ウクライナのゼレンスキー大統領が米議会で行った演説が、いろいろ物議を醸している。
たとえばお笑いタレントの松本人志は、次のように述べたという。「真珠湾攻撃を出してきたのは引っかかる。日本人としては受け入れがたいところがある」。
問題は、ゼレンスキー大統領がどのような文脈でこの「真珠湾攻撃」なる言葉を使ったかである。とりあえず、四の五の言う前に、当該の箇所をそっくりそのまま全文手を加えずに紹介することにしよう。
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皆様、アメリカの人々。
あなた方のすばらしい歴史の中に、ウクライナ人を理解するためのページがあります。
いまの私たちを理解するため。最も必要とされるときに。
パールハーバーを思い出してください。1941年12月7日の恐ろしい朝。あなたたちを攻撃してきた飛行機のせいで空が真っ黒になったとき。それをただ思い出してください。
9月11日を思い出してください。2001年の恐ろしい日、悪があなたの街を戦場に変えようとしたとき。罪のない人々が攻撃されたとき。空から攻撃されたのです。誰も予想できなかった形で。
あなた方が止めることができなかったように。私たちの領土は毎日これを経験しているのです。毎晩。すでに3週間も。さまざまなウクライナの都市で。
(NHK NEWSWEB 3月18日配信)
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う〜む。ゼレンスキー大統領は実に巧妙な扇動者だ。私がまず感じたのは、そのことだった。ウクライナは今、ロシアという「悪の権化」から、毎日毎晩、容赦ない攻撃を受けている。
ロシアが「悪の権化」であることを示すために、彼はロシア軍による攻撃を、「(日本軍による)真珠湾攻撃」や「(テロリストによる)貿易センタービル攻撃」と同列においたのである。
「真珠湾攻撃」や「貿易センタービル攻撃」と聞けば、アメリカ人は説明するまでもなく(いわば条件反射的に)それを紛れない〈悪〉とみなすはずだ、という周到な計算が、ここには働いている。紛れもない〈悪〉、ーーすなわち即座に反撃し、撃滅すべき自明の標的ーー。この演説は、アメリカという軍事大国を味方に引き込み、(〈悪〉である)ロシア攻撃へと向かわせるための実に効果的な演説だと言えるだろう。
問題は、ロシアが「悪の権化」であることを示すために、「(日本軍による)真珠湾攻撃」を引き合いに出したことではない。真珠湾攻撃であれ、ウクライナ攻撃であれ、貿易センタービル攻撃であれ、およそ暴力(武力)による攻撃は一般に〈悪〉以外の何ものでもなく、その意味で、真珠湾攻撃が〈悪〉であることは免れない。日本人であろうとなかろうと、それを認めないわけにはいかないだろう。まっちゃん(松本人志)のように、「日本人としては受け入れがたいところがある」などと言って済ますわけにはいかないのだ。
ただ、「真珠湾攻撃」という歴史的事実には、感情がーー「チクショウ、やりやがったな、この野郎!」という敵対感情、怨恨感情がーーいまだ生々しくこびりついている。「(日本軍による)真珠湾攻撃」を引き合いに出すことで、ゼレンスキーは、日本人に対するアメリカ人の敵対感情、怨恨感情を呼び起こそうとし、実際にそう仕向けてしまったのだ。問題はこのことである。
ゼレンスキー大統領の演説に対して、「集まった500人以上の議員らは演説後、総立ちになって拍手を送り、ゼレンスキー大統領への支持を表明した」とメディアは伝えている。この熱狂的な拍手のうち何割かは、日本人への敵意と、呼び覚まされたその記憶に根を持つものだったのではないか。
戦後のベストセラーの一つに小田実の『何でも見てやろう』(1961年)があるが、この本を読んだときのことが、私は忘れられない。著者の小田実は、ヒッチハイクでアメリカ大陸をあちこち貧乏旅行するのだが、行く先々で「このジャップ野郎め、俺の息子はお前らに殺されたんだぞ!」と、ツバを吐きかけられたりしたという。(なにしろこの本、読んだのは半世紀以上も前のことなので、私の記憶もあやふやになり、表現が違っている部分があるかもしれないが、当時の日本人に対する敵対感情はとにかく凄かったらしい。)
ともあれ、そうした敵対感情の記憶が少しでもアメリカ人の意識の底に残っているとしたら、日本とアメリカとの同盟関係は一体どうなってしまうのだろうか。お隣の韓国では、日本人に対する怨恨感情・敵対感情がいまだ生々しく渦巻いている。その韓国と同盟関係を結ぶのが難しいように、日本がアメリカと同盟関係を結ぶのは難しいのではないか。
「アメリカ軍が攻撃を受けたとき、我が自衛隊が助けに駆けつけられるようにしないと、日本が攻撃を受けたとき、アメリカ軍は助けに駆けつけてくれないぞ」
そういう脅し文句によって、アベ政権は、日本が集団的自衛権を行使できるように法律を変えたが、そんなことで事が解決するほど、話は単純ではない。
アベ政権の見解の根底には、次のような期待がある。
「アメリカ軍が攻撃を受けたとき、我が自衛隊が助けに駆けつけられるようにすれば、日本が攻撃を受けたとき、アメリカ軍が助けに駆けつけてくれるはずだ。」
だが、そのように法律を変えれば、日本が中国や北朝鮮から攻撃を受けたとき、アメリカ政府は軍隊を出して、日本を助けてくれるのだろうか。真珠湾攻撃の前科がある日本。卑怯な手段で、アメリカ人兵士の生命を多く奪った日本。その日本を助けるために、はたしてアメリカは軍隊を出すだろうかーー。
ゼレンスキーの米議会での演説は、結果的に日米関係の根幹にある問題をえぐり出した点で、実に有意義なものだったと言わなければならない。