昨日は防災の日でしたね。
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒の関東大地震。98年前のことです。
覚えていらっしゃる方ももう少なくなってきているのでしょうね。
私の父は大正3年生まれ、関東大震災の折は東京巣鴨近辺の官舎に住んでいたと聞いています。
当時満10歳、今でいう小学校高学年です。母は3歳、千葉に住んでいましたが何も覚えていないと。
父はこの関東大震災の体験がトラウマになっていたのでしょう。
可笑しいほどの大の地震嫌い 地震恐怖症でした(好きな人はいませんが)。
当時父親(私の祖父)はイギリス留学中で留守。5人兄弟の長男であった父は当主代わりでした。
地震後、雨戸をはずし、裏庭にその雨戸を敷きならべ、夜はそこに寝て過ごしたと言っていました。
余震により起こる新たな地割れに落ちないためだったそうです。
さぞや怖かったことでしょう。10歳の少年には恐怖の体験だったと想像に難くありません。
ですから広島で地震が起こると(なぜか夜中が多かったです、滅多にありませんでしたが)、
もう父の慌てようは大変なもの!2階で寝ている私たち姉妹を起こすため、階段下で、
「〇〇子,〇〇子、地震だ~」と叫び、まず雨戸をガラガラと開け放しました。
父曰く、これも経験からか、大きな地震が発生すると、ドア、雨戸が開かなくなり、
家の中に閉じ込められ、逃げられなくなるのだそうです。
そして庭に立派な松の木があり、そこに逃げるのが一番安全だといつも言っていました。
松は根を深く張るので、倒れることがないというのですが、どうでしょうか。
地震の怖さをあまり知らない私などは、雷の方がずっと怖かった記憶があります。
祖父はイギリスで日本の大震災のニュースを知り、家族は全滅と思ったそうです。
父は1945年8月6日、原爆にもあい、当時四国の大学で教鞭をとっていた祖父は、
アメリカの原子爆弾の投下のニュースに、今度こそ息子は死んだと思ったようです。
自然災害に加え、疫病にも苦しめられる日本!
備えあれば憂いなしの言葉を今一度噛みしめてみたいと思います。
話しはガラリと変わります!
なんというラッキーなことでしょう。
エアコンが壊れると同時に、それに合わせるように一気に涼しくなりました。
エアコンは必要ありません。昨日今日と半袖では暮らせないほどの涼しさです。
昨日業者が故障の診断に参りました。やっぱり、修理不可能。
室内機から室外機への信号が送られず、室外機のファンが回らない。
室外機側の基盤に問題があり、すでに部品はなく、修理は無理のようです。
こうなるであろうことは予測はついていましたが、プロに見ていただいて諦めがつきました。
そこで今日は半日かけてエアコンの研究(っていうのもおかしな言い方ですが)、疲れました。
最初は量販店まで出かけて、この目で見て確かめて購入するつもりでしたが、
雨も降る、コロナウィルスも蔓延する・・・・身体も少々夏バテ,エトセトラで出かけたくない。
そこでビックカメラ.com!ビックカメラの通販サイトを覗いてみました。
通販で電化製品を買うのは初めてです。撤去費用、据え付け工事費込で10万円以下に抑えたい。
ありました!1年の型落ちですが、フィルター自動清掃、空気清浄もついて約90000円。
工事も5日と早い。これで再度暑さがぶり返しても安心です。
それにしても次から次へといろいろ壊れていきま~す。
私たちもそのうち壊れていくのでしょうね~ 。
あ、でもまだ大丈夫かな?今日人間ドックの詳しい成績表が届きました。
とりあえず精密検査を必要とする項目はありませんでした。胸を撫でおろしています。