをし、年はそろそろ30歳。
その日曜日も、いつも楽しみにしている娘の面会で、つい長居してしまい、パリ行きの汽車を逃してしまった。
そんなアンヌに声をかけたのはジャン・ルイ(ジャン・ルイ・トランティニャン)という男性。
彼も30歳前後で、息子を寄宿舎へ訪ねた帰りだった。
彼の運転する車でパリへ向う途中、アンヌは夫のことばかり話しつづけた。
その姿からは夫が死んでいるなどとは、とてもジャン・ルイには考えられなかった。
一方、彼はスピード・レーサーで、その妻は彼が事故を起したとき、ショックから自殺への道を選んでいた。
近づく世界選手権、ジャン・ルイは準備で忙しかったが、アンヌの面影を忘れられなかった。
次の日曜も自分の車でドービルへ…と電話をかけた。
肌寒い日曜日の午後、アンヌ、ジャン・ルイ、子供たちの四人は明るい笑いに包まれていた。
同時に、二人はお互いの間に芽生えた愛を隠し得なかった。
二人は砂浜で身体をぶっつけ合い、その夜は安宿のベッドに裸身をうずめた。
だが、愛が高まったとき、思いもかけずアンヌの脳裡に割りこんできたのは死んだ夫の幻影だった。
二人は黙々と服を着て、アンヌは汽車で、ジャン・ルイは自動車でパリへ向った。
しかしアンヌを忘られぬ彼は、彼女を乗換え駅のホームに待った。

寸評
ラブロマンスなのだが、そんじょそこいらの恋愛映画とは違う映像詩で語り掛けてくる。
少なくとも僕はこの映画を公開時に見て衝撃を受けた。
恋愛ものに付き物の燃え上がるような会話はない。
フルカラーの映像はもとより、画面はモノトーンになったり、セピア調になったりしながら現在と過去を紡いでいく。
時にシャンソンの歌声でその時の心情を表現したりするが、フラシス・レイの音楽と流れるようなカメラワークが別世界へ観客を誘う。
色調を代えてとらえられる風景はロマンチックな雰囲気を醸し出していく。
総合芸術としての映画を感じさせる、クロード・ルルーシュ会心の一作だと思う。
僕はこの一作に衝撃を受け、その後もルルーシュ作品を何本か見たのだが、ついに「男と女」を超える作品に出会うことはできなかった。

アンヌは愛し合っていた夫を映画の撮影事故で亡くしている。
ジャン・ルイと結ばれた時に、愛し合っていた夫のことを思い出すのだが、その事を語ることはなく、また衝動的にジャン・ルイをはねのけるような行動もとっていない。
かつての楽しい思い出を音楽に乗せながら無音の映像で見せ続ける。
かなり長い時間そんな場面を流し続けることでアンヌの苦悩を表現している。
直接的な言葉でなく映像で語り掛けてくるのは全編を通した手法である。
音楽と映像のテンポ、さらにはセリフのテンポも絶妙にマッチしており、それゆえセリフすらも音楽の一つに溶け込んだように心地良く響いてくる。
「ダバダバダ、ダバダバダ・・・」というスキャットが心地よい。

恋愛映画の金字塔の一つだと思うが、若いカップルのラブロマンスでないところも雰囲気に貢献している。
急激に燃え上がるのではなく徐々に高まっていく感じがよく出ている。
子供たちを交えた海辺のシーン、肩に手を掛けそうで掛けない食事のシーン、その間に割り込むように挿入される犬と散歩する人や、水墨画のような海辺の風景がリズミカルに感情の高まりを感じさせていく。
監督のクロード・ルルーシュが撮影にも参加しており、パトリス・プージェと共にもたらすカメラワークにうっとりとしてしまうし、音楽担当のフランシス・レイのスコアがたまらなくいい。
こんな組み合わせの奇跡が起きるものなのかと思ってしまうほどの見事なアンサンブルである。

ジャン・ルイには母親になっても良いと思っている女性がいそうで、二股をかけているような描写もある。
アンヌはモンテカルロ・ラリーに出場しているジャン・ルイに「愛してる」と電報を打つ積極性を見せたかと思うと、夫の幻影に出会い男のもとを去る。
逃げれば追いたくなるのが人間の性なのか、男は二股女性を棄ててアンヌを猛追する。
去った女は男に未練たらたらでという、そんな中年男女が最後にストップモーションで締めくくられる。
見事というほかない。


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