私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

殴り殺される覚悟で書いた親日宣言

2005-06-13 21:26:01 | たまに読んだ本
昨日の夜、友人から借りた「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」@チョ・ヨンナムを読む。
感じたことを忌憚なく書いているとは思うが、それだけだと思う。
何かを声高に宣言しているとは思えなかった。

同じように韓国、日本の事を忌憚なく書いている本だったら、韓国人女性と結婚した篠原令著「妻をめとらば韓国人!?」の方が面白く読めると思う。
韓国に思いやりという言葉がないとう件にはびっくりしたが、違いを違いとして受け入れるという自然な考え方が一貫しているので、読んでいて大変気持ちがいい。
違いに優劣をつけるのではなく、違いを違いとして素直に受け入れることの大切さを淡々と語っているので大変分かりやすいのだ。

チョ・ヨンナム氏がこの本を出版したことによって、テレビ番組を降板することになったのは、日本でも報道されていたし、又篠原令著「妻をめとらば韓国人!?」は韓国語版の出版の話もあったそうだが、立ち消えになったのだという。

しかし「妻をめとらば韓国人!?」の方は違いを受け入れることの大切さに重きを置いた本で、どこが気に入らないのか正直分からない。奥さんの事を情に熱い人として書いている箇所は沢山あるが、その裏には奥さんそして韓国という国を理解しようという静かではあるが熱い思いがあることは、本を読めば一目瞭然だ。
ただ違いを受け入れるということの第一歩は、事実を事実として受け入れるということだろう。正直私の理解度の範疇を超えているが、番組降板、発売禁止は紛れもない事実だ。

いつもは「韓国ドラマって熱い!」と短絡的にドラマを楽しんでいるだけだが、たまにはこんな風に真剣に事実と違いを考える必要があるかもしれない。


妻をめとらば韓国人!?

文芸春秋

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美容院で

2005-06-12 13:44:00 | なんということはない日常
1ヶ月おきに行く美容院はいい気分転換になる。
他人に髪を洗ってもらうというのは、なんとなく贅沢な気分が味わえるし、髪を洗い終わった後、頭皮マッサージされるのも気持ちが良いし、ばさばさな毛先がはさみによって切りそろえられるのも大変気持ちがいい。

最近クォン・サンウが女性の髪を洗っているシャンプーのコマーシャルが放送されているが、洗ってくれる人がクォン・サンウでなくても私にはかなり羨ましいコマーシャルだ。
毎日あんなに丁寧に洗ってもらえなくてもいいが、あのコマーシャルのように日曜日の午後、明るい日の光の下で髪を洗ってもらえたら、とてもリラックス出来るかもしれない。
会社の同僚は「韓国人俳優で一番格好いい人」とクォン・サンウを絶賛し、ついこの間まで「なんとかサンウ」などと呼んでいたのもフルネームで呼べるようになったようだ。
ただコマーシャルの礼儀正しい感じは少し不満なようで「もう少し毒を吐く感じでもいいのに」(悪ぶった感じの方が魅力があるということらしいい)などといっているが、シャンプーのCMなのだから、あのくらいソフトで礼儀正しくて丁度いいのだろう。

洗ってもらう方は大変気持ちがいいシャンプーだが、美容師の人にとっては、不自然な体勢での長時間の洗髪は重労働らしく今日シャンプーをしてくれた人は「僕は自分のシャンプーは30秒程で終わらせます」と言葉少なに語っていた。更にどんな女性も美容室に一歩足を踏み入れると、普段取り繕っているものが剥がれてしまうようで、美容師さんの「女性のパワーは凄いですね。毎日負けそうになります。でも女の人の美醜は、見かけではないですよね~」という一言が妙に説得力があったりする。

クォン・サンウに髪を洗って癒してもらう必要があるのは、私ではなく美容師の人のようだ。


韓国語を学ぶ

2005-06-11 19:41:19 | なんということはない日常
「韓国語でお兄ちゃんはオッパって言うらしいよ。」「もしもしはヨボセヨって言うみたい」
2002年の春(まだワールドカップが始まる前だ)テレビで秋の童話を観始めた頃は、知っている韓国語といったら「アンニョンハセヨ」だけだったので、ちょっとでも新しい単語を知るととても面白かったのだ。そんな時ハングルをちょっと覚えようかなと思ったのは、ハングル表記ばかりで一つも分からなかった新大久保で、CDやDVDを買うときに便利かもしれないと、物欲と結びついての単純な動機だった。

