井上陽水が名曲「傘がない」を歌ったのは、1972年のこと、今から50年も前のことだった。この曲を聴くと、私はその当時の、暗かった我が青春時代のことを思い出す。
♫都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ♫
この唄に倣って今の私の心境を表せば、次のようになるだろう。
♫世界では殺される人々が増えている
けさ見たテレビのワイドショーで言っていた
だけども問題はきょうのブログ記事 キーボードがない
待たなくちゃ 君に会えるのを待たなくちゃ
アマゾンの配達を待たなくちゃ 首を長くして♫
そう、ウクライナでは今、市民たちがロシアとの戦いの巻き添えになり、どんどん虐殺されている。なのにこの私はといえば、温(ぬく)い部屋で手持ち無沙汰を持て余しながら、(ブログ書きに使う)キーボードのことで頭を一杯にしているのである。
待望のキーボードは、きょうの夕方にでも届けられる予定だが、使い勝手の良いキーボードを求める私の気持ちは、思うに、(今の自分に残された)心身の機能を思い切り羽ばたかせたいと願う私の心から来ている。
私は十年ほど前、脳出血に倒れ、その後遺症で半身不随になった。左側の手足から自由と感覚が奪われ、私は気ままに街を出歩けない身体になった。残されたのは右手の5本の指の動きだけ。頭の思考機能も一応は損なわれずに済んだが、これも寄る年波か、昔に比べればその働きの衰えは如何ともしがたい。
というわけで、私は今、右手の指を自由に動かし、思いの丈を文章に綴るための道具、すなわち使い勝手の良いキーボードを必要としているのだが、これがなかなか難しい。70歳のジジイともなると、「使い勝手の良さ」の条件の、そのハードルが大幅にせり上がってくるのだ。
なんといっても問題は、視力の衰えである。今の私にはフツーのキーボード、つまり黒色のキーボードは使えない。ブラインドタッチができない私は、キートップに印字された一文字一文字を見ながら文字打ちをするしかないのだが、黒色が背景では、なぜかその一つ一つがえらく見にくいのである。
目に優しいのは白色のキーボードだが、最近はそれも見にくくなってきた。あれこれ考えた私は、バックライトの機能が欲しいと思うようになった。一年ほど前に買ったメカニカル・キーボードのバックライトは秀逸で、とても見やすかった。ただこのキーボードは、キーの数が61個と少ないため、入力面で制約が多く、何かとストレスがたまる。茶軸で打鍵音がカチャカチャと大きいのも気になる点だった。
そんなこんなで、最近は「理想のキーボードさがし」が私の趣味の一つになっていた。いろいろ探した挙げ句、やっと辿り着いたのが、「e元素」という中国のメーカーが製造・販売している「81キー・赤軸」のメカニカル・キーボードなのである。
そいつをアマゾンに注文したのがきのうの夕方のこと。きょうの夕方にはそいつが届くことになっている。
♫待たなくちゃ 君に会えるのを待たなくちゃ だれもいないこの部屋で♫