ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

存続させる理由はなくなっても

2024-09-10 08:32:59 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「理由改変」9月6日
 読者投稿欄に、元教師W氏による『教員負担は金銭で解決しない』と題された投稿が掲載されました。その冒頭W氏は、『問題は給与ではなく、負担が大きすぎることにあるということを理解していない』と書き、『学校の外でのことについては、学校に責任を求めないという世の中になれば、かなり改善する』と述べられています。
 その通りです。私もこのブログで再三にわたり、W氏と同じ趣旨の主張をしてきました。そして、教員の負担が増す一方であるのは、過去の学校改革が、本来あるべきスクラップ&ビルドではなく、ビルド&ビルド、つまり新たな課題を持ち込むだけで、それに相当する時間と労力を要する課題を削減、見直しするという姿勢に欠けたことが原因であると考えています。これも何回も触れてきたことです。
 我が国の学校教育行政が、そうした体質になったしまったのにはいくつか要因があると思いますが、その中でも重大なのは、ある教育課題や教育活動について、そもそもの設置理由や目的を状況に合わせて改変していくことで、事業継続を図るという「癖」にあると考えます。
 例えば、給食です。戦後の混乱期、子供の栄養不足が課題となる状況下で、成長に必要な栄養の確保を主目的に制度が開始されました。しかし、その後経済高度成長期に入り、栄養不足が心配される状況でなくなっても、事業は継続しました。調理主事の就業確保もその理由の一つでしたが、調理業務のセンター方式、民間委託が進んでも、食育の充実など新たな理由付けが行われ、現在まで継続しています。
 移動教室や林間学校、修学旅行等の宿泊体験的学習も、我が国がまだ貧しく、旅行になど行くことができない家庭の子供が多数いた時代に、子供の見聞を深めたり、視野を広げたり、楽しい旅行体験を味わわせてやりたいという思いで始まりました。しかし、我が国が経済大国となり、幼稚園や小学校の低学年で海外旅行を体験する子供も珍しくなくなったにもかかわらず、現在も継続しています。自然体験や集団生活体験などを掲げて、です。
 さらに、PTAについても、戦後、米教育使節団の報告書で、「教育は学校だけでなく、家庭や地域社会の協力において行われるべきである」と述べられて趣旨に基づいて設置されたにもかかわらず、単なる学校のお手伝い機関になり下がったまま、今も継続しています。
 ロシアのウクライナ侵略戦争やイスラエルのパレスチナ虐殺戦争が終わりをみせない中、戦争を始めるのは易しいが終わらせるのは難しいという昔からの格言が思い起こされますが、あらゆる事業に言えることです。学校教育行政はその難業に挑まなければなりません。各事業の出発地点に立ち返り、その役割を終えたものを削除していくという難事業に。

 

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