NHKのラジオ講座のテキストを購入して音読してみたり、日本語字幕を見ながらドラマを観たりして「覚えては忘れ、また一からやり直し」と何度も同じことを繰り返しながら2年ほど一人で勉強していた。ただラジオ講座よりは、ドラマを観ていたほうが何倍も面白く「ウリ ヘオジョ(私たち別れましょう」だの「チョアハヌン ナムジャチング イッソ?(好きな彼氏はいるの?」等恋人同士のどうしようも無い会話は覚えたのだが、「5000円になります」だの「明日の天気は晴れのち曇りです」だの生活に必要な会話は一つも覚えられない。さすがにこれでは仕方がない、せっかくだからもう少し実のある勉強をしようと思い立ち、2月からご主人が日本人という韓国女性から韓国語を習い始めた。

今日は「何々みたいですね。」という言い方を勉強したのだが、「今日は気分がよさそうですね」というテキストの例文を無視し「馬鹿みたいですねは パボンガバヨでいいですか?」と暢気な質問し「その言い回しはドラマを観て覚えたんですね」と笑いながら指摘されてしまった。
(幼い子は汚い言葉を直ぐに覚えるというが、それは大人も一緒のようだ。誉め言葉よりも罵り言葉などのほうが印象に残るような気がする)

今の私にとって、韓国語を覚えても韓国ドラマを楽しむことくらいにしか役に立たないが、知らないことが分かるというのは無条件に楽しいものなのだ。そんなシンプルな喜びを感じられることは、日常生活ではありそうでなかなかないのではないかと思う。

いつもテキストとは関係ない質問をしているにも関わらず、「自分では気が付かないかもしれませんが、ちょっとずつ上達していますよ。私も教えがいがあります。」などと嬉しいことを言ってくれる誉め上手な先生のおかげで「会社員のチョ・ナンカンを目指します!」などと調子に乗って毎週楽しく練習をしている。

ガラスの華 10話

2005-06-09 20:30:30 | 韓国字幕つきドラマ感想
祝!日本サッカードイツワールドカップ出場 の余韻に浸りながらも、三角関係に揺れる韓国ドラマを視聴する・・・

誕生日を一人寂しく祝うドンジュの元をケーキを持って訪れるジス。
皆に祝ってもらったと日本にいる母親に嘘をついたドンジュにとっては、かなりうれしい出来事だったようで、ダンスまで踊ったりしているが、ギテもたずねてきてしまい、楽しい時間はあっという間に終わってしまう。
ジスに「息が詰まりそう」と叫ばれても、妹のテヒに「私まで自分のたくらみに利用するなんてどういうつもり?」と咎められても、なんとしてもジスを自分のものにしたいギテの暴走は止まらず。

「努力してるんだ」とジスに自分を認めるよう何度も懇願し(こういう問題が努力で解決するなら、もっと世界は平和だよな~)
「機が熟すまで待つといっていた、昔のお兄ちゃんはどこにいったの?もうやめて」とテスに諭されても、「まだまだだ。これからがはじまりだ!」と手を緩める気配は一つもなしだ。

韓国ドラマの面白いところは、執着しだすと止まらないところだ。
自分の愛について語ること。そして愛について執着しだしたことを面白がらないと、逆に見ていられないといったほうがいいかもしれない。
この愛についての執着に同情できるかどうかが、ドラマを面白く感じられるかどうかの分かれ目なのだが・・・・
(以前だと、秋の童話がヒットしたのは、スンホン演じるジュンソの愛ももちろんだが、ウォンビン演じるテソクの愛が無償の愛として、テレビを見ている人に受け入れられたからだと思う。
最近だと、バリで起きた出来事での、チョ・インソン演じるお坊ちゃまの愛もそうかもしれない)

このドラマに置き換えたらどうだろうか?
ギテがドンジュを自宅に招き、両親、テヒと会食する場面は、面白いというより、ちょっと痛かった。
(こういう場面が、面白くならないと、このドラマは見ているのがつらいのだが・・・)
そして執着するのはギテだけかと思いきや、ドンジュもギテに諦めないなどと宣言しており執着が執着を呼ぶ泥沼の展開になるのか?
とりあえず二人の執着の行き着く先を確認しなければと思う。

そして二人の執着の対象 ジスはなぜかテヒが代表を務めるスタジオに勤務することに。
ドンジェに違約金を肩代わりしてもらって早々に辞めたほうがいいと思うが。
(いやたぶん辞めないだろう。辞めてしまったら韓国ドラマではなくなってしまう!)

