こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

時 の 流 れ

2019-07-14 10:05:09 | Weblog
賽は投げられた

趨勢

を眺めているだけのことで

やがて

行き着く先

で待ち受ける岸辺

の景色

が明瞭に見えてくる

だろう


拙速で身勝手な判断は

却って

危険

ことここに至れば

混乱した意味を内包する

一切の関与

は無用


第三者的立場にある

アメリカの静観する態度



学ぶことが

日本のゆかしさ

を高める


一連の経過

の上に成り立っている

趨勢の変化

が与える成り行き

のさまを見ていれば

落ち着く先の風情

など勝手に

視野に収まってくる


隠忍自重を強いられてきた側が

一転してついに

反転攻勢にでた

以上

変節など固より不可

譲歩することなど

絶対にアリエナイ

心得違いは

このときから

始まっている


余分な情報を取り除き

判断ではなく

観察をつづけている

ということが

内在する不確定性因子を

最終的に無害化

することに役立つ


変化の態様と事実の推移

だけが

根拠としての

なによりの証拠を残す


人為的な変化が

唐突に与えられたことにより

対象化されてしまった側の

姿勢にあった

思慮の浅さ

というものが

如実に示される


問題のもつ深刻度

をより高めていることに

気づいたとき

手遅れでなければ

ハードランディング

は避けられる


輸出規制措置の慮外な強化



確定的となってから

漸くことの深刻さ

を察知したところで

どうすることもできまい

確定した現実と遭遇し

問題と直面しなければ

その後の周章狼狽ぶりが

仕掛けた側

を有利にする


問題認識能力に関する

重大な過ちが

一方を

当座増長させることとなり

却って疵口を押し広げて

痛苦を高め

自らの身に襲い掛かるようになった

単にそれだけのこと


譲歩を重ねてきた側が

切っ先

を喉元へと

突きつけざるを得なくなり

抗議の姿勢をとったその経過が

計画的でかつ

抑制的な姿勢を

保たせている

のは幸運なこと


他者の反省

を強いていながら

己の姿を顧みたことがない

という経過の事実が

人災となって襲い掛かる

展開は

予測の外


自業自得とは

まさに

このこと


非は常に相手方にあり

己は無欠

というのが半島と列島の

間にできた歴史と文化

のその違い


自罰型の列島文化



他罰型の半島文化

の鬩ぎあい



東アジアに禍根を残した


歴史認識を盾として

現実認識を遠ざけてきた

相互間の関係性が

カタストロフの決定因子


与えられた結果は

すべて当事者の責任

に帰すためのもの

反省が不在なら

学習もまた不在


対立関係の明瞭な成立

という韓国側にしてみれば

不測の事態

へと

自ら陥った一連の経過

はこのようにして

与ええられることとなったもの


異変の総ては

当事者にとって

もはや

引き返すことのできない

臨界点

を踏み越えた

事実を指し示す


結界を突破した事実

が確定している以上

経緯のほどを

静かに見守っている

ことが最善の策となる


当然の成り行き

に過ぎない事態

に添えられた

ドラスティックな変化が

青天の霹靂

と映るようででは

その動揺の大きさが

不測の事態を呼び覚ますこととなり

状況を却って危ういもの

にする


問題の本質が

遠からず

詳らかとなるその段階

が訪れたとき

隠れていたすべてのもの



一斉に

浮上する


両者間の関係性に

決定的なある変化

が起きる

蓋然性はきわめて高い


通過すべき転換点を閲したあと

新しい到達点

へと続く道

がいつか

どこかで

眼前に立ち現れる


まこと

禍福はアザナエル

縄のごときもの

痛みの強さは

回復への道の遠さを

教えるためのもの


ときには顧慮

するために振り替える時間

が必要になることもある


恥の文化



恨の文化

をそれぞれ根底に措く国は

互いに相容れる余地

がない

相応の調整努力が

必要となる筈だ

文化の違いは

対立の種となることがあり

諍いの総ては

「我」の応酬へと発展する


一人称を排除する工夫

を凝らしてきた日本語

にのみ

一人称がゴマンとあるのは

相応の訳がある

日本語以外の言語文化は

対立を極めない限り

終息へと

向かうことが決してない


日本語以外の言語

が公用語となっている世界では

力による決着が

常套手段となる定め


日本語はその代償として

曖昧な意味を包摂することとなり

結果として

相互に忖度しあうことで

穏便な解決を図る

とする文化

を歴史的に

うまく成り立たせてきた


曖昧な意味を許容する

調整型の言語文化



力を誇示する言語文化

との違いが

列島と半島の間だけでなく

いらざる軋轢

を徒に高めさせている


侵略国と被侵略国との

歴史的な文化

の違い

について

改めて考慮する段階

が今やってきた
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