ささやんの週刊X曜日ーー号外ーー

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

おくればせの改憲問題

2019-05-04 11:18:02 | 日記
きのうは憲法記念日だった。サンデー毎日、もとい毎日がサンデー状態の日々を過ごしていると、曜日の感覚だけでなく、休日や祝日の感覚が薄らいでくる。まして世間は、改元にともなう10連休の最中であり、「令和」、「令和」とお祭り騒ぎで賑わしい。テレビ画面も、天皇の即位にまつわる一連の儀式や、皇室ゆかりの話題でもちきりである。

私の頭もこれにならい、天皇制の問題を考えることで一杯だったが、きのうが憲法記念日だったことを忘れ、憲法問題を考えることを忘れていたのには、もう一つ、大きな理由がある。憲法(改正)問題に対する私のスタンスは、1年前とほとんど変わっていないからである。確認する意味で、1年前に私が本ブログで書いた記事から、そのさわりの部分をコピペすることにしよう。

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憲法9条は戦争放棄と戦力の不保持を謳うが、これは平和主義の理念に基づいている。たしかに、世界が平和であることはすばらしい。戦争などなくなればいいのに、と思う点では、私は人後におちない。しかし戦争が絶えない国際社会の現実がある。歴史が示すように、〈力への意志〉に駆られて、覇権を拡張しようとする国はいくつもある。仮の話だが、そういう国がすぐ近くにあり、その国が我が国を侵略しようとした場合、では我が国は、一体どうしたらいいのだろうか。憲法9条の理念を後生大事に守り、手をこまねいていたのでは、亡国は必至だろう。
だが、国家の存続と独立は、いわば国家の自然権である。日本国憲法は、国家の憲法であるからには、国家の自然権である自国の自存独立を、まずもって守るべき最高価値と見なさないはずがない。この最高価値を守るために戦力の保持が避けられないのならば、国家の憲法はこれを(暗黙の大前提として)認めるはずだ、と解釈するのは、あまりにも当然のことである。
自民党が先ごろ提示した改憲案は、こうした解釈に基づくものであり、私が「うまくまとめられている」と評価したのはこの点である。
       (2018.5.3《憲法記念日に 改憲について考える》)
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安倍政権は改憲をめざすのであれば、「戦力を保持するのは、(自国の存続と独立を守るという)国家の自然権の行使である」とする見解を、国民に解りやすく説明する必要がある。何を言っても信じてもらえないとすれば、それはこの政権の自業自得と言うべきだろう。あるいは、自縄自縛と言うべきなのかも。
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