私はキリスト教徒ではありませんし、カトリックの幼稚園や小学校に通っていたわけでもありませんが、いつ頃からか( 多分中学生の頃からでしょうか )、『イエス・キリストって、本当はどんな顔をしていたんだろう?』と、時々思うようになりました。
なぜそんなことを考えるようになったのか、はっきりは分かり ませんが、1つ云える事は、キリストの絵や肖像画は本当にたくさんあるけれども、それを描いた画家が実際にキリストを見たわけではないので、もちろん想像で描いた顔です。
しかし、大抵の肖像画の顔は、妙に細長い顔ですし、あれだけの偉業を成し遂げたような人には、どうも見えません。
『イエス・キリストって、本当はどんな顔していたんだろう、』と、何度となく思いましたし、『ぜひ本当のキリストの顔を、知りたいものだ!』と、これまた何十回、いや百回はゆうに超える回数、思いました。
( ついでにいえば、“釈迦はどんな顔をしていたのだろう?”とは、なぜか全然思わないのです )
然し残念ながら、もちろん、到底叶わぬ夢です。
ところがです、世の中何が起こるか分からないもので、ある日ついに『これこそ真のイエスに違いない!』と思える、イエス・キリストの顔の“写真”を見ることができたのです!
オウム真理教事件で、すっかり影をひそめましたが、覚えていらっしゃるでしょうか、あの事件の前は、いわば日本中で結構“聖者サイババ・ブーム”でした。
旅行会社がインドでサイババに会う機会を設けてツアーを組み、知人の若い女性もツアーに行き、嬉しそうに私に話してくれたのを、覚えています。
サティア・サイババ( 聖者サイババ )の本が、書店にたくさん積まれてあり、約20冊あったそれらの本を全て読みました。
一番回数多く読んだのは「ニャーナ・ヴァヒニ( 英知 )」で、素晴らしい内容で、20数回くらい読んだ記憶があります。
また、学生向けに教えを説いた「プリンダヴァンの慈雨」も読みやすく、やはり素晴らしい内容でした。
そして、やはり数回読んだのが、「サイババ、イエスを語る」です。
サティア・サイババは、インドに多いヒンズー教徒にも、また仏教徒にも、あるいはキリスト教徒にも、それぞれそれらの信者向けの話を、毎日のようにしていたようです。
その「サイババ、イエスを語る」の、黄緑色の表紙に、額が広く大きな瞳をした、一見ロック歌手と云えばロック歌手に見えるし、思慮深い読書好きの青年と云えばその様にも見える、一種独特の、不思議な雰囲気を漂わせた、男性の顔写真が上部中央に見えます。
本の中程に、緑色のやや厚手の紙が挟んであり、表紙の写真の説明が書かれてあります。
内容は以下の様でした。
ある日一人のキリスト教信者が、自分の家に飾ってあるイエス・キリストの肖像画を持ってきて、サイババの前に進み出て、「どうかこの写真に、貴方のサインを下さい」と頼みました。
するとサイババは、「あなたが持参したその写真のイエスは、イエスではありません( つまり、イエス・キリストはそんな顔はしていません、という事 )。これが本当のイエスです」と言いながら、例によって手を軽く振って、何もない空中から物質化された1枚の写真を、その男に手渡しました。
その写真を、表紙に使わせて頂きました。
上記の内容が、その緑色の紙に書いてあるのですが、私は直感で『これは本物だ!』と思いました。
『イエスキリストの、本当の顔知りたい!』という、長い間の夢が叶った瞬間でした。
私にはその表紙の写真の顔が、イエスキリスト以外の何者とも思えませんでした。
https://honto.jp/netstore/pd-book_02320277.html
話は変わって、題にもある“体癖”ですが、この言葉を創った野口晴哉(はるちか)氏の著書「体癖」1&2には、1でそれぞれの体癖の解説と、2では“複合体癖”について、書かれてあります。
通称“野口整体”( 正式には、公益社団法人「整体協会」)の創始者である野口晴哉氏は、人の身体や無意識の動作を、50年以上観察することによって、その感受性や動作の癖や傾向によって、十二種類のエッセンスを取り出して、“体癖(たいへき)”という新しい概念で分類しました。
どんな人も一種類だけの体癖ということはなく、例えば「二種五種の身体」「三種七種ですね」「一種五種に、少し八種が入っているかな?」みたいな感じです。
十二種類ある基本体癖の内、一種体癖は、非常に頭の回転が速く、“人間の原型”と云われる、本能的で直感が鋭い九種体癖に続いて、特徴のある体癖です。
あるとき、ふと思いついて高野先生に、「一種九種って、どんな( 特徴の )体癖ですか?」と尋ねると、
先生の答えは「一種九種という人間は、存在しない。一種も九種もとても強いので、( 一人の人間の中に )同居できないんだよ」という答えが返ってきました。
そういえば確かに、野口先生の「体癖(2)」にも、“一種九種”の解説はありませんでした。
『そうなんだ。一種九種という体癖の人は、この世にいないんだ』と、納得しました。
話が戻りますが、「サイババイエスを語る」は、その後高野先生の奥さんとの話の時に、「これこれこんな本があるのですよ」と、話題になって、たまたまカバンに入れていた本を、お見せする機会がありました。
そのとき傍に高野先生もいて、奥さんが「パパ、イエス・キリストやて」と言って、先生に本を手渡されました。(奥様は、先生のことを“パパ”と呼び、また京都の人なので、“だって”が“やて”になります)
私は緊張して先生の反応見守りましたが、『ふうん…』という感じで、じっと本の表紙の写真を見ていた先生は、黙って本を奥さんに返しました。
一目で相手の本質を見抜く先生のその反応を見て、私は『先生は否定していない。やはり本物だ!』と思いました。
『二千年前に実在した、イエス・キリストの、これが本当の顔なんだ!!』と、改めて感激しました。
それから何日か後、毎月一度の「整体協会」の“活元会”(かつげんかい)の日が来ました。
“活元会”は、毎月一度、全国の整体指導者が、たいていはその指導室で、整体の話や実習と、最後に皆で活元運動をする会です。
話が体癖のことになった時です。私は先生の言葉に驚かされました。
「イエス・キリスト(の体癖)は、一種九種です」
『えっ!? 先生は以前、一種九種という人間は存在しない、と云われたじゃないですか!?』と思いましたが直ぐに、『そうか、イエス・キリストは一種九種なんだ! やはり、並外れた人だったのだ!』と、納得しました。
私は改めて、あの写真のお顔を思い出していました。
※ 「体癖」(1,2)は、(公)「整体協会」の出版部門である「全生社」で手に入ります。
www.zensei.co.jp
なお、同じ野口晴哉氏の著書「風邪の効用」は、全生社で、カバー付きの本で、¥1.800+税 で、手に入りますが、同じ内容の本が筑摩書房から(名著復刻版の)文庫本として出ており、こちらは¥600+税です。
http://sukoyaka.jimdo.com
http://sukoyaka2.jimdo.com
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