おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

私は貝になりたい

2023-06-22 06:28:25 | 映画
「私は貝になりたい」 1959年 日本


監督 橋本忍
出演 フランキー堺 新珠三千代 水野久美 笠智衆
   中丸忠雄 藤田進 加東大介 南原伸二

ストーリー
清水豊松(フランキー堺)は高知の漁港町で理髪店を開業していて、家族は女房の房江(新珠三千代)と一人息子の健一(菅野彰雄)である。
戦争が激しさを加え、赤紙が豊松にも来て、彼はヨサコイ節を歌って出発した。
--ある日、撃墜されたB29の搭乗員が大北山山中にパラシュートで降下した。
「搭乗員を逮捕、適当に処分せよ」矢野軍司令官(藤田進)の命令が尾上大隊に伝達され、豊松の属する日高中隊が行動を開始し、発見された米兵は、一名が死亡、二名も虫の息だった。
日高大尉(南原伸二)は処分を足立小隊長(藤原釜足)に命令、さらに命令は木村軍曹(稲葉義男)の率いる立石上等兵(小池朝雄)に伝えられた。
立石が選び出したのは豊松と滝田(佐田豊)の二名だった。
立木に縛られた米兵に向って、豊松は歯をくいしばりながら突進した。
--戦争が終って、豊松は再び家族と一緒に平和な生活に戻ったが、それも束の間、大北山事件の戦犯として豊松は逮捕された。
豊松は、腕を突き刺したにすぎない自分が裁判を受けるのはおかしいと抗議したが、絞首刑の判決を受けた。
独房で、豊松は再審の嘆願書を夢中で書き続けた。
矢野中将が、罪は司令官だった自分ひとりにある旨の嘆願書を出して処刑されてから一年の間、巣鴨プリズンでは誰も処刑されなかった。
死刑囚たちは釈放されるものと信じていたが、豊松は絞首刑の宣告を受ける。
豊松は唇をかみしめながら、一歩一歩十三階段を昇った。
どうしても生れ変らねばならないのなら……私は貝になりたい--という遺書を残して。


寸評
前年にテレビ放映されて評判を呼んだドラマの映画化である。
テレビ版の「私は貝になりたい」はテレビドラマの歴史が語られる時には「岸辺のアルバム」などと共に必ず取り上げられる記念碑的作品である。
本作を見た第一印象は、橋本忍は優れた脚本家であったが優れた監督ではなかったという事だった。
僕はこの作品を随分経ってから見たのだが、たぶん僕には年数を経てもテレビ版の強烈なイメージの残像が残っていたのだろうと思われる。
収監された戦争犯罪人としてA級戦犯の他にB級、C級の戦犯もいた。
A級戦犯は平和に対する罪を訴追されたもので東條英機などが該当する。
B級は通例の戦争犯罪で交戦法規違反行為を行った者が訴追されている。
C級は人道に対する罪で奴隷化、捕虜の虐待などが含まれている。
区別は量刑を表すものではなく罪の根拠となった行為の分類であるのだが、清水豊松はそれからすればC級として訴追されていたことになる。
BC級でも1000名くらいが死刑になったとのことであるが、戦勝国が敗戦国を裁くと言うのはどうなんだろう。

理髪店を営み町の人から慕われていた豊松が召集令状を受け取る。
幸せな家庭生活を営んでいた者が突如召集されて戦地へ赴くのは何度も描かれてきたものだ。
ひどい空襲を受け続けている日本に米軍パイロットが撃墜されてパラシュートで降り、1名は死亡、2名も助かる見込みがない状態で日本軍に発見される。
そこで描かれることがこの映画の持つ特別な状況である。
豊松が士気高揚のために捕虜を銃剣で突き刺すように命令される。
非人道的なことができない豊松は一度はためらい叱責されるが、再度の命令により突撃する。
それでも胸を刺すことが出来ず腕を刺すにとどまってしまい、上官からひどい折檻を受けることになった。
豊松は、戦後になってその行為が死刑に相当すると言われたのだ。
日本軍では上官の命令は絶対で、逆らえば自分が銃殺されると言っても、米国人にはその理屈が通じない。
豊松は二等兵と言う一番下の階級で、上官の命令に従ったばかりに死刑の宣告を受けている。
庶民が戦争犯罪に巻き込まれる戦争の非道さを描いているが、その訴えは手ぬるく感じる。

こんど生れかわるならばこんなひどい目に会わされる人間になりたくない。
人間にいじめられるから牛や馬にも生れない。
どうしても生れかわらなければならないのなら貝になりたい。
貝ならば海の深い底の岩にヘバリついて何の心配もない。
兵隊にとられることもないし戦争もない。
妻や子供を心配することもない。
どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝になりたい。
そのようにつぶやいて清水豊松は絞首台に登る。
理不尽な物語であるが、戦争が引き起こした理不尽な出来事としては何か物足りないものを感じた。


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