ウクライナ外務省が支援国に対する感謝の動画を作り、公式ツイッターに投稿した。動画では、米英など30カ国の名称が字幕で流され、ウクライナ軍の関係者が、「我が国に対する揺るぎない支援に感謝する」と謝意を表明している。それはいい。支援に謝意を表するのは、麗しいことだ。・・・だが、そのテロップに日本の名前はなかった。このことが日本の関係者にショックを与え、各方面に物議を醸している。
このことについて感想を求められた松野官房長官は、「軍事支援の文脈で謝意が示されたものと推察している」と語ったらしいが、釈然としない思いは残っただろう。
たしかに、日本はウクライナに武器を供与してはいない。日本は、防弾チョッキや化学兵器対応用の防護マスクなどの防衛装備品を提供したものの、(ウクライナが求めるような)殺傷能力を持つ武器は提供していない。それは、「防衛装備移転三原則」との絡みで、どうしようもないことだった。この三原則の運用指針を変更しても、それが日本にできるぎりぎりのことだったのである。
日本は30年ほど前にも、これと同じ憂き目をみている。
1991年の「湾岸戦争」のときのことだった。日本は総額130億ドル(約1兆5500億円)もの巨額の資金を多国籍軍に提供した。その結果は、どうだったか。イラクの侵攻から解放されたクウェート政府は、米国の主要な新聞に感謝広告を掲載した。だがこのときも「クウェート解放のために努力してくれた国々」の中に日本の名前はなかったのである。
このとき日本が得た教訓は、「金を出すだけでは、世界は認めてくれない」ということだった。この教訓を受けて、日本政府は翌1992年に「国連平和維持活動協力法(PKO協力法)を成立させ、カンボジアの再建に向けた国連PKOに自衛隊を派遣した。
さらに(2001.9.11の同時多発テロを受け、アメリカが始めた)アフガン戦争に際して、自衛隊は「テロ対策特措法」に基づき、米軍の後方支援に当たった。
さて、今回のウクライナの「感謝動画」の一件から、日本はどういう教訓を引き出すのか。国際貢献活動のあり方を今後、どういうふうに変えていくのか。「日本はこの際、法律を改正して、他国に武器の供与が出来るようにすべきだ」などという暴論が政界にまかり通らないことを、私は祈っている。
国際貢献の方途は軍事支援だけではない。ウクライナの例で言えば、この国に武器を提供して戦火に油を注ぐよりも、この国の戦後復興のために汗をかくほうが、ずっと有意義なことだと私は思っている。そのためにも、この戦争は一日も早く終わらせねばならないのだが・・・。