ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

戦争を後押しした私たち

2024-08-22 08:24:20 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「今の自分に」8月17日
 学習院大教授井上寿一氏が、『被害視点だけで不戦守れず [戦争体験の継承]』という表題でコラムを書かれていました。その中で井上氏は、『民衆は被害者である一方、加害者として積極的に戦争に協力した。戦前の婦人運動家、市川房江が戦時中の戦争協力を問われて、戦後、公職追放となった』と書かれています。
 その通りだと思います。我が国の平和教育の偏り、弱点への端的な指摘です。さらに井上氏は、『直視すべきは、悲惨な戦争の現実だけでなく、被害者でもあり加害者でもあった前線と銃後の日本国民の戦時下の日常である。あの時代と今とを無関係とするならば、それまでだ』とも書かれています。
 戦争前夜から戦中に至る平凡な一般の国民、町内会長や婦人会の役員、学校の教員や官吏、子育て中の父や母、日清日露、第一次大戦といった明治以来の記憶をもった高齢者、そうした人々の言動を知り、それが先の戦争にどのように結びついていったか、そのことをしっかりと理解することが必要です。
 その上で、今自分たちがしていることと関連付けて考えるのです。ネットでの安易な「いいね」が深く考えることの価値を下げ、国民の間の分断を助長していないか、もししているとしたら、それは戦争への助走に力を与えることになりはしないか。どうせ私の一票なんて何の影響もないと棄権する行為、それは民主主義を危うくし戦争と親和性の高い独裁政治の実現に力を貸すことになりはしないか。
 日本で暮らす外国籍の人が様々な人権を制限されている状態を他人事として放置することは、我が国に対して悪意や反感をもつ人を生み出し、潜在的な敵対国を増やしてしまうことにつながるのではないか。障害者や女性への差別的な社会を是認し改革を唱える者を「進歩的」と揶揄することは、人と共感連帯する感覚を欠如させ、我が国を孤立に導くのではないか。
 いずれも、戦争への道を静かに歩み始めたかつての日本では一般的なことでした。そんなふうに理解し、反省し、今自分が採るべき行動を考えることこそ、本当の意味での戦争体験の継承であり、平和教育、不戦教育なのではないかと思います。

 

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