「流れとは違うけど」8月20日
『全国の中学生に、さまざまな分野で活躍する人が語る』連載企画「14歳の君へ わたしたちの授業」は、お笑い芸人又吉直樹氏の「国語」でした。その中で又吉氏は、『国語は学校だけじゃなくて一生使い続けます』と述べ、『いろんな本に触れるのがすごく大事です』『本を読むと考えが整理され、複雑で言葉にならない感情を理解できるようになる』『物語の登場人物のさまざまな思いに触れることが大事です』『想像力を養うことはすごく大事。人の気持ちを思いやり、物事を立体的にみられるようになる』などと書き、本、特に小説、物語を読むことを推奨なさっているのです。
私は又吉氏の小説のファンではありませんし、お笑い芸人としてのセンスも好きではありません。でも、上記の又吉氏の言葉には全面的に賛成です。そしてこれは私だけの感覚ではなく、かなり多くの方が同じような評価を下されると考えるのです。
しかし、又吉氏の指摘は、現在の国語教育の主流の考え方とは大きく異なります。高校の現代国語において、小説や物語はその扱いが縮小されました。その代わりに重視されるようになったのが、論理的な説明文です。この改革を進めた文部官僚は、要するに文学などという役に立たないものよりも、さまざまな仕事において直接役に立つことが見込まれる論理的な思考力を伸ばすことが大切だと考えたのでしょう。実利主義、そうした発想が求められていることは理解できます。
でも、又吉氏の主張を見直してみると、「考えが整理される」「物事を立体的に見ることができるようになる」「複雑な感情を理解できるようになる」ことも文学作品に触れることの効果としてあげられているのです。
「考えが整理できる」は、論理的思考に不可欠ですし、立体的に見る習慣は、柔軟な思考に欠かせません。さらに、複雑な感情を理解することは、ボーダレス化が進み、多様な文化的背景をもつ人々との意思疎通や協業が必要とされるこれからの社会において、「出来る大人」になるために必須の条件なのではないでしょうか。つまり、小説や物語といった文学に深く親しむことは、実利主義の面からも意味がある行為なのではないかと考えることができるのです。
世の中に無限にある「名作」との出会いのきっかけを作る、国語科の授業にそんな役割をもたせることを検討してほしいものです。