ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

戦争になれば

2017-09-11 17:26:22 | 日記
きょうは週に一度のお勤めの日、近所のリハビリ施設に出かけた。筋トレ
マシンの順番待ちをしているとき、隣に座ったお婆さんが、こんなふうに
話し掛けてきた。
「北朝鮮は嫌ですねえ。テレビの話ですとね、なんでも北朝鮮のせいで戦
争になるんですってよ。でも、戦争はいけませんよ。安倍首相もねえ、ア
メリカの言いなりになって、戦争なんかしても、良いことなんかないの
に。戦争はもうコリゴリです」
私の隣に座ったのは、私の母親と同じ年恰好の、腰の曲がった老婆であ
る。戦争はもうコリゴリだという話は、昔、母親から何度か聞かされたこ
とがある。返事の代わりに、こう訊いてみた。
「大東亜戦争の時は、お幾つぐらいだったのですか?」
「そうねえ、戦争が始まった時は、二十歳ぐらいだったかしら。お化粧も
できないし、良いことなんか、何もなかったわねえ」

このお婆さんといい、私の母親といい、戦争を体験した世代の人は、戦争
は嫌だと言う。戦争はひどいものだと言う。戦争のひどさは、体験した人
でなければ解らない、とも。

私は「戦争を知らない子どもたち」の一人だから、戦争をリアルに体験し
たわけではない。だが、そのひどさは、(活字や映像を通して)ある程度
は想像することができる。私が北朝鮮との戦争を、なんとしても避けなけ
れば、と思うのは、見聞によって培われたそういう感性に負うところが大
きい。

しかしながら、時は過ぎ去る。戦争を知らない「子どもたち」は、大人に
なり、爺さん、婆さんになる。戦争の記憶は、確実に風化していく。

爺さん、婆さんの子や孫に当たる「戦争を知らない子どもたち」の中に
は、「戦争が起こればいいのに」と思う若者が増えていると聞いたことが
ある。「戦争で社会が混乱すれば、受験の競争から逃れられる。受験勉強
をしなくても良くなる」といった理由からであるらしい。

たしかに、戦争によって社会の秩序が根底から揺さぶられ、崩れ去れば、
既存の秩序の中では上に行けなかった者、落ちこぼれた者は、リセット状
態から、もう一度、巻き返しをはかることができるだろう。その気持ち
は、私にも解らないではない。しかし、しかしなぁ・・・。

既存のものと同じではないにせよ、なんらかの秩序はやがて必ず出来上が
る。既存の秩序の中でうまく行かなかった人間が、新しい秩序の中でなら
成り上がれるかというと、そうなるとは私には思えない。新たなチャレン
ジが成功する可能性は、かなり低いと踏まなければならない。

敗者復活の儚い見込みのために、社会の混乱がもたらす悲惨な窮乏生活を
耐え忍ばなければならないとしたら、どうなのか。戦争が国民の選択で左
右できたとして、戦争を選択することは、現在、社会の底辺にいる人たち
にとっても、けっして賢明な選択ではないように思える。
コメント
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