ドンジュのネクタイの曲がり具合

今回はノーネクタイの場面が多く、未確認。

2006年ワールドカップ(W杯)最終予選

2005-06-08 20:59:08 | なんということはない日常
1993年5月 Jリーグが開幕した頃は、会社帰りに試合を見に行こうなどと盛り上がったものだった。ラジオからも始終「オレーオレオレオレ~」というテーマソングが流れていたような気がする。
仕事が終わった後、同僚から机の上に並べた10円玉でオフサイドについて説明を受けたりしたのも懐かしい思い出だ。

「えっ?この10円玉がここにあればいいの?」
「いや これではオフサイド」
「えっ ?だってさっきはこれがオフサイドって?」
「だからこれとこれは違うでしょ?」
(この間机の上であちこち動かされる10円玉)

「もうやめよう。別にオフサイド分からなくても、問題ないよ。こんなにあちこち10円玉動かして、これじゃコックリさんだよ。」と呆れた同僚の一言。
とうとう最後までオフサイドのルールが理解できず、Jリーグを見に行く話もなんとなく立ち消えになってしまった。

競技場の外から風に乗って聴こえてくる日本人サポーターの声。主のいない観客席はまるで白いキャンバスのようにもみえ、寂しくはあるけれどもテレビ画面からは逆にシンプルな雰囲気さえ伝わってくる。気温37度のバンコクでの試合は、夕方とはいえまるでサウナ風呂の中を全速力で駆け抜けるようなものだろう。

未だにオフサイドのルールは分からないが、今日の試合は十分に楽しんでいる。「別にオフサイド分からなくても、問題ないよ。」同僚の一言は正しかったようだ。

屋根部屋のネコ

2005-06-07 21:39:11 | 韓国ドラマ・映画
韓国ドラマ「屋根部屋のネコ」のことを5月22日のブログにこんな風に書いている

就職浪人のジョンウン(演じるはチョン・ダビン)の屋上の部屋に、賭博で作った借金のせいでサラ金に追われるギョンミン(キム・レウォン)が転がり込んできて、仕方なしに同居を始めるという暢気なコメディだ。賭博を愛し、法律を勉強する大学生ギョンミンを演じるキム・レウォンは、大柄ではあるが普通の好青年といった雰囲気だし、ジョンウンを演じるチョン・ダビンも本当にごくごく普通の感じだ。しかし普通さを廃し、夢を見させようとする韓国ドラマの中では、なんということのない普通さも珍しく思える。更に韓国ドラマにしては珍しく2回めという早い段階で、二人が一緒に朝を迎えてしまうという場面もあるが、その後は一向に進展せず。という本当に暢気なドラマなのだ。

*************
この後も昼間放送したものの録画を寝る前に楽しみ、今日がとうとう最終回だった。
法律を勉強するギョンミンがどうやら司法試験を一回で合格しそうなほど、頭がいいことがわかったり、ジョンウンがアルバイト先の室長に気に入られ、更にギョンミンの憧れの人ヘリョンも加わり四角関係になっても、結局二人はくっついては離れ、又離れてはくっつきとラブコメディらしい予定調和がずーっと続いていて、寝る前に見るには本当にぴったりのドラマだった。

普段はおちゃらけているギョンミンが、手あれの酷いジョンウンに洗濯機をプレゼントしたり、喧嘩をしてもジョンウン会いたさに、「行く場所がなくて」と嘘をつき、何度もスーツケースを転がしながら、自分の家と屋上の部屋を行ったりきたりするのは、非常に微笑ましかった。
更にこのギョンミン、ちょっと大きめの口を更に大きく開け、ちょっと離れて愛嬌のある眼を細めてにっこり笑い、手にバラの花束を抱えていればジョンウンが何でも許してくれると思い込んでいるのもよかった。

本当なら「笑ってごまかせば、済むと思っているのか!」と一発活でも入れたいところだが、ドラマの中の出来事なら腹のたつこともないし、私の代わりにジョンウン役のチョン・ダビンに何度も活を入れられていたようだから、私が今更駄目だしをする必要もない。何でも笑って誤魔化そうとするギョンミンのいい加減さを思う存分楽しませてもらった。

