5分の魂と3分の理。ウクライナとロシアとの戦いは、この両者の戦いだと私は思っている。
一寸の虫にも5分の魂:どんなに小さな虫にも、生きているものにはそれ相応の命があるのだから、粗末に扱ってはならない。どんな者でも意地や誇りを持っているから、むやみにばかにしてはならないというたとえ(コトバンク)。
盗人にも3分の理:盗人にも、盗みをするにはそれ相応の理由がある。非難すべき行為におよぶ者にも言い分はある。また、どんなことにも理屈をつけようと思えばつけられること(コトバンク)。
ロシアとウクライナは軍事力の面で雲泥の差があり、ウクライナはさながらゴジラを前にした「一寸の虫」に等しい。だが、そんなウクライナにもそれなりの意地や誇りがある。ゴジラが攻めてきても、決して怯むことはなく、徹底抗戦あるのみである。
一方、軍事大国のロシアは弱小なウクライナを侵攻したが、横暴なゴジラの頭目ともいうべきプーチンにも、それなりの言い分はある。「3部の理」がある。
こんなふうに言うと、「ふん、どうせそんなのは、牽強付会の屁理屈に過ぎないさ」と言い返したくなる人が大半だろう。
では、ロシアが主張するその「3部の理」とは、一体どういうものなのか。それを確かめるのが、きょうのテーマである。
この問題を考える上で、私は東郷和彦氏によるネット記事《 「NATOに行くのは許さない」 プーチン政権が異常なまでにウクライナに執着する悲しい理由》(PRESIDENT Online )を大いに参考にしたが、この記事を要約することはしない。興味がある方は、直接この記事に当たって欲しい。
さて、ロシアが主張する「3分の理」とはどういうものか。それを知るためには、ソビエト連邦が解体されロシア連邦が成立した1991年当時に遡る必要がある。この年の3月、ソ連の安全保障を担ってきたワルシャワ条約機構が機能を停止し、7月には廃止された。
このとき、ワルシャワ条約機構の幕を引いたソ連ーロシア側には、一つの思わくというか、期待があった。ソ連が健在だった当時、西側にはN ATOが組織され、この軍事組織が東側のワルシャワ条約機構と張り合う形で冷戦を形作っていたが、今、ワルシャワ条約機構が廃止されたからには、その対抗組織たるNATOも(不要のものとされ)廃止されるはずだ、という期待、ないしは思い込みである。
ところが、現実はそうはならなかった。その後、ポーランド、ハンガリー、チェコといった旧東欧の3カ国がNATOに加盟し、さらにはバルト3国もNATOに加盟するに及んで、NATOは事実上(廃止されるどころか)逆に勢力を伸ばして、東方拡大の一途をたどることになったのである。
このNATOの東方拡大の動きはロシア側にプレッシャーとして作用し、ロシア首脳に警戒心を懐かせることになった。これが今回の「ウクライナ侵攻」の遠因になったことは、あまりにも明白である。
ウクライナがNATO加盟の意思を表明したとき、ロシア側の頭目・プーチンの警戒心は恐怖へと変わり、この男は「NATOの東方拡大の動きを何が何でも今、ここで食い止めないと、俺たちはNATOによって呑み込まれる!」と考えたに違いない。
「このままでは俺たちは呑み込まれる!潰される!」という、断末魔にも似た悲痛な叫びーー。この悲痛な叫びがウクライナ侵攻の直接のトリガーになったと私は考えるが、いかがだろうか。