きのうのことだが、「DIME(ダイム)」なる発想があることを知った。朝日新聞の記事によれば、これは「『外交(Diplomacy)』『情報(Information)』『軍事(Military)』『経済(Economy)』の頭文字を取ったもの」であり、米国が安全保障の指導者育成のために考案した考え方だという。
「軍事だけでは国の安全は担保できない。DIMEを統合して国の安保を確保する、というのが、欧米では常識となっている」と記事は述べる(朝日新聞8月2日)。
どういうことか。いい例が昔の日本である。
「日本はかつて『国力』から目をそむけて軍事偏重に走った結果、人的・物的破局を招いた」(同前)。
1941年の当時、日本の国力を総合的に勘案して判断すれば、対米戦争の結果は「必敗」だとわかっていた。にもかかわらず、当時の東条内閣はこの分析・予測を無視して戦争へと突き進んだ。その結果が無残な敗戦なのである。
軍事だけでは国の安全は担保できない。DIMEを統合して国の安保を確保する着想が今必要なのは、今の日本がおかれた状況が、対米戦争開戦当時の日本の状況とあまりに似通っているからである。
これまで日本は、安全保障は米国を最重視し、経済面では最大の貿易相手国・中国との協力を深めてきた。ところが今、日本は中国と対立を深める米国の口車にのり、経済面での安全保障(中国との経済的互恵関係)を切り捨てて、中国と全面的に敵対しようとしている。「DIME(ダイム)」のE(経済)を度外視して、軍事面だけで突っ走ろうとしているのである。
見きわめるべきは、国力の現状である。
「経済協力開発機構(OECD)によると、現在の中国のGDPは日本の5・3倍で、2050年に7・4倍に広がる見通しだ。太平洋戦争開戦時の日米格差4・9倍を上回る。」
経済面でのこうした日本の国力の現状を踏まえれば、外交力を駆使することが必須であり、防衛力だけで安全保障を考える方針に無理があることは明らかである。
今や日本の国力は地に落ちた。「足元の『国力』を見つめ、『外交手段により戦争を避くる』ことに専念すべきだとした加藤友三郎(1920年代、シベリア出兵撤兵を成し遂げた日本の元首相)の問題提起は、いまも重い」と記事は書くが、もっともである。我々は今、この言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。
「軍事だけでは国の安全は担保できない。DIMEを統合して国の安保を確保する、というのが、欧米では常識となっている」と記事は述べる(朝日新聞8月2日)。
どういうことか。いい例が昔の日本である。
「日本はかつて『国力』から目をそむけて軍事偏重に走った結果、人的・物的破局を招いた」(同前)。
1941年の当時、日本の国力を総合的に勘案して判断すれば、対米戦争の結果は「必敗」だとわかっていた。にもかかわらず、当時の東条内閣はこの分析・予測を無視して戦争へと突き進んだ。その結果が無残な敗戦なのである。
軍事だけでは国の安全は担保できない。DIMEを統合して国の安保を確保する着想が今必要なのは、今の日本がおかれた状況が、対米戦争開戦当時の日本の状況とあまりに似通っているからである。
これまで日本は、安全保障は米国を最重視し、経済面では最大の貿易相手国・中国との協力を深めてきた。ところが今、日本は中国と対立を深める米国の口車にのり、経済面での安全保障(中国との経済的互恵関係)を切り捨てて、中国と全面的に敵対しようとしている。「DIME(ダイム)」のE(経済)を度外視して、軍事面だけで突っ走ろうとしているのである。
見きわめるべきは、国力の現状である。
「経済協力開発機構(OECD)によると、現在の中国のGDPは日本の5・3倍で、2050年に7・4倍に広がる見通しだ。太平洋戦争開戦時の日米格差4・9倍を上回る。」
経済面でのこうした日本の国力の現状を踏まえれば、外交力を駆使することが必須であり、防衛力だけで安全保障を考える方針に無理があることは明らかである。
今や日本の国力は地に落ちた。「足元の『国力』を見つめ、『外交手段により戦争を避くる』ことに専念すべきだとした加藤友三郎(1920年代、シベリア出兵撤兵を成し遂げた日本の元首相)の問題提起は、いまも重い」と記事は書くが、もっともである。我々は今、この言葉に耳を傾けるべきではないだろうか。
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