最後に一つ駄目だしをするなら、室長役のイ・ヒョリが痩せてるし、殆ど笑わないし、馬鹿みたいなギョンミンのわがままにも怒り出さないし、大人しいし・・・・と物足りなさばかりだったことだろうか。それともこのドラマの主役は屋根部屋に住む幼稚な二人故、大人の室長は必要なかったのだろうか。ともかく暢気なラブコメディにこれだけ熱く語れるとは、ドラマより何より私が一番暢気かもしれない。

松本人志 シネマ坊主

2005-06-06 21:12:10 | なんということはない日常
いつもは、松本人志の連載「シネマ坊主」をコンビニで立ち読みするだけなのだが、「日経エンタテイメントの創刊100号記念 「ご愛読感謝!の別冊付録@松本人志「シネマ坊主」全作品150本ガイドブック」に釣られて思わず購入してしまった。100号にして始めての購入だ。

中学の頃少ない小遣いを貯め、@スクリーンを買うか@ロードショー買うかと毎回悩んでいたものだ。又雑誌を買ってからは、新作の情報を仕入れたり、何ヶ月も遅れて報道されているようなゴシップ記事まで隅から隅まで熟読し、観たこともない旧作も、人の感想を読んで観たような気分になっていたものだった。そんな昔に比べたら今は雑誌、ネットとの情報の海に溺れそうなほどで本当に隔世の感ありだ。ただ自分でサイトに感想を書くようになってからは、自分の感想を文字で残すことで満足してしまい、逆に人の感想は気にならなくなってしまった。不思議なものである。雑誌も新作をたまにチェックするために立ち読みする程度で、感想などは殆ど読んだりしないのだが、お笑いが本業故、更に彼が松本人志であるが故、非常に忌憚のない意見がびしびし書いてあるのが気持ちよくてこの松本人志のシネマ坊主だけは毎月欠かさずに立ち読みしていた。買えばいいのにといわれそうだが、2ページの映画評に600円出すのは・・・とけちな考えで毎月立ち読みしていたのだ。

私も自分の映画感想は忌憚なく書いているつもりなのだが、自分の腹黒さを隠そうと無意識のうちにいい人ぶった感想を書いていることに気がづくことがある。(世の中で@感動作!と言われる作品でも虫の居所が悪い時に見たりすると、腹が立って仕方ない時があるのだ。また最高傑作と言われる作品でも「けっ!どこが」などと思ってしまったりすることもある。)さらにいい人ぶった感想も書けない時は、もうどうしようもなくて短い一文になってしまったりする。

ところが松本人志は、2005年のアカデミー賞で作品賞を取った@ミリオンダラー・ベイビーに対して「イーストウッドとフリーマンの違いが分からない」「いいとこは自分で持っていくし、やっぱりナルシスト」とさらっといってのけるあたりに非常に感動してしまう。
彼の感想を読みながら、私も腹黒いなどと思われることを恐れず、もっと忌憚のない意見をびしびし書いていきたいと思ったりする。それとももう十分に腹黒いと思われているだろうか?
ちなみに松本人志は私と違い、腹黒い人ではないと思う。ペーパームーンとモンスターズ・インクに10点満点をつける人が腹黒のはずはない。

シネマ坊主2

日経BP出版センター

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yours ever

2005-06-05 15:18:29 | ソン・スンホン(宋承憲)
先週配達されていた、ソン・スンホン(宋承憲)のレコーディングから入隊までをまとめた@yours と悲しき恋歌のMTVのメイキングが中心の@ever。この2枚組みDVD「yours ever」を流しながら日曜日の一日を過ごす。

MTVは兵役逃れ疑惑最中の撮影だし、レコーディングは数日後に入隊を控えて行われたはずだ。そんな時期、作品として世の中に出る以外にメイキングビデオと称し、自分の動く姿がこんな風に四六時中撮影され、写真に撮られるのはどんな気持ちがするのだろうと、改めて考えずにはいられなかった。そしてバイクのライディングを指示するスタッフ、髪をセットするスタッフと彼の周りにスタッフの多さにびっくりする。更に撮影を街角でたたずみながら見学する人々。
係わり合いのある人間が増えれば増えるほど、動くお金も大きいだろうなどと下世話なことを考えてしまった。

