本編は勿論だが、劇場で映画を観る時の楽しみの一つは予告編だ。
この映画にこの予告編でいいのだろうかと思う時もあれば、配給会社の思惑が手に取るように分かる時もある。
今日はテアトルタイムズスクエアで@バッドエデュケーションを見たのだが、夏に同劇場で限定3週間ロードショーをやることが決まっているクォン・サンウ主演の韓国映画「マルチュク青春通り」の韓国版オリジナル予告編をやっていた。
原題(マルチュク通り残酷史)が青春通りと爽やかな題になっていることにも びっくりだが、
@バッド・エデュケーションの観客と全然共通性がないのもびっくりだ。更に「オリジナル予告編」と銘打って事前に宣伝していることも知らなかったので、日本語字幕が一つも入っていないことにもびっくりした。
韓流ブームの昨今はこの予告編を見たさに足を運ぶ観客もいるかもしれないが(そうだとしたらかなり商売上手といえるだろう。)@バッド・エデュケーションを見るために足を運んだ観客にアピールしてこそ、本来の宣伝といえるのではないのか。
ブームはいつか終わるからブームなのだ。バッド・エデュケーションの観客が、韓国映画に興味を持ってこそ、一過性のブームに終わらず観客の層が広がってくるのだと思うのだが。
オリジナル予告が売り物でも、せめて名前位はハングル表記でなくカタカナ表記で小さくでもつけてあげればよかったのにと思う。名前だけでも分かればガエルファンも興味を持つかもしれないではないか。
それともクォン・サンウのファンが@バッド・エデュケーションの主演ガエル・ガルシア・ベルナルのラテン花美男のファンになることが目的なのか。そちらが目的だとするなら、その目的は達成されたのだろうか。是非誰かに聞いてみたいものだ。
バッド・エデュケーションはいわゆる同性愛を描いた映画だ。同じ同性愛を描いた香港映画@ブエノスアイレスが韓国で公開されなかったことを考えると、この映画も韓国では公開されなかったのではないだろうか。
そんなことをつらつらと考えているうちに、ラテンの熱い嵐が吹き荒れる本編が始まってしまった。
マルチュク青春通り
バッド・エデュケーション
この映画にこの予告編でいいのだろうかと思う時もあれば、配給会社の思惑が手に取るように分かる時もある。
今日はテアトルタイムズスクエアで@バッドエデュケーションを見たのだが、夏に同劇場で限定3週間ロードショーをやることが決まっているクォン・サンウ主演の韓国映画「マルチュク青春通り」の韓国版オリジナル予告編をやっていた。
原題(マルチュク通り残酷史)が青春通りと爽やかな題になっていることにも びっくりだが、
@バッド・エデュケーションの観客と全然共通性がないのもびっくりだ。更に「オリジナル予告編」と銘打って事前に宣伝していることも知らなかったので、日本語字幕が一つも入っていないことにもびっくりした。
韓流ブームの昨今はこの予告編を見たさに足を運ぶ観客もいるかもしれないが(そうだとしたらかなり商売上手といえるだろう。)@バッド・エデュケーションを見るために足を運んだ観客にアピールしてこそ、本来の宣伝といえるのではないのか。
ブームはいつか終わるからブームなのだ。バッド・エデュケーションの観客が、韓国映画に興味を持ってこそ、一過性のブームに終わらず観客の層が広がってくるのだと思うのだが。
オリジナル予告が売り物でも、せめて名前位はハングル表記でなくカタカナ表記で小さくでもつけてあげればよかったのにと思う。名前だけでも分かればガエルファンも興味を持つかもしれないではないか。
それともクォン・サンウのファンが@バッド・エデュケーションの主演ガエル・ガルシア・ベルナルのラテン花美男のファンになることが目的なのか。そちらが目的だとするなら、その目的は達成されたのだろうか。是非誰かに聞いてみたいものだ。
バッド・エデュケーションはいわゆる同性愛を描いた映画だ。同じ同性愛を描いた香港映画@ブエノスアイレスが韓国で公開されなかったことを考えると、この映画も韓国では公開されなかったのではないだろうか。
そんなことをつらつらと考えているうちに、ラテンの熱い嵐が吹き荒れる本編が始まってしまった。
マルチュク青春通り
バッド・エデュケーション