「宮本武蔵 般若坂の決斗」 1962年 日本
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監督 内田吐夢
出演 中村錦之助 入江若葉 木村功 浪花千栄子 阿部九州男
三国連太郎 木暮実千代 丘さとみ 佐々木孝丸
江原真二郎 河原崎長一郎 南廣 香川良介 国一太郎
竹内満 堀正夫 月形龍之介 黒川弥太郎 山本麟一
大前鈞 中村錦司 村田知英子 玉喜うた子 久岡恵美子
ストーリー
白鷺城の暗黒蔵にこもること三年、武蔵(中村錦之助)は名を宮本武蔵と改め、沢庵(三国連太郎)に別れを告げて剣の旅に出た。
同行を願うお通(入江若葉)が約束の花田橋に駈けつけたとき、武蔵の姿はすでになかった。
三年後、京は祗園の色里で吉岡清十郎(江原真二郎)がお甲の娘朱実(丘さとみ)にうつつを抜かしていた。
武蔵の幼馴染の本位田又八(木村功)は、お甲(木暮実千代)の名ばかりの亭主だ。
清十郎が伊勢に旅立った日、吉岡道場に現れた武蔵は門人数名を敗った。
清水坂で武蔵に果し合をいどんだのは本位田家のお杉婆(浪花千栄子)と権叔父(阿部九州男)だが、武蔵は相手にせず逃げ去った。
木賃宿で逢った城太郎少年(竹内満)が青木丹左衛門の一子と知り、武蔵は弟子にすると約した。
醍醐道で追いついた城太郎は、武蔵に又八からの書状を渡した。
吉岡道場千人の門下が意趣をふくみ、武蔵を捜しているという。
武蔵が清十郎に書いた手紙を城太郎が大和街道で落したとき、市女笠の旅の女--お通が教えてくれた。
一方、奈良奥蔵院裏の畑で、武蔵は鍬を手にした老僧日観師(月形龍之介)のただならぬ気魄に舌を巻いた。
訪ねる宝蔵院の胤舜(黒川弥太郎)は不在で、どの修業者も高弟阿巌(山本麟一)の敵ではなかった。
が、武蔵の鋭い木刀に阿巌は血を吐いて息絶えた。
その武蔵に「強さをためねばならぬ」と戒しめたのは日観で、武蔵は「敗れた!」と呟いた。
その頃、奈良には素性の知れぬ牢人衆が多く流れ込み、町を荒らし回っていた。
そして、武蔵に恨みを抱く牢人たちは宝蔵院の荒法師たちを煽動して、武蔵を囲んだ。
武蔵は奮然と斬りまくると、加勢するはずの法師たちは、逃げる牢人衆を片端から突き伏せた。
奈良の町を大掃除しようと、日観師が胤舜に策を授けたのであった。
寸評
京八流の末流だったとも言われる京流の吉岡一門が登場する。
メインは槍の宝蔵院との対決だが、それまでにお甲や朱実、お通などの女性陣に加え、本位田又八とその母であるお杉婆など、このシリーズを彩る人物がわずかではあるが登場する。
新たな人物として城太郎少年が登場するが、この少年は青木丹左衛門の一子である。
第一作を見ていない観客には青木丹左衛門とは誰なのかよくわからないが、姫路城主池田輝政の家臣で武蔵を召し取りに来てお通に入れあげた武将である。
どうやら叱責されて武士を捨て、一子城太郎を奉公に出していたようである。
城太郎は父と武蔵の関係を知らないが、事情を知る武蔵は城太郎を弟子にする。
この武蔵と城太郎の関係は青木丹左衛門という名前を聞きもらすと上手く理解できないかもしれない。
武蔵はどこでどのように修行を積んだのかわからないが、いっぱしの武芸者となっている。
腕も相当上達していそうだ。
武蔵は吉岡道場の道場荒らしを行った後、奈良の宝蔵院を目指す。
関ヶ原に始まり、岡山から姫路、京都から奈良と関西近辺をうろついていることになる。
宝蔵院と言えば槍術が有名でというか、どうしたわけか宝蔵院と言えば槍術だと僕の頭に刷り込まれている。
宝蔵院流槍術は奈良の興福寺の僧宝蔵院覚禅房胤栄が創始した十文字槍を使った槍術だと記憶するが、ここでの宝蔵院の僧たちは普通の槍を使っていて、十文字槍を使っていない。
宝蔵院では阿巌と立ち会うのだが、 阿巌の槍術はすさまじく立ち会った武芸者の中には命を落とすものもいて、武者修行の武芸者たちも尻ごみをするくらいである。
それでも武蔵は阿巌と立ち会うのだが勝敗の行方は日観が見抜いていた。
日観が静止するのも聞かず戦いを挑んだ阿巌は一撃で倒される。
一撃で倒されることを強調したいのだろうが、一撃を受けた阿巌の姿を捉えるだけであっけない幕切れだ。
宝蔵院の僧達との対決場面は般若野で繰り広げられる。
武蔵が宝蔵院への落首をまき散らした恨みで、牢人衆と共に武蔵をやっつけるために武蔵を般若坂に誘い出したのだが、それは日観と胤舜のたくらみであったという筋書き。
その場面の当初の描き方はあたかも宝蔵院も武蔵を打ち取るかのような描き方である。
それは策略だったという結末なのだが、宝蔵院と武蔵の一大対決と思わせるならもう少し事前にそれと思わせる仕掛けを描いておいても良かったかもしれない。
胤舜の強さもどれくらいのものだったのかは分からぬままである。
般若野では牢人衆を相手に、武蔵となって初めての衆人相手の決斗を行う。
斬って斬って斬りまくる立ち回りで、昨今では当然となっている切り刻む音は使われていないが血しぶきが上がり首が跳ね飛ぶシーンが続き、プログラムピクチャとしてのチャンバラ映画の醍醐味が味わえる。
武蔵は日観に対して一目置いたはずだが、闘いが終わって殺しておいて供養するのは欺瞞だと叫ぶ。
このラストシーンは、武蔵が武芸者としてだけではなく、求道者としての一面を見せたシーンだったように思う。
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