慣れもあるかもしれないが、あれだけの人の目に囲まれながら演技し、歌を歌う。ある時は気持ちを高ぶらせ、ある時は気持ちを落ち着けて、自分でない誰かを演じることに集中する。人疲れしないのかと思う。自分が一体誰であるか分からなくなる瞬間があるのではないかと思う。それが演じることを生業とした人の喜びかもしれないし、辛さかもしれないと2枚のDVDを交互にかけながら改めて感じ入った。

そしてソン・スンホン(宋承憲)はこんな辛い時期にも大変男前であった。
この辛い時期のビデオに、こんな言葉は不謹慎かもしれないが「スンホン 男前! 以上」感想はこの一言に尽きる。

ソン・スンホン yours ever DVD-BOX

ポニーキャニオン

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インドネシア

2005-06-03 17:16:54 | なんということはない日常
私自身は「メイ アイ スピーク トゥー ミスター○○ プリーズ?」といった簡単な英会話がやっとだが、今勤務している先は海外関係の部署もあるので、どうしてもそんな拙い英語で電話をかけなくてはいけない時がある。
相手が不在で、なおかつ問い合わせの内容が日本語でも説明に手間取ったりする時は、さっさと「プリーズ テル ヒム コールミー バック」と言って電話を終わらせたいのだが、そんな時に限って「何かお手伝いしましょうか?」などと暖かい言葉が返ってくる。
手伝って貰いたいのは山々だが、この貧弱な語彙では一体どうやって説明したらいいのか。
結局「私の英語のスキルは大変プアなので、手伝ってもらいたいのは山々だが説明出来ない」と説明するのがやっとだったりするのだ。大変情けない。

そんな私でも、日本語が恋しい駐在員の人にとっては、いい話し相手になる時があるようだ。上海の日本人用幼稚園の一ヶ月の月謝が円価で85000円だという話に一緒に憤慨したり、(足元を見られているのだろう。好景気のせいで上海のオフィス賃料はこの1年で7%も値上がりし、ちょっとしたオフィスは坪単価2万円もするのだという)ジャカルタの治安の悪さについて話を聞いたり(歩道橋ははさまれたら逃げられないので、絶対渡ってはいけないのだという)などという話を聞くだけなのだが、そんなことでちょっとは役に立っていると思いたい。

インドネシア駐在の人から聞いた話なのだが、インドネシアには日本のギンダラにそっくりな魚がおり皆が好むポピュラーな魚なのだという。これが何故か日本人の体質に合わないらしく食べるとギンダラ症候群になるのだという。(日本人医師が勝手に命名したらしい)魚の油が特殊で日本人には消化しきれないらしい。
「大便をしているときに、ラー油のような油がぽたぽたと落ちるそうで・・・
お腹が痛くなる訳でもなく、ただ油が出てくるという気味が悪い症状らしいです。」
淡々とした口調なので、ネタかとも思ったのだが、帰国の時再度確認すると「本当ですよ。日本人は皆食べません」とやっぱり淡々とした口調で説明してくれた。

どうしても自分の育った国 日本の常識で物事を判断しがちになるが、国が違えば常識も違うし、食べ物も違う。納得出来ないことも多いなかで仕事をしている駐在員の人たちを見ていると、とりあえずそうなんだと受け入れることも大事なんだと思える。

そうはいっても「ギンダラ症候群」の話はどうも受け入れられない。しつこいと思われそうだが、もう一度聞いてみたいと思っている。


ガラスの華 9話

2005-06-02 22:00:05 | 韓国字幕つきドラマ感想
海外に留学し、嫡男テソクの邪魔をしないことを約束させられたはずのギテだったのに、テソクの不慮の事故で一気に転がり込む跡取り息子の座。
今まで我慢していたものが総て自分の許にやってくると知り、箍が外れたようになるギテ。
(テソクが亡くなったため本宅に呼ばれた時、母親の目がキラリと光ったのも怖かった。)
諦めた欲望が再び手に入ると知った時、欲望を諦める前より更に欲望に固執するようになるとは・・・今までは腫れ物に触るようにジスに接していた態度が急に大きくなったのも怖い。
悟られぬように「ジスに気に入られるよう努力する」などと謙虚な態度で隠そうとする辺りが、更に怖い。まだ9話なのにこのまま壊れてしまうのか?ギテ?

