今回の学会は、早朝にはじめて2時には終わらせ、そのあと、
オプションツアーを参加者や同伴家族と一緒にめぐる、というスタイル
初日は百済の2番目の首都であった公州へ。
ここには1971年に発掘された百済第25代王 武寧王(462~523年)の墓があります。
墓はたくさんあっても、誰の墓がわからないことが多い中、
墓石に武寧王の墓と書いていたそうな。
日本でも仁徳天皇陵といいながら、ほんまに仁徳天皇の墓かどうかは確定できてない
みたいなので、この時代、墓の主がわかった、というのはそれだけすごいことなんでしょ
この王様は、その当時、高句麗にやられっぱなしで荒れてた
百済を治めた偉い王様だったそうです。
帽子の耳の上につける飾り
墓の外はこんな感じ
墓の中(レプリカ)
この地域に住んでいる人たちは、昔からの言い伝えで、あそこには王様の墓が
ある、と知ってたらしい・・・言い伝えもばかにできへんな~
オプションツアーを参加者や同伴家族と一緒にめぐる、というスタイル
初日は百済の2番目の首都であった公州へ。
ここには1971年に発掘された百済第25代王 武寧王(462~523年)の墓があります。
墓はたくさんあっても、誰の墓がわからないことが多い中、
墓石に武寧王の墓と書いていたそうな。
日本でも仁徳天皇陵といいながら、ほんまに仁徳天皇の墓かどうかは確定できてない
みたいなので、この時代、墓の主がわかった、というのはそれだけすごいことなんでしょ
この王様は、その当時、高句麗にやられっぱなしで荒れてた
百済を治めた偉い王様だったそうです。
帽子の耳の上につける飾り
墓の外はこんな感じ
墓の中(レプリカ)
この地域に住んでいる人たちは、昔からの言い伝えで、あそこには王様の墓が
ある、と知ってたらしい・・・言い伝えもばかにできへんな~