ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

民主主義のゆくえ その欠点の認識から

2021-03-30 14:28:16 | 日記
きょうこそは本題に戻り、当初の考察を進めることにしよう。民主主義が持つ第2の問題点は何か。それが問題だった。この問題について考える前に、では民主主義が持つ第1の問題点はどういうものだったか、それについて簡単におさらいをしておくことにしよう。

民主主義が持つ第1の問題点、それは、この政治システムが衆愚政治( ochlocracy )に陥りがちな傾向を具えていることである。民主主義( democracy )とは、文字通り、民衆( demos )が権力( kratia )を握るような政治システムだが、民衆はとかく有力インフルエンサーの煽動に動かされやすく、また、世論の同調圧力にも流されやすい。その結果、民主主義の社会では、(一部のインフルエンサーが唱道する)偏見混じりの独断と、それに毒された「民意」が幅を利かせることになる。また、(不満から生じる)一部国民のヘイト感情が、インフルエンザ・ウイルスのように蔓延して社会を席巻することになる。

さてもう1つの問題、それは、選挙によって選ばれる側の人間、すなわち統治者となるべき人間に関わっている。民主主義では、国のトップは国民の投票で選ばれ、(タテマエ上は)国家運営に民衆の意思(民意)が反映される仕組みになっている。

だが、国民の投票によって選ばれた国家指導者は、つねに民意に気を配るとは限らない。権力は人間の品性を変える。いったん権力を掌握した政治家は、初志を忘れ、民意に気を配ることを忘れ、やがては自己の利益を確保することに、さらには自己の権力を維持し増大することに汲々とし始める。彼は自分が再選されやすいように選挙制度を変え、長年に亘って権力を握り続けるかも知れない。

「自分が再選されやすいように選挙制度を変える」という言葉から、中国の習近平国家主席や、ロシアのプーチン大統領のことを思い浮かべる人がいるかも知れない。また、「自己の権力を維持し増大することに汲々とする」という言葉から、ドイツのヒトラー総統のことを思い浮かべる人がいるかも知れない。

このように私が習近平やプーチンやヒトラーといった大物の名前を挙げると、次のように反論する人もいることだろう。習近平にしても、プーチンにしても、ヒトラーにしても、彼らはすべて民主主義とは縁もゆかりもない人物であり、むしろ専制主義が咲かせた徒花(あだばな)ではないか、と。

それに対して、私が言いたいのは、こういうことである。ほとんどの政治家は権力の獲得をめざし、いったん権力を手に入れれば、それをできるだけ長く握り続けて、これを増大しようと企てはじめる。問題は、政治家のその野望を食い止める仕組みを、政治システムが具えているかどうかである。具えていなければ、その政治システムは強大横暴な独裁者を生み出すことになり、結果からして、問題の多い「専制主義」の政治システムと呼ばれることになる。

では、民主主義の政治システムはどうなのか。権力に執着する政治家の野望に歯止めをかける仕組みを、民主主義の政体もまた具えていないのではないか。その限り、民主主義政体の下でも独裁者は同じく出現すると見なければならない。つまり、独裁者の出現に歯止めをかけるブレーキの仕組みを具えていないことが、民主主義のもう1つの欠点なのである。

最後に、誤解のないようひと言だけ申し添えておきたい。私はこれまで民主主義の欠点をいろいろ論(あげつら)ってきたが、これによって私は、民主主義を全否定しようとしているわけではない。「民主主義はダメだ。代わりにもっとマシな政治システムを」と言おうとしているわけではないし、ましてや「民主主義はダメだ。専制主義こそ素晴らしい」などと言おうとしているわけでもない。

私が言いたいのは、民主主義を素朴にーー無批判にーー受け入れることの危険性である。「民主主義は素晴らしい。何が何でも素晴らしい」と褒め称えるよりも、「民主主義にはいろいろ問題があるが、他の政体に比べればそこそこ素晴らしい」と醒めた目で注意深くウォッチするほうが、ずっと健全な見方だと私は思うのである。

民主主義の欠点をあれこれ論う私のような者を、「聞き捨てならぬ」と問答無用で退けようとする態度は、怠惰の誹りを免れない。そう私は思うのだが、いかがだろうか。
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