こ と の 端

散文でロジックを
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水 素 爆 発 ①

2011-10-09 09:06:18 | Weblog
原子炉建屋を一瞬で爆破した

ほどの強力な破壊圧を引き出した水素分子の集合体は

一体

どのようにしてフクシマで作られたのか

その点を解明する作業は

まだ

何一つとしてなされていない


東電は配管を構成する金属から

水素が発生した

と説明しているのだが

ミサイル攻撃を受けても

びくともしない筈の

原発建屋を

一瞬で

内側から破壊し去ったほどの

大量の水素が

金属から析出したものであるとは

およそ考えられないことである


爆発を惹起するに至る水素濃度は

4%から75%の範囲にある

そこに96%から25%の酸素が存在していたとするなら

熱を起爆剤とする条件で

極めて頑丈に作られたあの建屋を

吹き飛ばすのに必要とされる水素分子の量が

どれほどのものになるのかということは

困難なく導ける

水素分子の持つエネルギー量は

既に決まっているものであるからだ


大量の水素分子を生み出した原因が

もし金属管にあったのだとするなら

水素が抜け落ちた後の当該金属から作られた配管は

元の状態を保つことができなくなっている

つまり所定の強度を

もはや

保持していない

脆弱化した状態になっている

ということになる


原子炉を安全に維持するための根拠となるデータから

安全性を担保する能力を

いま確認しておかなければ

原発の再稼働など

到底認めることなどできまい

劣化した金属管をそのままの状態で再利用することなど

あってはならないことなのだ


水素爆発の原因が

金属性の配管部分ではなく

原子炉に備わる冷却水にあったのだとすると

水素と酸素とが同時に放出された

その訳は合理性をもつ

水の分子は水素と酸素とから作られる

水という水素化合物は

原子炉に欠くことのできない自然素材なのである

その水という物質が

水素爆発の原因になっていたのだとしたら

原子炉は

放射能を地球全域に拡散させる

水素と酸素とを同時に内包する

危険な化合物である



を冷却プロセスで使うことが

二度とできなくなるからだ


原発推進派が知ることを避けたがっている真実には

水素爆発を引き起こした直接的な原因である高温の熱と

爆発物である水素に加えて

その酸化剤となった酸素までをも

同時に生成した

一連のプロセスが

関与していなければならない


大量の水を必要とする冷却系モデルであったからこそ

極めて頑丈に作られた原子炉建屋を

一瞬で吹き飛ばすほどの

エネルギーを生み出させることができたのだった

水素爆発の真因が水にあった

ということ認めざるを得なくなると

より安全な冷媒を

新たに開発しなければならなくなる


活性のない冷媒による冷却システムへと切り替えるなら

原子炉を

完全に閉じた系で構築することが

可能になる

だが

大幅なコストアップは避け難い


これまでところ

マスメディアは水素爆発に関する情報を

検証作業抜きで

東電が発表したままの状態で

間接的に報道するだけの姿勢に終始していた


事実関係を報道機関が確認するには

水素を析出したプロセスを

検証したその上で

データに基づいて得た情報に仕上げてから

報道するという

厳正な姿勢を貫く必要があった


最近俎上に乗せられるようになった政治と金

に関する報道各社の辿ってきたその経緯からは

世論の誘導に

あれほど熱心であったマスメディアが

歴とした物的証拠が残る原子炉の水素爆発では

東電の説明を鵜呑みした情報の伝達者

に堕している

ということしか伝わってこない

問題の持つ客観的評価が

何らなされていない

という実に訝しむべき経過だけが残された


問題の性質によってその態度を変えるようでは

報道機関を自認する根拠は

曖昧なものとなる

風評の伝達者に留まっているようでは

高邁な

与えられた使命を果たすことはできまい


俗受けする話題だけを

専ら

センセーショナルに伝えている己のその姿が

もし見えていなかったのであるのなら

結果がでるのを待つ

というくらいの見識

または分別があっても

よかった


国民が適正な判断を下すための手段は

報道機関の姿勢如何によって

180度異なったものになる

誤った情報で国民が判断を一方的に下すようになったとき

国は大きく劣化する

判断の正当性は

国民が等しく受けてきた教育の在り方によって

定まる

優れた教育システムは

優良な政府と報道機関を育てる



不健全な要因を抱えたままの教育制度は

どこまでいっても判断を誤り続ける

政府を

国民が民主的手法で選ぶ

という結果を尊重する時代を生み出すものとなる


バイアスを修正することができた情報だけが

国民とその暮らしを

世界一豊かなものへと変えるのだ

当否判断の原点は

教育の成否に宿る

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