昨日の記事の内田樹先生の『邪悪なものの鎮め方』を読んでいて
『龍馬伝』を観ていて感じたことを思い出しました。
先週の放送では、攘夷を掲げる武市半平太一門と
土佐藩上士との間で起きる事件を描いていました。
一触即発の状況を救う、龍馬。
理路の正しさ、志の高さ、というものが
人の生き方を左右し、生き死にまでも変えていく。
本当に、その「正しさ」は大切なものなのか???
内田先生の本の中に‘被害者の呪い’という文章があります。
誰もが被害者として、自らの「正しさ」を主張し
当然の権利と叫ぶ。
そこには誰も、加害者がいない。
正しさの前に、ひれ伏せとでもいうように
皆一様に声高だ。
私はそれを読んでいる時、自分はどうだ?と
身につまされ、恥ずかしい気持ちになってしまったのです。
答えが、龍馬のとった行動なのですね。
そのことを画面を観ながら思いました。
でも、心を煽るということのなんと簡単なことか。
こんな風に若く、純粋な気持ちを見方につけたら
何でもできちゃうだろうな。
‘呪い’という言葉なら、充分怖いことだと、分かる。
でも、「正しい」といわれたら
その本当の意味は、なかなか分からないのではないだろうか。
「正しい」ということには
充分気をつけよう。。
『龍馬伝』を観ていて感じたことを思い出しました。
先週の放送では、攘夷を掲げる武市半平太一門と
土佐藩上士との間で起きる事件を描いていました。
一触即発の状況を救う、龍馬。
理路の正しさ、志の高さ、というものが
人の生き方を左右し、生き死にまでも変えていく。
本当に、その「正しさ」は大切なものなのか???
内田先生の本の中に‘被害者の呪い’という文章があります。
誰もが被害者として、自らの「正しさ」を主張し
当然の権利と叫ぶ。
そこには誰も、加害者がいない。
正しさの前に、ひれ伏せとでもいうように
皆一様に声高だ。
私はそれを読んでいる時、自分はどうだ?と
身につまされ、恥ずかしい気持ちになってしまったのです。
答えが、龍馬のとった行動なのですね。
そのことを画面を観ながら思いました。
でも、心を煽るということのなんと簡単なことか。
こんな風に若く、純粋な気持ちを見方につけたら
何でもできちゃうだろうな。
‘呪い’という言葉なら、充分怖いことだと、分かる。
でも、「正しい」といわれたら
その本当の意味は、なかなか分からないのではないだろうか。
「正しい」ということには
充分気をつけよう。。