雨で冷えた身体を境港駅前の足湯で癒したら...
夜のうちに一気に尾道へ。
地元のスペインバルで情報収拾。
雨で冷えた身体を境港駅前の足湯で癒したら...
夜のうちに一気に尾道へ。
地元のスペインバルで情報収拾。
松江を出たら...
通称『ベタ踏み坂』を通って
境港へ。
水木しげる翁が生み出した
妖怪たちの町。
街灯もこんな。
トイレのマークだって
ATMだって。
足元にも
タクシーまで!
のんびり、時間が流れる町で
仲間を探そう!
運が良ければ鬼太郎に会えるかも!?
でも、相手によっては気をつけて!(笑)
松江の話をするつもりが...
子供の頃。
母の郷里に行くと、祖母が色んな話をしてくれた。
冬の夜。
こたつに入って、少しだけ、声をひそめて。
母の郷里で過ごした夜を思い出して、松江の写真で米沢の話(笑)
今思えば、それは怪談や、民話のようなもので、
人々が雪深い地の、
長い夜と冬を、退屈せずに過ごすための、
娯楽かつ、知恵でもあったのだろう。
興味をひき、怖がらせ、
子供たちへの戒めも含めて。
八雲の過ごしたこの町が、祖母の住む町に似ていたから。
祖母のいる米沢の城下町は、あの頃静かで美しく、
上杉神社のお堀は、まるで異界とこの世を、隔てる何かのようだった。
ポツンとあった、木造の古い商店は、
自然光の入るままに営まれ、
薄暗くも秘密の、何かが息をひそめるようで。
いつか来てみたかった、八雲旧居。
いつかの夏。
きらきら、蜜柑色に輝く飴を、父に買ってもらった思い出は、
飴の色だけ鮮やかに。
お堀のとっぷりとした緑のごとく深く、
記憶に残っている。
松江の写真を見返していて、
思い出したのは、そんなこと。
松江城もすんごく面白かった!
かつては、異界を意識せずにはいられないほど、
人とその距離は近かったのだろう。
夜は夜。
冬は冬。
今は...昔。
『小泉八雲記念館』も素晴らしかった!
運命の女神は意外にも、おばちゃんの姿を借りて現れた。
荷物を積み込む我々に、
「こんな早朝から、どこへ出発するのか?」と、訝しそうに尋ねながら。
そこで、
前日『稲佐の浜』へ行って砂を頂いてきたこと。
出雲大社内の須佐之男命の社にそれを納めに行こうとするも、
時間が遅くてその場に入れなかったこと等を話すと、
おばちゃん、
「実は出雲大社の参拝には、それ以外にもちゃんとした順序があるのだ」と、
そう教えてくれた。
ちょうど我々の向いている方角に天照大神様のお社があります。
曰く、
「出雲大社に祀られているのは、大国主命。
大国主命は、天照大神の『娘婿』だから、
まずは筋として『お姑さん』である天照大神にお参りしなければいけない。
ここからさらに山の中へ入ると『須佐神社』があるから、まずはそこへ行き、
『須佐神社』の鳥居の前でくるっと回れ右。
すると、そこには『天照大神』様をお祀りしたお社があるからお参りして、
次に『須佐神社』にお参り。
そして、傍にある、杉の大木の根を撫でて、
それから出雲大社に行きなさい」と。
加えて、
「その杉の大木の根っこは、『有名なスピリチュアルの人』言うところの、
『日本最強のパワースポット』なんだよ」と。
ネットには書いていなかった貴重な情報を、
たまたま朝早く荷物を積んでいたがために、
『女神が』教えてくれた奇跡!
出雲大社の参道には、四つの鳥居があるとか。
まあ、後に調べたところ、
大国主命や須佐之男命や天照大神の関係性には、諸説があるらしいが、
おばちゃんにかかれば、有難い神様も、
『所詮は娘婿』という扱いらしい(おばちゃん...笑)
とにかく我々は、おばちゃんのアドバイスに従って、
まずは山の中の、『須佐神社』に向かい、
その教えの通りにお参り。
いよいよ、前日稲佐の浜で頂いた砂を持って、
出雲大社に向かった。
神在月を前にして、神様のお宿も忙しい!?
出雲大社の参拝方法は、ネットの情報に倣って。
鳥居を順にくぐったり、
反時計回りに回ったり。
もちろん、稲佐の浜の砂は、須佐之男命のお社下に納め、
代わりの砂を頂いてくるのも忘れずに。
『お参りをする』とひと言でいうには、
複雑で波乱に満ちた道のりではあったが(笑)
おかげさまで、大変有難い道のりにもなった。
おばちゃんの説明に迷い、
おばちゃんの説明に導かれた二日間。
もしも前日、須佐之男命のお社まで、
難なく進むことが出来ていたなら...
迷子にはなったものの、あの宿を選んで泊まっていなかったら...
早朝荷物を積み込んでいなかったら。
まさに、転ぶも迷うも『神様のお導き』!
なにしろ、我々には、旅の神様がついているのである。
出雲は、神様の降り立つ地。
お参りを無事に終えたら『出雲そば』
いろいろあって楽しかった♪
たどり着くまでが大変だった!