ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

眞子さまの前にあるもの

2019-03-30 11:37:41 | 日記
秋篠宮家の結婚騒動が、相変わらず世間を賑わせている。最近の話題の中心は、(眞子さまの妹である)佳子さまが、次のように発言したことである。

「姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが、私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。」

この発言が「国民」の批判の的になっているというのである。代表的なのは、ネットに投稿された次のような意見である。

「生活のすべてを税金で養ってもらっているのに個人の意思とか自由の方が大切で国民の意見は無視なんて烏滸がましいんだよ。完全に国民を敵に回した。皇族は日本一金に不自由しないんだからよほど気を引き締めてないと不良二世に堕落する危険性があることを改めて確認した。」

このような記事を読んでいると、私は、自分が江戸時代にワープしてしまったような錯覚にとらわれる。騒動の渦中にいる眞子さまは、さながら大名家のお姫さまである。このお姫さまは、町人である貧乏な青年に恋をしてしまった。すぐにでもこの青年と結婚したいと思っている。もちろん当主である父親は、この結婚話に猛反対している。大名家の姫と町人とでは、身分が釣り合わない。そんな縁談など、将軍様も世間も認めるはずがない。父親はそう言い張って譲らない。父親は封建制度のしがらみに囚われており、その常識を露ほども疑っていないのだ。

先に紹介したネット民の投稿意見が、私には「制度」あるいは体制そのものからの、猛烈な反発の声のように聞こえる。姫さま、つまり眞子さまが町人、つまり小室圭青年と結婚するには、こうした反発のプレッシャーをはねのけるしかないが、しかし、窮地を脱する手立てがないわけではない。

大名家を出て、出奔すること、眞子さまの場合なら、皇籍を離脱して一般人になることである。「生活のすべてを税金で養ってもらっているのに、個人の意思とか自由の方が大切で、国民の意見は無視なんて、おこがましい」という批判は、眞子さまが皇籍を離脱して、税金で養ってもらう身分でなくなれば的外れなものになり、問題でなくなる。

税金云々の批判はあくまでも制度からの声であり、そうである以上、制度の枠外に出た者に対しては機能しなくなるのである。

問題は、眞子さまが皇籍を離脱して無収入になった場合、小室圭青年と結婚したとして、それで安泰に暮らしていけるかどうかである。色男金と力はなかりけり。優男のこの青年は、目下は無収入であり、今後も収入を得るメドはたっていないという。

眞子さまの前にあるのは、安泰な道をとるのか、それとも色恋に殉じるのかの選択である。皇籍を取るか、捨てるかの選択は、この(安泰か、色恋かの)選択に直結している。眞子さまは困窮におちいり、悲劇のヒロインになるのかどうかーー。さてどうなりますことやら。
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