ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

核抑止論を考える(その3)

2024-08-01 09:06:03 | 日記
核抑止論について以前論じたブログ文を再掲する。読んでいただければ幸いである。
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(1)核兵器の使用に伴う悲惨な結果を忌避する感情と、
(2)束縛を嫌い、自由を望む人間生来の感情。
 この2つの感情を比較するとき、(1)(2)を凌ぐ動向が、今新たに(核保有大国の)アメリカで生み出されつつある。
きのうのブログで、私はそう書いた。こう書いたとき、私の念頭にあったのは、きのうの朝日新聞(2023年8月8日)に載っていた以下の記事である。

(A)
ヒロシマとナガサキにもたらされた恐ろしい大惨事で実証されたように、ビキニでの実験は、原子爆弾を使用する将来の戦争が、国家をたやすく破壊し、いまの文明を変えてしまうことを強く示唆している。実験の壊滅的な影響を目の当たりにした我々にとって、世界における安全を求めるならば、国家間の意見の相違を解決する手段としての戦争を避けるほかない、というのは明らかだ

これは、カール・ハッチなる人物が1946年7月29日付で大統領に提出した報告書の中の一節である。これを書いたカール・ハッチは、核兵器による艦艇への影響を評価する「大統領評価委員会」のメンバーの1人だった。彼は米国がビキニ環礁で行った原爆実験によって(日本の残存戦艦である)戦艦長門が海底深くに沈められた姿を見て、原子爆弾の恐るべき威力を思い知ったのである。
百聞は一見に如かず。原爆によって海底深くに沈められた戦艦長門の姿は、「核の威力」と、核戦争がもたらす悲惨な結果を思い知るには充分だったということである。

(B)
スミソニアン博物館は、原爆投下後の広島と長崎の写真の展示を計画していることを、朝日新聞に明らかにした。戦後80年の節目となる2025年に展示を刷新する予定で、博物館のジェレミー・キニー氏は『人々が原爆投下について客観的に語れるように時代が変化した』と語った。

スミソニアン博物館は1995年、被爆資料の展示を企画しながら、(「原爆投下は正しかった」と主張する)米国軍人OBの反発を受けて、事実上の中止に追い込まれた過去を持つ。この過去を思えば、スミソニアン博物館が2025年に予定している展示の刷新は、原爆への評価が変わりつつある「時代の変化」を感じさせる出来事である。

以上の2つの記事は、(1)核兵器の使用に伴う悲惨な結果を忌避する感情が(2)束縛を嫌い、自由を望む人間生来の感情を凌ぐ、新たな動向の出現を予感させるが、では、(1)の感情が「核抑止論」を根絶するには、具体的にどんな手段が必要なのかーー。そんなことを思いながら朝日新聞の紙面を眺めていると、次の記事が目に止まった。これを読んで私は「これだ!」と思わず膝を打ったのである。

(C)
国内最大級の民間機関投資家である日本生命は7日、核兵器をつくったり、たばこを製造したりする企業への投融資を今後行わないと発表した。人道性や健康の観点から、投融資の方針を見直した。地球温暖化対策の『脱炭素』の取り組みも強める。
環境(E)・社会問題(S)・企業統治(G)に配慮する『ESG投資』の方針を7日付で改めた。これまでも生物兵器や対人地雷を製造する国内外の企業への投融資はしないとしてきたが、新たに核兵器を加えた。



核兵器を製造する企業へは投融資を行わない。日本生命のこうした方針がアメリカでも一般化し、民間機関投資家のすべてが核兵器製造企業への投融資を行わなくなれば、核兵器製造企業はビジネスの論理に従って自ずと淘汰され、早晩消え去るだろう。
あとは、北朝鮮のようにハッキングによって莫大な暗号資産を盗みとり、それを核兵器の開発・製造に充てている無法国家をどう退治するか、その問題だけである。


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(2023/8/9《核抑止論を越える(その2)》より)


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