ギテには探さないでと手紙を残し、ドンジュにも写真と手紙を残しと、中途半端な逃げ方をするジス。(本当に探されたくないなら、手紙など残さぬように!)結局探しに来てくれたドンジュと故郷で楽しいひと時を過ごしているではないか?
わざわざ思い出を作ろうなどと、ドンジュを誘わなくても、結局楽しい思い出がいくつも出来ていてかなり羨ましい。
ドンジュもジスの心は自分にあると、ギテの許を去るというジスの言葉を信じ、ギテの家に送り届けたりしているが、そんなに簡単にギテの許をされるはずなどない。
ジスがドンジュに会う前の自分に戻れないように、欲望を諦めていた頃のギテに戻れるはずはないのだ。

ドンジュとジスを覗けば、恐らく周りの人間は誰一人ギテのことを変に思わないだろう。しかしそんな気づかない壊れ方をする時が一番怖い。「僕とジスのコーヒーカップだ」とドンジュの前で二人用のファンシーなカップを取り出す位の壊れ方なら、まだいい。これからどんな風に壊れていくのか、怖いもの観たさとでもいうのだろうか。ちょっと期待しよう。

ドンジュのネクタイについて

オフィスにけだるい雰囲気が流れる夕方に、疲れた男性がネクタイを緩める姿は良く見かける光景だ。ドンジュのネクタイの緩め具合は、そんな仕事が出来る男を演出したいせいか?しかもそんなネクタイの緩み具合は、紺や黒といった色でないと説得力に欠ける。
綺麗なピンク色のネクタイで、幅も大きめ、緩め方も、スタイリストさんが鏡を見ながら角度でも決めたかのような中途半端な緩め方故、説得力に欠ける。最後まであの締め方なのか。ドラマとは関係ないが、毎回チェックすることにしよう・・・

冬ソナとの比較

ギテの妹がチェリンになって行きそうな予感が・・・

黒革の手帖

2005-06-01 21:48:27 | なんということはない日常
月曜日いつもの通りPCを立ち上げネットに接続しようとすると繋がらない。
ブラウザが開かないだけかと思い、メールを立ち上げようとするとメールも繋がらない。
PCが壊れた4月の悪夢再びかと思いきや、わたしだけでなく社内全部のネット接続が出来ないことがわかった。原因が分かるのが2時間後、何時頃復旧するのかはっきりするのが更に2時間後との連絡があったまま、結局火曜日の午後6時過ぎまで復旧せずまる二日間ネット接続が出来なくなってしまった。

私が会社員になりたての20年前は、隣のおばさんは電卓でなく算盤を使っていたし、ファクシミリも自動受信でなく手動のものが殆どだった。
コピーもソート機能がある機種がやっとはいったばかりだったし、主要な連絡手段は電話だった。長々と電話をかけると怒られたから、要点をまとめたメモを作って電話をかけたりしたものだ。

相手の声の感じや返事の様子から、メールよりも情報量が多いような気がするので、私はメールよりも相手に時間があるかどうか確かめてから、電話で用事を済ますことが多いのだが、メールでの問い合わせにはメールでしか回答しないという人もいるようだし、メールは証拠が残るからいいとメール信奉者も結構多いようだ。
そんな人は今回メールもネットも使えず本当に困っていたようだ。
メールよりも更に困ったのは、社内のスケジュールををウェブ上で管理していたことだった。来客の予定が分からず皆右往左往していたのだが、そんな時一人余裕な様子だったのが、いつも自分の黒革の手帖でスケジュールを管理しているB部長だった。
「皆で情報を共有化するために、是非入力を」と秘書の女性がスケジュールの管理をウェブ上でするように頼んでも、聴こえないフリをして、自分の黒革の手帖でスケジュールを管理していたらしい。
松本清張のドラマ@黒革の手帖が放映されていた時は「私たちもあの黒革の手帖で・・・」などとふざけていたのだが、今回その手帖のおかげでB部長は殆ど実害がなかったようだ。

今朝ネットが復旧して皆ほっとしていたのだが、B部長だけは自分の黒革の手帖の存在にえらく満足していたらしい。
「やっぱり手帖が一番だっていってます」との噂を聞き、今回の騒動で、手帖の大事さより情報管理の大事さや、セキュリティの大事さについて学んで欲しかったと思ったのは私だけでないはずだ。やはり一度黒革の手帖で痛い目にあってもらうことが必要かもしれない。


黒革の手帖 スペシャル