ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教員だって人間なんだよ

2024-08-29 08:29:58 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「書けないこと」8月24日
 書評欄に、『「義父母の介護」(新潮新書)』の著者村井理子氏へのインタビューが掲載されていました。『結婚以来、そりの合わなかった夫の両親。義母が認知症と診断され、義父が脳梗塞で倒れたことで、ケアに奔走することになった』著者の介護奮闘記です。
 記事の中にとても印象に残り記述がありました。『著者は「克明に書いたと言ってくださるのはうれしい」とほほ笑んだ。「というのは、隠していることもいっぱいあるから。書きたいけれど泣く泣く削った出来事がたくさんあります。介護って、書けないようなきついことが結構あるんですよね」』という記述です。
 私も認知症の両親の介護をしました。本当にきついです。もし介護日記のようなものを書くとして、書けないこと、書いてしまったら酷い息子だと非難されそうなことがたくさんありました。
  私は、教員にも同じようなことがあると思います。もし、日々の出来事、そのときの感情を書き記すとしたら、誰にも読ませられないことはたくさんあるのではないでしょうか。
 私にはありました。一つ例を挙げてみます。新しい学校に異動した4月の20日過ぎのこと、担任をしている男児が家出してしまいました。県境を越え隣の県にまで探しに行きました。警察に保護され、保護者に引き渡そうとしましたが、母親は嫌がります。男性を引き込んでいたからです。その後は家を訪ねても留守、務めているパチンコ店を訪ねると、「職場に来るな、みっともない」と激怒される始末。
 その男児は「札付き」で、学校中に名の知れた有名人でした。新しい学年になってクラス替えがあっても誰も担任してもよいという教員が現れず、異動していった私に押し付けたというのが実情だったようです。
 それにもかかわらず、職員室で隣に座る教員が、「皆さんにご迷惑、ご心配をおかけしました」と頭を下げなさい、と親切そうに言うのです。「問題児を押し付けやがったくせに」と頭にきましたが、「そうですね。ありがとうございました」と言って、職員室で謝罪しました。もし、そのとき、奮闘記を書いていたら、腹立たしい感情を思い切りぶちまけたくなったはずです。でも、誰かに読まれる可能性を考えたら、削除するでしょう。理屈の上では、家出発生時の担任である私の責任なのですから。
 教員聖職論を唱える人は減りつつありますが、一般の公務員よりも人格者、愛情と自己犠牲心に富んだ存在であるべきだというような思い込みは残っています。だからこそ、人間の醜さが露骨に現れたような本音は漏らしにくいのです。でもそれではストレスが溜まります。庭に穴を掘ってそこに向かって叫ぶわけにもいきませんし。
 諦めるしかありません。ただ、教員の醜い本音を集めて分析研究したら、学校改革の新しい方向性が浮かび上がるような気もしています。

 

コメント
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