大阪での毎日

整形外科の仕事&「職」ではなく「食」へのこだわり

家を建てたらシーサー

2009年07月08日 | 旅行
金城町の家の門や屋根に必ず1対のシーサーが設置されています。みているうちにかわいいな~ 家建てたときに門につけたいな~ なんて思ってしまうほどです。

シーサーは、沖縄県の伝説の獣です。災いをもたらす悪霊を追い払う魔除け、幸運招きなどの意味を持ちます。
「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものがシーサーらしく、八重山諸島ではシーシーともいう。シーシーって大阪?では子供用語ですよね?

必ず1対、メスオスで飾ってあるんですが、元々は単体で設置されていたものだったそうですが、おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、一対で置かれることが多くなったそうです。メスオスのどっちかが口をあけて「あ」どっちかが口を閉じて「うん」の「阿吽」なんですよ~。どっちがメスやったかな・・・

首里城

2009年07月08日 | 旅行
琉球建築の最高傑作といわれる首里城は、三山時代(1400年前後)と呼ばれ3つの大きな勢力が争っていたものを統一(1429)し、沖縄の英雄として語り継がれる尚巴志【しょうはし】王によって後に続く琉球王国の国王の家です。尚さん一家は現在、東京在住らしいです。

現在の首里城は、約450年にわたる琉球王国時代に3度消失、1925年に正殿は国宝とされたが沖縄戦(第二次世界大戦末期)で再度灰燼となり、アメリカからの日本本土復帰20年後の1992年に復元されたものなので、まだ、17年目の新築です。

琉球王朝がなぜこんなにも栄えたのか不思議ですが、マカオ(去年秋に行ってきました)と同様、貿易で栄えたんですよね~

沖縄らしいところ

2009年07月08日 | 旅行
沖縄に行けばあそこもここも行きたい!と思うとろこですが、学会の合間にいける場所には時間的にも限りがあり、今回は首里城に行ってまいりました。

首里城のそばには沖縄の昔懐かしの町の風景が、爆撃にもあわずひっそり残っている「金城町」という場所があります。

ここの石畳道は、16世紀に首里から那覇港や沖縄本島南部へ通じる主要道路として造られた「真珠道(まだまみち)」の一部です。琉球石灰岩による石畳道で、当時は総延長約10kmにも及んだ道でしたが、現在では、金城町に約300mの石畳が残るのみとなっています。周辺には赤瓦家が並び、沖縄がはじめてな私にとっては、ものすごく「沖縄的」な風景でした。

死体からの移植

2009年07月08日 | 学会
2年前にアテネで開催された国際マイクロサージャリー学会ですが、今回は日本の沖縄で開催されました。

マイクロサージャリー学会なので、普段あまり目にしない形成外科領域の発表も多く、そのなかでも驚いたのでは、「顔面移植」でした。

アメリカでは死体から手をもらって、手のない患者さんに移植をしているんですが、最近では顔面の皮膚も死体からもらって、やけどや腫瘍などで顔にひどい損傷をうけた患者さんに移植しているそうです。日本のテレビでも放送されたそうですが、チームのトップはきれいな女医さんで、確かにマスコミうけしそうです。でも、死体から皮膚を剥ぎとるという行為から、世論の反感も多い中、自分の信じた道を貫く姿がかっこよかったです。確かに、移植をうけた患者さんの顔の損傷はかわいそうなもので、私個人としては、やってあげてほしいと思いました。

学会の夜には学会主催のパーティがあり、沖縄民謡を聞きながら(写真)沖縄そばを堪能してしまいました。

優雅な白金

2009年07月05日 | 東京グルメ
以前、たまたまタクシーに乗っていたら、「ここはどこですか?」と思わずタクシーの運転手に聞いてしまうほど、優雅な感じのいい通りがまさに「白金」でした。

日本骨折治療学会は横浜で開催されたので、夜には白金を散歩しにいきました。

散歩するにはほんと気持ちいい場所で、しゃれたバーやお店が点在している中、ものすごいにぎわっていて、また、ここはヨーロッパ?みたいな雰囲気の店を発見。

テラスを大きくとっていて、店員さんも愛想がよく、焼きたてのピザもおいしい店でした。いわゆる白金の高級店ではありませんが、散歩がてらちょっと寄るにはすごくいい店でした。

ちなみにチェーン店なので、大阪にもあります。

La Boheme
イタリアン
108-0071 東京都港区白金台4-19-171F・2F

日本骨折治療学会

2009年07月05日 | 学会
はじめて参加した「日本骨折治療学会」です。

整形外科領域でも骨折は基本ですが、その骨折の治療を極め、さらに新しい治療へと、よりより治療へとつなげるよう、がんばっている学会です。

私は今回、肘の発表だったんですが、私の発表の直前には、ものすごくヒートアップした討論がくりひろげられていて、(どうしよう~)と他人事ではない状態でしたが、なんとか無事終了。

今回、心に残った講演は元大阪医大の阿部教授の「後医は名医」

これは、はじめ見逃された病気でも、後でみる医者にとっては有利である、ということです。たしかにその通りなんですよね。だからといって、前医を否定することが必ずしも患者さんのためにはならないと私は信じてます。前医を否定して患者さんの信頼を得ると自分は楽ですが、患者さんは前医に恨みをもち、今から治していこうとする気持ちに芯から前向きに向き合えない場合があります。患者さんのことを思うなら前医を否定しない、これがProf. Pennig(ドイツでの研修病院の先生)の理論であり、今回、阿部教授の考えでもありました。